第十九話「読子と死の神」
私はいつの間にか、くすんだ紫色をした不安な空の下に立っていた。
右手にそびえ立つのは黒レンガの建物。奇妙なほどに人の気配が全くしない。
いつもは騒がしい同級生の声に辟易していたはずが、今はそんな声も恋しいほどに、私の心を寂しさが占領し始めていた。
その無機質な黒い建物は人が入ってくるのを拒むようにそびえ立ち、真っ暗な窓は私の恐怖を投影していた。
誰もいない公共施設というものは、廃墟に似た独特の魅力を感じる。
私は何かに魅入られたように、建物の階段を登り、中に吸い込まれていった。
驚いたことに、中は学校の校舎のような作りになっていた。
外見からは刑務所だか強制収容所にしか見えない建物が、中は普通の学校なのである。
校舎の中は薄暗く、かろうじて廊下を歩けるほどの明るさしかなかった。
校舎の作りからして、小学校か中学校だと思われるが、暗いのでよくわからない。
今にも誰かが飛び出てきそうな異様な静寂が場を支配していた。
ここがどこなのか。何故ここに来たのか。記憶の糸を辿らなければ、脱出への道は開かれない。
私の脳内の九割は言語でできてるから、『キーワード』が頭の中をよぎれば、そこから連想して記憶が蘇るに違いない。
私はしらみつぶしに教室を見まわっていく事にした。
恐る恐る教室の前にかかっている室名札を読んでいく。
音楽室、視聴覚室、美術室………………ん?美術室?
美術という言葉に私は何か引っ掛かりを感じた。
「美の術……確か私はすごく化粧の濃い人を訪れていたような気がする」
妙な所から連想が発展したが、とにかくも私は美術部の中に入ってみることにした。
薄暗い中、中の様子を確認すると、中央のイーゼルに一枚の絵がかかっていた。
どこにでもあるような子供が笑っている絵だ。
だが異様なのが、その傍に死神のようなものが描かれている点だ。
そしてその死神は鎌を持って、手前の子供の首を刈り取っている。
子供は笑顔のまま首だけがちょん切れている……
「奇妙な絵やな……」
誰がこの呪われたような絵を描いたのだろうか。
『呪』という字から、私の頭の中にまた一つ記憶が蘇ってきた。
確か私は『呪術部』を訪れていたはずだ。
私は文化部統括をかけて、炎天学園でどんどん勢力を広げている呪術部と戦う為に、教室に足を踏み入れた。
それが何故かこんな所に飛ばされてきたのだ。恐らくは呪術部の仕掛けた罠にかかったのだろうが、生憎教室に入ってからの記憶が全くない。
私は思考を整理してみる事にした。
炎天学園に存在していた『オカルト研究会』が力を付けて呪術部となる事ができたのは、蕪木君が起こしたデーモン事件がきっかけだ。
あれからオカルト研究に興味を持つものが現れ、異能が発現した者も含めてこぞってオカルト研究会に入会していった。
そしてそれはいつの間にか呪術部として強大な力を持つようになった。そのキーパーソンが……
そうだ!私は呪術部部長の凶原愛と話していたんだ!
そしたらいつの間にか体に力が入らなくなって倒れた……
「まさかここは……死後の世界!?私死んでもたん!?」
私がふいに大声を出すと、それに応じるように美術室の奥から声がした。
「半分正解」
机の上に乗ってこちらを見ていたのは、呪術部部長の凶原愛だった。
凶原さんは足を組みながら、化粧で綺麗に整えられた顔をこちらに向けた。
こんな悪魔的な女でも、人がいてくれた事に不思議と安心してしまうのだから、心とは不思議なものである。
むせ返りそうな香水の匂いを放ちながら、凶原さんは話し始めた。
「ここは辺獄。現実と死後の世界の中間地点と言った所ね。ここに長くいれば、例え生者の魂であっても死後の世界に連れて行かれてしまう」
「これがあなたの能力?」
「いいえ。これは私の作り出した世界ではない。私はただ世界を繋いだだけ。あなた自身が『この空間の存在理由』を探し当てない限り、出る事はできない。いや、探し当てた所で出られるとは限らない。そんな場所よ。そしてタイムリミットはいつやってくるかも分からない。私が見たところ、あなたみたいな如何にも無個性の女子は精神世界の闇が生んだ化物に食い殺されるのがオチでしょうね」
私はその言葉にカチンと来て、つい反射的に言い返してしまった。
「私が見たところ、あなたみたいな化粧の濃い人は、化けの皮が剥がれて不幸になるのがオチやな」
「あら、化粧も呪術よ。なぜなら仮面は昔から女を美しくする芸術品なのだから。そんな事も知らないお子様のあなたに、この呪術のトリックが解けるかしら」
私達の間に沈黙が走った。
凶原さんは表情も変えずに、ただ退屈そうに窓の外を眺めて、ため息をついた。
「こんな息の詰まる所に長居するつもりはないわ。じゃあ、あなたに脱出する能力がある事を期待しているわ」
