直接
9月17日、水曜日。
九月も半ばを過ぎると、さすがに空気が変わっていた。朝晩はめっきり涼しくなり、通学路に並ぶ銀杏の木もほんのりと黄色く色づき始めている。教室の窓を開ければ、湿気の抜けた爽やかな風がカーテンを揺らした。夏服の生徒と冬服の生徒が半々くらいで、もうすぐ衣替えだな、と誰かが言っていた。
しかし、教室の一角だけは、まだ夏の熱を引きずっているようだった。
「翔太、今日のお弁当。卵焼き、ちょっと焦げちゃったけど」
ミギーが机の上に包みを広げながら、上目遣いに翔太を見つめる。白い髪がさらりと揺れて、甘い花のような香りが漂った。
「いらねえって言ってるだろ」
翔太は窓の外を向いたまま答える。
「でも昨日は食べてくれたじゃない」
「捨てるのももったいなかったからだ。食い物粗末にすんなってうちの親に言われてる」
「ふふ、翔太は優しいのね」
ミギーは嬉しそうに笑うと、翔太の机に卵焼きを置いた。実際のところ、ミギーの作る弁当はまあまあ美味かった。卵焼きは少し焦げているが味は悪くないし、唐揚げはちゃんと下味がついていて冷めてもジューシーだ。
それに彼女は見た目も普通に悪くない。むしろ美人の部類だ。白く透き通るような肌に、宝石みたいな青い瞳。すらりと伸びた手足に、優雅に揺れる尻尾。能力も血筋も文句のつけようがない、誰もが振り返る純血のドラゴン娘だ。
(なんでこいつが俺に入れ込むのか、自分でもよくわからねえ)
翔太は心の中でため息をついた。
「なあミギー」
「なあに?」
「お前、他に相手いくらでもいるだろ。なんで俺なんだ」
ミギーは小首をかしげて、しばらく考え込んだ。それから、にっこりと微笑む。
「翔太がいいからよ」
「理由になってねえ」
「理由なんて必要? 私が翔太を好きだってだけで十分じゃない」
ミギーはそう言って翔太の腕に抱きつこうとした。翔太はさっと身をかわして立ち上がる。
「お前な、何度も言ってるけど俺はお前を彼女にする気はねえからな」
「つれないわね。どうして? 私、翔太のどこがダメなの?」
ダメなところなんてない。見た目は美人だし、弁当は美味いし、能力も高い。でも。
「人のことをあれだけ馬鹿にした態度を取る女を、彼女にするのはごめんだ」
翔太の声が、少しだけ低くなった。
ミギーの笑顔が、ほんの一瞬だけ固まる。
「……雑種ちゃんのこと?」
「わかってるなら言うな」
「私はただ事実を言っただけよ。彼女はハーフで、弱くて、私に勝てなかった。それのどこが悪いの?」
「お前な……」
翔太は言いかけてやめた。言っても無駄だ。ミギーは美鈴を見下している。それはもう根深いところで染みついた価値観みたいなもので、簡単に変わるものじゃない。美鈴のことは何を言っても良いとさえ思っているようだった。
「軽い友達なら、まだ我慢できる。でも彼女は無理だ」
翔太はきっぱりと言い放つと、窓の外に視線を戻した。ミギーは口をへの字に曲げて「わかんないわ」と呟いている。
(それにしても……)
翔太はポケットからスマホを取り出した。美鈴とのメッセージ画面を開く。
既読は、つかない。
『体調どうだ』(9月11日)
『返事くれ』(9月12日)
『まだ熱あんのか』(9月13日)
『無理して返事しなくていいから、ちゃんと飯食えよ』(9月14日)
『今日も休みか』(9月15日)
『お前が来ないから、なんか学校がつまんねえ』(9月16日)
最後のメッセージにも、既読はついていない。小さな灰色のチェックマークが二つ並んでいるだけだ。
(美鈴の母さんからは返事が来るんだよな)
玲香からの返信は簡素だった。『心配かけてごめんね。美鈴はまだ寝てるの』『熱はないんだけど、なかなか起き上がれなくて』。少なくとも生きてはいる。でも、それだけだ。
(一週間だぞ)
翔太は眉をひそめた。美鈴が学校を休むなんて、風邪で熱を出した時ですら一日か二日で戻ってきていた。それが一週間だ。しかも熱があるわけでもないのに起き上がれないという。
(あいつのことだ。多分、あの勝負のことで落ち込んでるんだろうな)
(だとしても、一週間は長すぎる)
(何かあったのか)
(それとも、まだ何か悩んでるのか)
授業が終わっても、翔太の心は晴れなかった。ミギーが何か言ってきても生返事でかわし、放課後になるとさっさと鞄を手に取った。
「翔太、今日一緒に帰らない?」
「悪い。用事がある」
翔太はミギーの誘いを断って、教室を出た。廊下には陸上部の生徒たちが練習に向かう姿が見える。その中に美玲の姿はない。もう一週間もいないから、みんな慣れてしまったようだった。
(慣れてたまるか)
翔太は歩きながらスマホを取り出して、もう一度美玲にメッセージを送った。
『今からお前んち行くからな』
やはり既読はつかない。でも構わなかった。
外は秋の空気が澄んでいて、風が気持ちいい。少し前まであんなに暑かったのが嘘みたいだ。銀杏並木を抜けて、住宅街に入る。美玲の家は昔から変わらない一軒家で、庭には美玲が小さい頃に植えたひまわりがまだ名残惜しそうに咲いていた。
チャイムを鳴らす。ピンポーン、という軽やかな音が家の中に響いた。
「はーい」
ドアを開けたのは玲香だった。少しやつれたように見える。
「翔太くん」
「美玲、いますか」
「ええ、二階の部屋にいるけど……」
「上がってもいいですか」
「もちろんよ。美鈴も翔太くんが来たら、少しは元気出すかもしれないし」
玲香は少しだけ微笑んで、翔太を家に上げた。翔太は靴を脱いで、階段を上る。一段一段踏みしめるように、ゆっくりと。
(一週間も何してんだ、あいつは)
(心配させやがって)
美玲の部屋の前に立つ。ドアは閉まっていた。ノックを三回。
「美玲、俺だ。入るぞ」
返事がないのを確認して、翔太はドアを開けた。




