ドラゴンメイドの仕事
春の昼下がり、都内でも指折りの高級住宅街の一角。黒塗りの外車が行き交う静かな通りに面して、その屋敷は建っていた。白亜の外壁に蔦が美しく絡まり、門扉の前には季節の花々が咲き誇っている。インターホンが鳴ると、門の向こうから執事らしき男が現れ、丁寧に頭を下げて来訪者を迎え入れる。
「お待ちしておりました、井上様。本日もよろしくお願いいたします」
「こんにちは。今日もよろしくお願いしますね」
にこやかに微笑むのは、青い髪を上品にまとめ上げた井上奈々穂。頭の立派なドラゴンの角と、紺青の鱗が光る尻尾を除けば、どこからどう見ても完璧なメイドだ。身に着けているのは、この屋敷の主人が奈々穂専用に仕立てさせたという漆黒のロングメイドドレス。白いフリルのエプロンが、春の柔らかな光に映えている。
「奥様はサンルームでお待ちです」
「ええ。うかがいます」
奈々穂は迷いのない足取りで屋敷の中へと進む。磨き抜かれた大理石の床に、彼女の静かな足音だけが響く。大きな窓の外では、満開の桜が風に揺れ、庭の池の水面に花びらが落ちては消えていく。
「ごきげんよう、奈々穂さん。今日も来てくれてありがとう」
サンルームでは、この屋敷の夫人が白いガーデンテーブルにつき、紅茶を飲みながら待っていた。
「ごきげんよう、奥様。本日は春らしい陽気で、サンルームがとても気持ちがいいですね。お変わりありませんか?」
「ええ、おかげさまで。今日はね、来月のガーデンパーティーのことで相談したいの」
「承知しました。まずはお茶を淹れさせてください」
奈々穂はそう言って、手際よくティーカートに用意された茶器を確認する。その動作の一つひとつが、まるで舞台のようだった。茶葉の香りを確かめ、ポットの温度を手のひらで測り、静かに湯を注ぐ。青い尻尾がバランスを取るようにしなやかに揺れる。
「……相変わらず、美しい所作ね。いくら見ていても飽きないわ」
夫人がうっとりと息をつく。奈々穂は微笑みながら、透き通った紅茶をカップに注いだ。
「ありがとうございます。奥様にそう言っていただけるのが、何よりの励みです」
彼女が淹れたダージリンは、春の陽気に似合う爽やかな香りを部屋中に広げた。夫人が一口飲んで目を細める。
「本当に、あなたをお雇いできてよかった。今日はね、庭のバラの手入れも少し見てほしいの」
「ええ。私でよろしければ、喜んで」
奈々穂がにこやかに応えると、夫人は嬉しそうに頷いた。二人はしばらく、パーティーの招待客や料理の打ち合わせに花を咲かせる。奈々穂は時に相槌を打ち、時に提案をしながら、細やかな気配りで話をまとめていく。
昼過ぎになると、彼女は庭に出て、バラの枝の剪定を始めた。庭師もいるのだが、夫人が「奈々穂さんの手入れしたバラはなぜか花つきがいいのよ」と言って、毎年この季節に頼んでいるのだ。
「ドラゴンの加護、なんて言われるけど、本当に不思議ねえ」
庭の隅で夫人が笑う。奈々穂は白い手袋をはめた手で、枯れ枝をそっと取り除きながらくすりと笑った。
「私はただ、花と少しだけお話ししているだけですよ」
「まあ! やっぱりそうなの?」
「ふふ、内緒です」
春風が庭を抜け、奈々穂の青い髪とエプロンの裾をそっと揺らす。彼女の角と尻尾が、木漏れ日の中で神秘的な光を放っている。屋敷のスタッフたちも、庭師も、近所の住人たちも、彼女が来る日はなぜか屋敷の空気が違うと口を揃える。それが本当にドラゴンの力なのか、それとも彼女の人柄によるものなのかは、誰にもわからない。
夕方近くまで仕事を終えた奈々穂は、夫人に丁寧に挨拶をして屋敷を後にした。
「また来週、よろしくね」
「はい。奥様もお体を大切に。パーティーの準備、楽しみにしていますね」
門の前で深くお辞儀をし、彼女は春の夕暮れの中へと歩き出す。今日も完璧な仕事ぶりだった。それでも彼女の胸にあるのは、家で待つ翔太のこと。帰り道、商店街で翔太の好きな惣菜を買おうか、それとも今夜は手の込んだものを作ろうか。青い尻尾が、心なしか弾むように揺れていた。




