7.マリアの夢とギール殿下
「君がマリア・ゼノア嬢かな?」
肩を叩いたのは、きらびやかなお顔をした、皇太子の二番目のお子、ギール殿下だった。
留学していらっしゃったから、殿下とまともに顔をあわせるのは初めてかもしれないわ
2ヶ月後、今上陛下が皇太子に譲位されるので、もうすぐ国王陛下の第二王子となられる。
だが、すでに第二王子と呼ばれているので、マリアもそうお呼びしていた。
「第二王子殿下、申し訳ございません。少々考え事をしておりました」
慌てて、略式のカーテシーをして取り繕う。
「なんだ、考え事か。何度も声をかけたのだけど、まったく反応がないから心配したよ」
「申し訳ございません」
「いや、何ともないならいいんだ」
「それでは、何かご用でしたでしょうか? 」
「ここは高等部との共用の図書館だろう? いつ行っても同じ令嬢がいるという噂を聞いて、試しに来てみただけなんだ。物見高くて申し訳ない」
「とんでもございません。本当のことですもの。休憩時間や放課後も、大抵ここに来ていますので」
「そんなに本が好きなのかい? 」
「少し違いますわ。私には夢がございまして、その夢の為に役立つ文献を探して研究しておりますの。もちろん、本が好きなのも本当ですけど」
「君の夢? 」
「はい。いけませんか? 」
言外に、女性の君が?と言われた気がして、つい言い返してしまった。
「いや? つい尋ねてしまっただけだよ
大抵の女性からは、結婚以外の夢を聞いたことがなかったから
気を悪くさせたのなら申し訳ない」
やってしまった
早とちりで殿下に謝罪させるなんて
「こちらこそ、申し訳ございませんでした」
「いいんだ、気にしな…………いや、気にしてくれ
お詫びにギールと呼んで欲しいな
それから、そこまで懸命になれるその夢も教えて貰えるかな? 」
マリアの夢を催促するギール殿下は、茶目っ気たっぷりで、とても魅力的だ。
既にお相手が決まっている第一王子と違って、婚約者のいないギール殿下は、令嬢達の憧れのひとりらしい。
もうひとりの憧れの的がステファンだというから、令嬢達も目が肥えていると思う。
マリアのお薦めは、当然、兄のように慕ってきたステファンだ。
ステファンも格好いいけれど、こんな風に微笑まれたら、ギール殿下を好きになってしまうわね
そう思いながらも、自分の胸がまったくといっていいほど波立たないことに、マリアは驚いた。
「ほら、聞かせてくれないか? 君の夢を」
「笑いませんか? 」
「まさか。人の夢を笑うほど、ご立派な人間ではないよ」
「王子殿下が何を言うんだか」
「え?」
いけない!
言葉遣いを間違えたわ!
「いいえ? 何でもございませんわ。殿下の夢なら、きっと素晴らしいに違いないと申し上げただけですの」
「そうなのかい? 僕の夢なんて大したことないよ。だから君の夢を聞きたいな」
良かった。誤魔化されてくれた!
「わかりました。でも、私の夢をお聞きになるのなら、ギール殿下の夢も教えてくださらないと不公平ですわ」
「本当に大したことないんだ」
「それでもですわ」
「困ったな、君も笑わないと言うのなら話すけど」
「わかりました。誰にも話しません」
「約束だよ? 」
「もちろんです。殿下もですよ? 」
「わかっている」
いつの間にか、ふたりで向かい合わせになって座っていた。
「私の夢は、国の治水を変えることですの」
「何だって?!」
「お声を小さく! 内緒と約束したではないですか」
「すまない。でも、治水を変えたいなんて壮大な夢だな」
「殿下もそう思われます? 」
「ああ。いい方に変えられたのなら、国の歴史に間違いなく君の名前が遺るだろうな」
そうよね! 殿下が仰るなら間違いないわ
「そんなに名前を遺したいのかい?」
「え?」
「治水のことを話しているときよりも、名前が遺ると聞いたときの方が嬉しそうだったから」
「そうですか? 自分ではよくわからないのですが」
「そう思うよ。それより、どうして治水を変えようと思ったの? 」
「笑わないでくださいね? 」
「意外にしつこいな」
「誰にもまだ話したことがないので…………幼い頃の話なのです。
凄いことをしなくちゃという強迫観念のようなものがあって、母が作る以上の香水を作ろうとしたのですが、挫折しました」
「どうしてそんな強迫観念が? 」
「わかりません。覚えていないのです。でも、凄いことをしなければならないという気持ちだけは、ずっと残っていて……今も消えないのです」
「挫折した理由は? 」
「兄も一緒に香水を作っていたのですが、才能の差に絶望してしまい、諦めました」
「確か、ブーケシリーズだっけ? 若い女性に人気のあの香水は、ジェリス君の作品だったね」
「はい。兄は、花の組み合わせにとてもセンスがあって、ブーケといっても華やかだったり、おしとやかな感じだったり、いろんなブーケの香水が作れるのです」
「それは凄い、人気が出るわけだ。もしかして、だから花の貴公子? 」
「ええ。父が花公爵、母は花の公爵夫人と呼ばれていて、兄もそう呼ばれるようになりました」
「私はてっきり、花のように美しいからだ思っていたよ。実際、フレデリカ夫人に似て、ジェリス君は華やかな顔立ちだからね」
「兄に、お褒めいただいたと伝えておきますわ」
「やめてくれ。何を言われるかわからない」
「どうしてですの? 兄は喜ぶと思いますけど」
「…………ジェリス君は君に優しいのかい? 」
「もちろんですわ。私、兄に怒られたことが、たったの2回しかないのです。どちらも怒られて当然でしたし」
「そうか。妹の君まであいつの…………」
「殿下? 」
「何でもない。仲が良くて羨ましいと言ったんだ」
「殿下はごきょうだいと仲がお悪いの? 」
いけない、まただわ!
殿下のプライベートに立ち入り過ぎよ
お怒りにならないといいのだけど………
微かに強張った殿下を窺うと、すぐに笑顔を浮かべてくれた。
「さぁどうだろうね? 」
怒ってはいらっしゃらないけど、詮索するなということね
殿下がお優しい方で助かったわ
「次は、殿下の夢を教えてくださる番ですわ」
話題を変えたくて、夢の話を続けようとしたけれど、明らかに殿下の纏う空気が変わっていた。
「大した夢ではないから。どのみち、私の夢は夢のままで終わるよ」
そう言いながら、ギール殿下が立ち上がる。
「そんなことありません! 叶えようと動けば、夢は計画になるのですわ」
「君の夢は叶うといいね」
マリアを見下ろして、寂しそうに笑う殿下には、もう教えてくださる気配はない。
「ギール殿下……」
「そろそろ行くよ。楽しかった、ありがとう」
お手本のような笑顔で殿下は去っていった。
約束したのに教え損になっちゃった……
「私も帰らなくちゃ」
去り際の殿下のお顔が気になって、ぼうっと扉を見つめていたマリアが、急いで図書館をあとにする。
殿下と自分しか残っていないと思っていた図書館に、別の人間がいたことをマリアは知らない。
ひとりは、ギール殿下と話すマリアを見つめ、顔を歪めて苦しんでいる。
そして、王子が去ったあとも扉を見つめている彼女の姿に、堪えられないというように目を逸らす姿は、いっそ哀れだった。
ギール殿下の登場。
図書館のふたりのうち一人は、もちろんステファンです。
次回は、ギール殿下の心情が語られます。




