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VS【森の守護竜】

 森の中の戦いは、続いていた。


「翔太、右!」


「わかってる!」


 美鈴の声に翔太が素早く反応する。【森の守護竜】の太い尾が空気を裂いて迫るのを翔太はぎりぎりのところでかわした。地面を転がるように回避して、すぐさま体勢を立て直す。革鎧に土と草の汁がこびりついていた。


 翔太は短剣を逆手に持ち替えると、ドラゴンの側面に回り込んだ。狙うのは硬い鱗の継ぎ目わずかに柔らかい部分だ。


「そこ!」


 短剣がドラゴンの前足の付け根を浅く切り裂く。緑色の体液が飛び散りドラゴンが痛みに咆哮した。その巨体が翔太に向き直り、ぎらつく目が獲物を定める。


(よし、こっちを見たな)


 翔太は口元をわずかに上げた。これでいい。ヘイトが自分に向いている。つまり美鈴への注意がそれたということだ。


「美鈴、今だ!」


 湖面を蹴るようにして美鈴が駆け出した。九月の涼やかな風が彼女のオレンジ色の髪をなびかせる。地面を蹴る足は力強く、一歩ごとに加速していく。尻尾がバランスを取るためにぴんと伸びその動きは陸上部のエースの名に恥じないものだった。


(私がやらなきゃ)


(翔太が信じてくれてる)


(翔太が作ってくれたチャンス、絶対に無駄にしない!)


 美鈴は拳を握りしめた。布鎧の胸元で防御の魔法陣がかすかに光る。彼女に与えられた武器は素手。ドラゴンの鱗を素手で殴るのは無謀に思えるかもしれない。でも、美鈴にはドラゴンの血が流れている。その拳は人間のそれとはわけが違う。


「てやあああっ!」


 美鈴の拳が、ドラゴンの後頭部に叩き込まれた。衝撃が空気を震わせドラゴンの巨体がぐらりと揺れる。痛みに吠えながら振り返ろうとするドラゴンに、すかさず翔太がもう一撃を加えた。


「まだだ、もう一発!」


「うん!」


 美鈴は地面を蹴って距離を取り、再び加速する。ドラゴンの爪が空を切るのを紙一重でかわし今度は側面から飛び込んで胴体に拳をめり込ませた。


 これを何度も繰り返した。翔太がヘイトを取り美鈴が隙を突く。息の合った連携だった。幼い頃からずっと一緒にいた二人だからこそできる、言葉にしなくても通じ合うコンビネーション。


 でも、それでも。


「はあっ……はあっ……」


「くそっ……しぶといな……」


 二人の息が上がり始める。翔太の革鎧には無数の擦り傷ができ、美鈴の布鎧も汗と土で汚れていた。額から流れる汗が目に入りそうになって美鈴は何度も腕で拭う。


(まだ倒れないか...でも、ドラゴンも弱ってるはず)


【森の守護竜】の動きが明らかに鈍くなっていた。最初はあれほど俊敏だった動きが今は一歩一歩が重い。咆哮にも力がなく、尻尾を振り回す速度も落ちている。緑色の体液があちこちから滲み出て地面に染みを作っていた。


「美鈴、次で決めるぞ!」


「わかった!」


 翔太が最後の力を振り絞ってドラゴンの正面に飛び込んだ。短剣を振りかざしドラゴンの注意を完全に自分に引きつける。ドラゴンが最後の力を振り絞って翔太に襲いかかろうとした、その瞬間。


「これで……終わりだあああっ!」


 美鈴はこれまでにない速度で駆け抜けた。自己ベストの6.2秒に迫る、いやそれ以上の全力疾走。風を切り裂き湖面に映る自分の影を追い越し、一瞬でドラゴンの背後に回り込む。


 跳んだ。


 空中で体をひねり、全身の力を右拳に集中させる。翔太が作ってくれたチャンス。一週間も塞ぎ込んで迷惑をかけた分。お母さんに酷いことを言ってしまった分。全部をこの一撃に込めて。


「うおおおおおっ!」


 美鈴の拳が、ドラゴンのこめかみに炸裂した。


 ドゴン、という重い音が森に響き渡る。【森の守護竜】の巨体がゆっくりと、まるで大木が倒れるように地面に崩れ落ちた。最後に小さく息を吐くような鳴き声をあげてそのまま動かなくなる。


