10万円
九月十九日、金曜日。
朝のホームルーム前まだ教室にはまばらにしか人がいない時間帯。窓から差し込む秋の陽射しは柔らかく、カーテンを揺らす風にも夏の湿気はもうない。美鈴が自分の席に着くと前の席から翔太が振り返りもせずに机の上に封筒を置いた。
「これ、お前の取り分」
「へ?」
茶封筒。何の変哲もない、事務用品のそれ。美鈴は首をかしげながら手に取った。ずっしりと重い。
「なにこれ?」
「昨日の【森の守護竜】の報酬だ。管理局で換金してきた」
「換金……?」
美鈴は恐る恐る封筒を開けた。中をのぞき込んで、そして固まった。
「……え?」
「どうした」
「じゅ、じゅうまんえん……?」
封筒の中には一万円札が十枚。ぴっちりと重ねられて、帯も巻かれていない生の現金。美鈴は自分の目を疑った。何度まばたきしても一万円札は一万円札のままそこにある。
「しょうたしょうたしょうた」
「なんだよ」
「これ、十万円だよ!? 間違ってない!? 管理局の人が数え間違えたとか!」
美鈴は声をひそめつつも取り乱しっぱなしだ。尻尾がびんっと立って、先端が小刻みに震えている。翔太はそんな美鈴をちらりと振り返るとあくまで淡々と言った。
「間違ってねえよ。小型とはいえドラゴンとやりあったんだぞ。むしろ安いくらいだ」
「やす……!?」
美鈴は封筒を両手で抱え込むように握りしめた。十万円。高校生が普段手にする金額じゃない。お年玉だってここまではもらったことがない。お母さんがパートで一ヶ月働いても、これより少し多いくらいだ。
「異世界ゲート攻略って、こんなに儲かるんだ……」
美鈴が茫然と呟くと、翔太は短くため息をついた。
「儲かるけどな。その分、命がかかってる。昨日だってちょっと間違えればどっちかが死んでたぞ」
その言葉に、美鈴の背筋がひやりとした。そうだ。あの時は必死で気づかなかったけどよく考えたらとんでもなく危ないことをしていたんだ。ドラゴンの爪が翔太をかすめた瞬間だってあった。自分だってあと少し反応が遅れていたら、吹き飛ばされていたかもしれない。
「だから、あんまりやらない方がいいんだが……」
翔太は窓の外に目をやりながら言った。その横顔は、いつものだるそうなクラスメイトの顔じゃない。異世界で見せたあの大人びた探索者の顔だった。
「……ミギーに勝ちたいんだろ?」
翔太の声が、静かに教室に落ちた。
美鈴は封筒を握りしめたまま唇をぎゅっと結んだ。ミギー。あの白い髪と青い瞳の純血ドラゴン娘。自分を雑種と呼び、翔太を奪おうとしている相手。彼女に勝たなければ何も始まらない。
「……うん」
美鈴は小さくうなずいた。
「勝ちたい。絶対に勝ちたい」
「なら、金の話なんて気にしてる場合じゃねえだろ。次行くぞ今日の放課後も」
翔太はそう言って前を向いた。もう話は終わりだとばかりに、机の上に教科書を広げる。
美鈴は封筒を大切そうに鞄にしまいながら、心の中で何度も繰り返した。
(勝つんだ。私絶対に強くなって、ミギーに勝つんだ)
窓の外では、銀杏の木がほんのりと黄色く色づき始めていた。秋は深まりつつある。冬が来る前に決着をつけなければならない。
チャイムが鳴り教室にざわざわと生徒たちが集まってくる。その中に、ひときわ目立つ白い髪が見えた。ミギーだ。彼女は翔太の姿を見つけると、ぱっと表情を輝かせて近づいてくる。
「翔太、おはよう!」
「……おう」
「今日も一緒にお昼食べようね。唐揚げ多めに作ってきたの」
「勝手にしろ」
翔太の素っ気ない返事にもめげず、ミギーはにこにこと笑っている。そして翔太の後ろに座る美鈴の存在には、まるで気づいていないかのように視線も向けない。
(……負けない)
美鈴は静かに拳を握った。鞄の中で、十万円の入った封筒がかさりと小さく音を立てた。それは命がけの戦いの証であり同時に明日への特訓のための資金でもある。
九月の金曜日。週末を目前にした放課後美鈴と翔太は再び異世界ゲートへと向かうことになる。次はどんな魔物が待っているのか。それでも、美鈴の足はもう震えていなかった。




