8.ギールの夢と『第二王子』
『私の夢は、国の治水を変えることですの』
マリア・ゼノア公爵令嬢か……
そういえば、どうして治水なのか聞けなかったな
図書館から高等部へ戻る道すがら、驚くような夢を教えてくれた彼女のことを思い出していた。
彼女には知らないふりをしたけれど、ギールは以前から彼女のことを知っている。
なぜなら、王家の人間で、ゼノア公爵家のことに詳しくないものはいない。
血が近いというだけでなく、非業の死を遂げた、彼女の祖母アンジェリカ様が、国王であるお祖父様の姉だからだ。
僕ら王家の子ども達は、学園入学前に必ず、大伯母のアンジェリカ様に起こったことを教えられる。
人を簡単に信じ過ぎないように
己の欲に任せて愚かな行いをしないように
それから
自分の行いが、どれほど影響を及ぼすのかを学ばせるために
でも僕は、もうひとつ教えられた
双方に愛のない関係が酷い結果を生むことを
そのせいか、女の子にも興味をもつことがほとんどなかった。
だから、図書館に住み着く妖精のように、いつもそこにいる女の子の噂を聞いた時も、どうでもいいと思っていたのだ。
だが、その女の子が、幼い頃から仲の良かった自分の側近を蹴って、兄、第一王子の側近を望んだステファンの想い人、マリアだと知って、急に興味が湧いた。
◇
5年前、ステファンは『第一王子の側近になる』と、平然と僕に告げる。
彼と同い年で、兄よりずっと仲が良かった僕を蹴って、彼が兄を選んだことに、ひどく傷つけられた。
確か、その日からだったな、ステファンと疎遠になったのは
そのステファンが、マリアを諦めたと聞いて気になったのが、図書館に行った本当の理由だった。
マリアと婚約すれば、ステファンに意趣返しが出来るという黒い気持ちがあったことも否定しない。
でもマリアは、僕のそんな気持ちを跳ね返すほど、自分の夢に一生懸命な女の子だった。
僕は何てことを考えていたんだ
恥ずかしくて堪らない
僕はいつから、あんなことを考えるようになってしまったのだろう
時々王城にやって来るステファンと遊んでいた頃には、マリアのように自分にも夢があったことを思い出す。
その夢を、熱く彼に語った日のことも。
その頃の僕の世界は光に満ちていて、ステファンが必ず自分の側近になってくれると信じていたし、兄とも仲が良かった。
だが、彼は僕を裏切って今も兄の側にいる。
民の為に立派な王子になるんだと言った僕に、『絶対になれ、僕が手伝ってやるから』そう言ってくれたのに。
ああそうか、その時だ
第二王子である自分が、2歳上の兄、第一王子のスペアでしかないことに気づいたのは
第二王子という立場だって、兄に子どもが出来るまでのものでしかない。
子どもが生まれたら、臣籍降下して兄に仕え続けるだけだ。
それなのに、自分の子すらも、兄の子のスペアとして生きていかなければならない。
僕の人生そのものが兄のスペアだ
ステファンの裏切りで、そう思い知ったのだ。
兄ほどの重圧がない代わりに、恩恵もなく期待もされない『第二王子』という立場。
けして兄を蹴落とそうと思ったことはない。
自分の家は『王家』で、ただの家庭ではないのだから
王家の揉め事は即、民の暮らしに影響してしまう。
兄弟争いなどしようものなら、たちまち貴族達に担ぎ上げられ、第一王子派と第二王子派に国が割れてしまうだろう。
スペアだと知ったその日から、ギールは兄より秀でず、かつ僅かに劣る優秀さを示すことに注意して生きている。
民を守りたければ、ただ大人しく自分の運命を受け入れるしかないのだ。
それがわかっていても、心が沈むのはどうしようもない。虚無感に襲われるうち、ギールは何もかもがどうでもよくなってしまっていた。
いつの間にか兄との会話も減って、自分の夢も諦めていたことに気づいたのは、いつだったか
夢を叶えようと頑張っているマリアと話しているうちに、ずっとステファンに拘っている自分が馬鹿らしくなってきていた。
『自分が叶えようと行動すれば、夢は計画になる』
忘れたはずの夢を引き摺り出し、叶えろと彼女の言葉がギールの胸を叩いてくる。
「そうだよな。第二王子であることが僕のすべてではないはずだ」
今からでも遅くはないはず
もう一度、気象の研究者を目指すんだ
そして、幼い頃に夢みた、季節や天候の影響に負けない農業を国中に広めていこう
どんなことがあっても、民が飢えたりしないように
ああ! 何て楽しいんだ!
久しぶりにワクワクしている自分がいた。
もう一度図書館に行こう
マリアに会って、夢の続きを聴かせてもらうんだ
そして、僕の夢も彼女に聞いてもらおう
彼女なら、どんな夢だってきっと嗤ったりしない
5年前から雨を気にするときにしか見上げてこなかった空が、鮮やかなコントラストで僕を歓迎していた。
翌日から、ギールの図書館通いが始まる。
それとともに、彼とマリア・ゼノア公爵令嬢との噂が、学園中に広まっていった。
ここにも、親の因果を背負わされた子どもがひとり。
次回は、ふたりの母親の子どもへの教えです。