凶原さんの髪に貼り付いた御札が光ったかと思うと、凶原さんの体が光に包まれて、次第に消えていった。
私は『能力』という言葉を聞いて、最も大事な事を思い出した。
「そうや……大事な事を忘れとった。私には能力があるんや!ビジョンを使えば簡単にこんな所から出られるはず!」
私は右目を凝らし、思念体視野を発動した。
が、それはほぼ真っ黒の不穏な景色しか映し出さなかった。
試しに自分の手を見てみると、私の手が映っていなかった。
「アストラルビジョンの中では黒色は霊のはず……つまりここは幽界のどこかという事になるな。まあ辺獄という事は分かっとるから、あまり目新しい情報ではないけど……」
続けて私は左目を凝らし、魂体視野を使った。
エーテルビジョンを使えば人間は青い魂の炎で判別する事ができる。
「反応なし、か……まあエーテルビジョンは範囲が狭いから、まだ誰もおらんとは限らん」
私はこれまで得た情報を整理してみる事にした。
「ここは辺獄。凶原さんが脱出という言葉を使っている辺り、恐らく私やない誰かの死後世界の中におるという事になる。それが学校という事は、死んだのは学生である可能性が高い。
外観が強制収容所のように見えたのは、恐らくその学生の学校に対するイメージや。つまりいじめられていたか、不登校やった可能性が高い。美術室に飾っていた絵は、よく分からんけど、死を夢想していたのは確かや。自殺の線が強いな」
自殺した魂はどこに向かうのだろうか。私は深く考えた。
そういえば親より先に死んだ子供は賽の河原で石積みをする、という言い伝えがあったはず。
でも積まれた石の塔は、時々鬼が来ては壊していくので、永久に終わる事はないという……
「!?」
その時、どこからかゴゴゴゴゴという地震のような音がした。
それは次第に大きくなり、やがて砂埃と轟音を伴うようになった。
砂埃の中、天井からレンガが一つ私の足元に落ちてきた。
「学校が……壊れる!?」
私はとっさに思想召喚でヤング・アーサーを呼び出した。
城の崩壊からお姫様を救うアーサーのストーリーを脳内にイメージし、それを即座に具象化させたのだ。
相変わらず派手な真紅の鎧を纏ったアーサーは、名剣カリバーンを使って落ちてくるガレキを弾きながら、私を学校の外に連れ出してくれた。
学校の外に出ると、校舎が崩壊したガレキの山がフッと消え、私の視界には一面石に覆われた河原と傍に流れる小川だけが映った。
「ここは賽の河原やったんか……学校は幻?」
私がふと横を見ると、小川の横で黙々と石を積む少年が座っていた。
手は血まみれで、顔は今にも倒れそうにゲッソリとしており、体中は汚れていた。
「君が石を積んで、あの学校の幻影を作ったんやな」
私はできるだけ優しく声をかけたが、その少年は恨めしそうにこちらを睨むばかりで、何も答えなかった。
私は続けざまに質問した。
「学校が嫌やったんか?それで死んでしもたん?」
「……働くのが嫌だったんだ」
「あのな……子供のうちからそんな事考える必要なんてない。それに、こんなところで石を積む必要も無いと私は思うけどな」
「僕は数えきれない罪を犯してしまった……」
少年が泣きそうな顔になると、私は少し感情的になって言った。
「子供に罪なんてない!そんなもん親の責任に決まっとる!」
「うるさい!あっちいけ!」
子供は急に不機嫌になり、怒鳴り声を上げた。
「私は君を救いたいんや!」
「黙れ!子供相手に、いい子ぶって話しかけるのはやめろ!」
途端、その子供の顔が、瘴気を放ちながらみるみると変化し始めた。
頭髪は薄くなり、シワが寄り、わずか数秒で少年が40歳ほどの中年男性に変わり果ててしまったのだ。
「これが僕が死んだ時の姿だ」
「……」
私は言葉を失ってしまった。こんな姿になった人間に、さきほどのような言葉をかける事は、できなかったからだ。
「就職活動に失敗してから、ずっと家に引きこもっていた。バイトをした事もあるけど、どれも半年と続かなかった……僕には元から社会でやっていく力なんてなかったんだ」
「諦めるのは早いで!40からでも」
「学生のお前に何が分かる!」
男は泣きながら目を見開き、持っていた石を地面に投げつけた。
新たに積まれたと思われる石の塔は、またガラガラと崩れ去ってしまった。
私はその迫力に完全に沈黙させられてしまった。
死後の世界では年齢はまちまちだと聞いた事がある。
確かに、死んだ時の年齢で固定されたとしたら、ほとんどの人がおじいちゃんおばあちゃんの姿になるはずである。
しかしそうならないとすれば、恐らくはその人間の性格を最も反映した年齢に落ち着くと考えるのが妥当だろう。
