第6章 理解しがたい訪問
三日目の朝、宿を変える必要があった。
信用がない。
失脚した宰相家の息子が泊まれる宿は、限られている。
前世で言うなら、ブラックリスト入りみたいなものだ。
わかりやすい。最悪にわかりやすい。
荷物をまとめながら、俺は帳簿を開く。
手元の資産。
残り日数。
選択肢。
数字は正直だ。
正直すぎて、目を背けたくなる。
「レオン様」
声がした。
振り向く。
アリサだった。
王宮会計局長の印章は外している。
それ以外は、いつも通りだ。
無表情。整った身なり。
そして、一冊の帳簿。
「なぜここに」
「調べました」
即答。
事務。
個人情報の管理について、前世の俺が一言申し上げたい。
だが黙った。
「……何の用だ」
アリサは帳簿を開いた。
王都市場、過去三年分の穀物取引記録。
見覚えがある。
いや。
「これは」
「差分です」
差分。
俺は帳簿を覗き込む。
報告数量と実取引量。
その間に、細い川が流れている。
小さい。
一見して気づかない。
だが三年分を並べると、見える。
意図がある。
「……誰かが、絞ってる」
「凶作の前から、です」
俺は顔を上げる。
アリサは俺を見ている。
「税制の設計上の問題ではありません」
静かな声だ。
だが、その言葉の重さは静かではない。
「つまり」
「宰相家が設計した制度は、正しく機能していました」
俺は三秒、黙った。
三秒で十分だった。
「……なぜ俺に」
「前世の記憶をお持ちでしょう」
俺は固まる。
「知っていたのか」
「推測です」
「根拠は」
「帳簿が、正直すぎました」
アリサは少しだけ視線を落とす。
「この王宮で、監査の目を持って帳簿を作れる人間は、限られています」
俺は天井を見た。
この女は、最初から気づいていた。
婚約した日から、たぶんずっと。
「……婚約解消書」
「無効です」
即答だった。
「署名しただろう」
「書類の内容を確認しただけです。合意はしていません」
詭弁だ。
だが会計局長が言うなら、法的に通る。
最悪だ。
「合理的ではないな」
「感情的に合理的です」
初めて聞く言葉だった。
表情は変わらない。
ただ、耳の先が、ほんの少しだけ赤い。
俺は黙った。
アリサは帳簿を閉じる。
「差分を追います」
「俺を使うつもりか」
「お願いします」
お願い。
この女の口から、その言葉が出た。
俺の前世の記憶が、静かになる。
珍しいこともあるものだ。
「条件は」
「名誉回復を、数字で証明します」
俺は窓の外を見た。
王都の朝は、まだ薄暗い。
市場はもう動いている。
どこかで、誰かが数字を動かしている。
「……わかった」
俺は荷物を置いた。
宿を変える必要が、なくなった。
不幸な男だ、俺は。
数字のモンスターに、口説かれている。
しかも、それが嬉しい。




