母へのプレゼント
春の日はまだ落ちるのが早く、翔太のバイトが終わる頃には空はすっかり藍色に染まっていた。コンビニの裏口から出ると、駐輪場の隅で美玲がスマホをいじりながら待っている。
「おまたせ、翔太!」
「待たせたのはお前だろ。まだ部活やってたのか」
「うん、ちょっとだけ自主練してた。それより早く行こ! デパート八時までだよ!」
美玲は翔太の腕を引っ張るようにして歩き出す。ジャージから制服に着替えているが、首にはまだタオルがかかっていた。春の夜風が二人の間を抜け、街路樹の若葉をそっと揺らす。
駅前のデパートは、閉店間際とあって人影もまばらだった。一階の化粧品売り場は、華やかな照明と甘い香りに包まれている。翔太は場違いな空気に気圧されて、入口で足を止めた。
「……なんか、こういうところ初めて入る」
「私もあんまり来ないけど、大丈夫だよ。翔太、奈々穂さんに何あげたいか決めてるの?」
「一応、美容院で使うようなやつがいいかなと思ってる。母さん、髪長いし、よく手入れしてるから」
翔太がそう言うと、美玲はぱあっと顔を輝かせた。
「いいじゃん! じゃあトリートメントとか? あと、化粧品コーナーも見てみようよ。奈々穂さん、お肌もきれいだし、そういうの喜ぶと思う」
二人は売り場の中を恐る恐る歩き始める。色とりどりのパッケージが並ぶ棚の前で、翔太は完全に立ち往生していた。
「トリートメントって、どれがいいんだ……」
「えーとね、これは普通のやつで、こっちがちょっと高めのシリーズ。あ、これ美容院専売品だって。高いけど効果ありそう」
美玲が棚の前でしゃがみ込み、商品を手に取っては説明書きを読んでいる。翔太はその横で、値札を見てひそかに冷や汗をかいていた。
「美玲、これ四千円もするぞ」
「でも奈々穂さんの髪、すごくきれいだし、それに見合うものあげたいでしょ? 翔太、バイト代どのくらい貯めたの?」
「……二万ちょっと」
「じゃあ全然いけるよ! トリートメントと、あとこれ! この化粧水、口コミで評判いいんだって。香りも春らしくて奈々穂さんに似合いそう」
美玲が手に取ったのは、桜をモチーフにした限定パッケージの化粧水だった。淡いピンクのボトルに、金のラインが控えめに入っている。
「お前、こういうの詳しいんだな」
「女の子だもん。翔太よりはちょっとだけね」
美玲は得意げに笑って、その化粧水を翔太に手渡した。翔太はしばらくボトルを眺めてから、値段を確認する。トリートメントと合わせて、合計七千円ほど。バイト代の三分の一が飛ぶ計算だ。
「……これにする」
「え、決めるの早い! もっと悩まないの?」
「母さんが喜ぶ顔が早く見たいからな」
翔太はぶっきらぼうにそう言って、レジへ向かう。その後ろ姿を見ながら、美玲は胸のあたりがじんわりと温かくなるのを感じた。
「翔太って、ほんと奈々穂さん想いだよね」
「うるさい。お前は何買うんだよ」
「私はねー、翔太と色違いのヘアオイルにしよっかな。奈々穂さん、お揃いのほうが嬉しいかなって」
「勝手にしろ」
翔太は照れ隠しのように顔を背け、レジで商品を差し出した。店員が丁寧にラッピングしてくれるのを、美玲は隣でわくわくしながら見つめている。
「プレゼント用ですか?」
「はい、母親に」
翔太がそう答えると、店員は微笑んで桜色の包装紙を選んでくれた。美玲はその様子をじっと見ながら、自分の分のヘアオイルも差し出す。
「私のもこれで。友達のお母さんにあげるんです」
「まあ、お二人とも素敵ですね。お母様、きっと喜ばれますよ」
店員の言葉に、翔太は無言でうなずき、美玲は嬉しそうに尻尾を揺らした。
デパートを出ると、外はすっかり夜だった。春とはいえ、夜風はまだ冷たい。マンションまでの帰り道、美玲は紙袋を大事そうに抱えながら、翔太の隣を歩く。
「翔太、遅くなったけど奈々穂さんに怒られない?」
「……たぶん、ちょっと遅いって言われる」
「だよね。どうしよっか」
翔太は少し考えてから、美玲の顔を見た。
「お前、さっきゲーセンで遊んでたってことにしてくれ。写真とか撮ってるか?」
「え? あ、あるよ! この前、部活の子たちとゲーセン行った時の写真!」
美玲はスマホを取り出し、画面をスクロールさせる。そこにはクレーンゲームの前でピースをする美玲と陸上部の仲間たちの姿があった。
「これ、日付は先週だけど、今日のってことで送るね。あとで奈々穂さんに見せればいいでしょ」
「助かる。ありがとう美鈴」
翔太は素直に礼を言った。美玲は驚いたようにまばたきしてから、にまにまと笑う。
「翔太が素直に『ありがとう』って言った!」
「……今のはなかったことにしろ」
「やだ! 一生忘れない!」
マンションの灯りが見えてくる。翔太は少しだけ歩く速度を落とし、美玲もそれに合わせた。
「じゃあ私、ここで。奈々穂さんにばれたら大変だし」
「わかった。今日はありがとうな」
翔太は小さく手を上げて、マンションのエントランスへ向かう。美玲はその後ろ姿を見送りながら、心の中でそっと思う。翔太、いい顔してたな、と。
家に着くと、リビングから奈々穂の声が飛んできた。
「しょうちゃん! 遅かったじゃない。バイトはとっくに終わってる時間でしょ?」
「悪い。美玲がゲーセン行こうってうるさくて」
翔太は靴を脱ぎながら、あらかじめ美玲から送られていた写真をスマホで見せる。奈々穂は画面を覗き込んで、ふふっと笑った。
「あらほんと。美玲ちゃん、楽しそうね。でもここにしょうちゃんは映ってないわね。...しょうちゃんもちゃんと付き合ってあげたの?」
少し疑り深いが大丈夫だろう。
ここは適当に相槌を打つ。
「まあな」
「えらいえらい。ご飯まだ温かいわよ。手を洗ってらっしゃい」
奈々穂は機嫌を直してキッチンへ戻っていく。翔太は内心ほっと息をつき、紙袋をそっと自分の部屋に隠した。
プレゼントは、ちゃんと当日まで隠しておこう。そう思いながら、翔太は手洗い場へ向かった。春の夜はまだ少し冷えるが、心はどこか温かかった。