この人は精神年齢の低いまま大人になってしまったが故に、うまく社会に馴染めなかったのだろうか。そして親より先に死ぬ不幸を知りつつ、自殺してしまったのだろうか。本当の事は私には聞き出す事ができなかった。
*
実のところ、読子の思考はすでに『この世界から帰る方法』にまで至っていた。
天堂魅咲を倒した時に呼んだ、あの空間を超越できる死神の使いを呼べば、幽界から脱する事ができる、そう確信していた。
しかし辺獄の謎を解く為、あえて成り行きに身を任せていたのだ。
だが、それももう終わった。
読子は、男を救う事はできないと悟り、現実に帰る為に死神の使いを思想召喚する事にした。
「いでよ、死神の使い!」
鎌は空間を切り裂き、中から天堂魅咲を倒したあの死神の使いが現れた。
悠然とマントをひらつかせた死神は、夜を吸い込んでしまいそうなほどの異風で空に佇んでいた。
「さあ、私を現実世界に連れ戻して!」
だが、死神の使いは、予想だにしない答えを発した。
「ソノ前ニ、ソノ人間ノ魂ヲ刈ラセテモラウ」
脳に響くような声無き声を発したのは、死神の使いだった。
「死神の使い!私はそんな事命じてへん!あんたに魂を奪う権利なんて無い!」
「サモナー、オ前ハ『三ツ』勘違イヲシテイル。一ツハ、召喚サレタカラトイッテ、カナラズシモサモナーニ従ウトハカギラナイトイウ事。モウ一ツハ、ワタシハソモソモ死神ノツカイデハナイトイウコトダ」
読子は頭がパニックになってしまった。自分が召喚したはずのものが、読子の思い通りにならないのは初めてだったからである。
「ワタシハ死神ノ『アニマ』デアル」
「も、もしかして……死神そのもの!?」
「ソウダ、ワタシハ死ヲ与エル神。コノ者ハ死シテナオ、生ニシガミツイテイル。ワタシハ魂ヲ刈リ、『完全ナ死』ヲ与エル神デアル」
「完全な死……」
「ワタシハ奪ウ神デハナイ、与エル神ナノダ。ソシテ死トハ神ガ与エル最後ノ恩寵デアル。心シテ受ケ取ルガヨイ」
男は死神を創造主であるかのように、すがりつくように救いを求めた。
「ありがとう神様!これで生まれ変われるぞ!」
だが死神はただ無感情にその男を見下ろした。
「人間トシテ生マレ変ワル事ハデキナイ。オ前ハ心ヲモタヌ無生物ニナルノダ」
アニマが鎌を振りぬくと、その男から魂の炎が消え去り、白い魂の核だけが残った。
男は消え去る寸前、初めて素直な心を取り戻した。
「モット人間ラシクイキタカッタ……カアサン……ゴメ……」
男はすがるように手を前に出したかと思うと、みるみるその身体が木になり、そして瘴気を出しながら空間から消えていってしまった。
すると、賽の河原すらも幻影であったかのように、小川は枯れ、石は風化したかのように砂塵となって瞬く間に消失した。
その後の世界で読子が見たのは、直視するのもはばかられるような完全なる黒、完全なる闇だった。
「早く脱出せん……と……」
精神世界が閉ざされると共に、読子は意識を失い、体をも失っていった。
アニマは消えかけた読子を鎌ですくいあげるようにして、現実の世界に連れ帰った。
*
読子は、呪術部の中にある祭壇の上に寝かされていた。
読子が眠りから覚めるように、ゆっくりと体を起こすと、凶原は驚愕の表情で読子を見つめた。
「うそ!意識が戻った!?」
「ん……ああ、おはよう、凶原さん」
読子は寝ぼけたように、平和な顔をして言った。
「ええ夢見させてくれてありがとう。完全なる死とは何か、少し分かったような気がする」
「なんで生きてるのよ!救いの無い魂の道連れになるはずが……!」
「それは違うで凶原さん、死は最後の救いなんや」
そう言うと、読子は何の気なしにエーテルビジョンを発動し、凶原の魂の炎を即座に透視した。
「ふわ……まだ眠いわ。ふぅん……その髪の毛に隠れとる式神が凶原さんの能力か」
「!?」
読子は眠たそうな目をしたまま、凶原を指差し、後ろにいるアニマに命を下した。
「アニマ、凶原さんの髪に隠れとる式神を切り裂け」
アニマは、先ほどまで消えかかっていた読子の強気な態度に笑ったかと思うと、くるりと鎌を一回転させて構えた。
「フン、サモナー。死神ニ命令ヲスルトハ大シタ度胸ヲシテイル。ココハ一ツ、イウコトヲ聞イテヤルトスルカ」
アニマはその巨大な鎌で、瞬く間に凶原の髪の毛に密集しているエーテルを切り払った。
力を失った凶原は、その場にふわりと倒れこんだ。
死神は凶原の魂には目もくれずに、その場から忽然と消え去った。
「これで呪術部も撃破。文化部統括への道が少し近くなったな」
読子はふと自分の頭から、これまでの体験や、死神の存在さえも少しずつ忘れていくような奇妙な感じを覚えた。
読子はそれに抵抗するように、まるで夢を思い出すかのように、リンボでの体験を反芻した。
その理想郷のような心地よさは、死が本当に最後の救いである事を仄めかしているようだった。