 静寂。


 湖面を渡る秋の風だけが、そよそよと二人の髪を揺らしていた。


「はあっ……はあっ……やった……?」


 美鈴は肩で息をしながら倒れたドラゴンを見つめた。拳はじんじんと痛む。足もがくがくで、今にも崩れ落ちそうだ。でも心の中は達成感でいっぱいだった。


「やった……翔太、やったよ……!」


 振り返って翔太に笑顔を向ける美鈴。翔太も短剣を鞘に収めながら息を整えていた。革鎧はぼろぼろで、額には汗が光っている。


「ああ。やったな」


 翔太の口元が、ほんの少しだけ緩んだ。その表情を見て美鈴の胸がきゅんとなる。


(翔太が笑った)

(私のこと、ちゃんと見てくれてる)


 でも、それだけではなかった。美鈴は自分の体に違和感を覚えた。さっきまであれだけ疲れていたのになんだか体の奥底から力が湧いてくるような感じがする。息も落ち着いてきた。足の震えも、いつの間にか止まっている。


「あれ……? なんか……さっきよりもちょっと強くなったような気がする……」


 美鈴は自分の両手を見つめた。拳の痛みが引いていく。それどころか、握りしめた手にさっきよりも力がこもっている気がする。尻尾もなんだかいつもより元気に揺れているような。


 翔太は短剣をしまいながら、こともなげに言った。


「それが魔素を持つ魔物を倒して得る経験値ってやつだ」


「経験値?」


「ああ。ゲームでいうレベルアップみたいなもんだ。異世界の魔物には魔素ってのが宿っててな。倒すとその魔素が体に吸収されて強くなれるんだよ」


 翔太は倒れたドラゴンの方を見やった。巨体がうっすらと光を放ち始めている。魔素が空気中に還っていく現象だ。


「沢山の魔物を倒すと、ゲームみたいにレベルアップして強くなれる。まあそれが特訓ってわけだな」


「そっか……これがレベルアップ……」


 美鈴は自分の手を握ったり開いたりした。なんだか不思議な感覚だ。筋肉がついたわけでも新しい技を覚えたわけでもない。でも、確かにさっきよりも強くなっている。それが体の奥底で実感できた。


「私、強くなれるかな。ミギーに勝てるくらい」


「当たり前だろ。そのためにここに来てるんだ」


 翔太は美鈴の頭にぽんと手を置いた。さっきまで戦っていた時とは違う、優しい手つきだった。


「まだ始まったばかりだ。今日はこのくらいにして帰るぞ。無理すると明日に響く」


「うん……!」


 美鈴は大きくうなずいた。疲れているはずなのに、心は晴れ晴れとしていた。一週間ぶりに全力で走って戦って、勝った。その達成感が塞ぎ込んでいた心を溶かしていくようだった。


 湖面が夕陽に染まり始めている。九月の日は短くもうすぐ茜色の空が広がる頃だ。森の木々の葉も少しずつ色づき始めていて、赤や黄色の葉がちらほらと混じっている。


「翔太、ありがとう」


「なんだよ急に」


「だって、私のためにこんなことしてくれて……」


「気にすんな。俺がやるって言ったからやっただけだ」


 翔太はそっぽを向いて歩き出した。でもその耳がほんのり赤くなっているのを、美鈴は見逃さなかった。


(翔太、照れてる。かわいいなあ)


 美鈴は尻尾を嬉しそうに揺らしながら、翔太の隣に並んだ。ゲートへの帰り道森の中を二人で歩く。鳥のさえずりも、風の音もすべてが優しく二人を包み込んでいた。


「明日も来るのか?」


「もちろん! 私、絶対強くなるから!」


「ほどほどにな。お前、無理しすぎる傾向があるからな」


「翔太が言う? さっきだって無茶してたじゃん」


「あれは必要な無茶だ」


「もう、心配性なんだから」


 笑い合う声が秋の森にこだまする。倒したドラゴンの魔素が、キラキラと光の粒になって空へ昇っていくのを二人は見上げた。


 ゲートを抜けると、そこはもうすっかり秋の夕暮れだった。管理局の窓から差し込む光は茜色で現実世界の空気が肺を満たす。排気ガスも、遠くの車の音も今はなぜか心地よく感じられた。


「また明日な」


「うん。また明日」


 家路をたどる美鈴の足取りは軽かった。まだミギーに勝てるかはわからない。でも一歩ずつ前に進んでいる。その実感が、何よりも彼女の心をあたためていた。


 空には一番星が、ひとつだけ輝き始めていた。

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