第十六話「赤は火と血と死の色」
一方、教室を出ていた野薔薇はラミアから奪い取った「赤い薔薇」のメンバーと体育倉庫でたむろしていた。
連れであるラブアンドピースのミキはナンバー2として君臨していた。
「ねぇ、バラっち。みんなの情報によるとあの立体駐車場の変な絵を描いたやつが今日この学校に編入してくるんだって」
「ふーん、確かうちのクラスに二人編入生が来るって話してたな……ホームルーム出てないから分かんねぇけど」
「その中にいるかもよ?」
「じゃ、呼び出してくっかな」
そう言って体育倉庫の跳び箱から飛び降りる野薔薇。
校舎を横切った野薔薇が目にしたのは、スプレーで壁に落書きをしている、黄色いキャスケット帽を被った背の低い生徒だった。
「おいおい、いきなりお出ましかよ。……ったく、転校初日に校舎に落書きなんて、頭のネジがぶっ飛んでるとしか思えねぇな」
独り言を言いながら、野薔薇はその少年のような男子生徒の元に近づいていった。
「お前が夏目虎太郎か。立体駐車場の落書きの描き手なんだってな。ちっとばかしあの場所借りてるぜ」
虎太郎は憎しみのこもった顔で振り返り、野薔薇を睨んだ。
「……落書きじゃない」
「あ~、悪い。みんなあれは素晴らしい絵だって、むしろ褒めてるんだよ」
野薔薇のお世辞にも、虎太郎は落書きをやめなかった。それは地面にまで至り、野薔薇を少しずつスプレーの絵で囲むように描いていった。
野薔薇は地面に這って絵を描いている虎太郎を斜めに俯瞰しながら、勧誘を続けた。
「お前もひどい幼年時代を過ごしたんだな。なんとなく私にはわかるぜ。
そこでだ。うちの『赤い薔薇』に入らねぇか?他のつまらねぇギルドをぶっ潰すんだ。ま、ギルド潰しの代行業者って所だな。やりがいあるだろ?」
虎太郎は野薔薇を無視してスプレーで絵を描いていた。赤ばかり使う虎太郎に、野薔薇は少し奇妙な感覚を覚えた。
「赤好きなのか?お前。やけに赤ばかり使っているけど」
芸術の話になった途端、虎太郎はニヤリを口元を曲げて奇妙な笑みを浮かべた。
「……赤は火と血と死の色。僕が死んでいくその日まで僕につきまとう色だ」
「ふーん。私も好きだぜ、赤は」
虎太郎は野薔薇をにらみ、憎んだ。簡単に人に共感しようとする態度が気に入らなかったようだ。
「お前なんかに何が分かる!死を夢見て生きている僕の気持ちが!」
すると、地面に描かれた虎太郎の絵が不気味に光だし、そこから灰色の手が出てきて野薔薇の足を掴んだ。
「うわ!」
野薔薇は強力な力で足から腰、体を掴まれ、地面に引きずり込まれた。
「お前も『地獄』を見ろ。そしてそのまま死ね」
目を見開いた虎太郎の目は狂気に満ちていた。
だが次の瞬間……
「おっらぁ!」
野薔薇は地面を、スプレーの絵もろともえぐり取って上空に飛び上がった。
野薔薇の右手は、黒と赤に変色しており、それは野薔薇の短くなった髪の毛にまで侵食して、野薔薇の髪を元のようにボリュームのある髪に変えていた。
野薔薇の悪魔は、まるで火のように揺らめきながら野薔薇に『取り憑いて』いた。だがこの間のように炎そのものではなくなっていた。
野薔薇はそれよりも、地面から出てきた『手』の方に違和感を感じた。
「変な手に掴まれた時、なぜか子供の時に見た曼荼羅をフラッシュバックしたぜ。お前……地獄に興味があるのか?」
「そういうお前には、なぜか曼荼羅の閻魔の気配を感じた。何者だお前?」
野薔薇はそれを聞くと突然笑い出した。
「エンマか。いいねぇ。こいつにはenmaと名付けてやろう。そういや閻魔の顔も真っ赤だけど、何か意味があるのかね?」
虎太郎は話すのを嫌い、今度は校舎にある大きな壁画にスプレーを吹き付けて、絵を完成させた。
すると、そこから少し小柄な赤い悪魔がぬっと出てきた。
「悪魔にも色々いるわけだな。でも私にとっちゃ変わりねぇ」
野薔薇は加速して赤い悪魔に近づいていった。
悪魔はピタリとも動かず、野薔薇を地獄に誘い出そうと、両手を開いて構えた。
野薔薇が悪魔を攻撃しようとした瞬間、野薔薇の眼球に、これまで見たこともないものが写り込んだ。
それは悪魔の背後にある絵の中だった。それは文字通りの『地獄絵図』だったのである。
その中には苦痛に顔を歪めてのたうち回る全裸の人間がいた。
その異様な光景に、野薔薇は一瞬腕を止めて見入ってしまったのである。
悪魔はその機会を逃さず、野薔薇を思いきり殴打した。
野薔薇は地面に打ち付けられ、たったの一撃で、立ち上がる事すらできない痛手を負ってしまった。
這いつくばる野薔薇を、今度は虎太郎が俯瞰した。
「僕はひたすら地獄を描いてきた。
どいつもこいつも『自分は地獄には行かない』と思い込んでいるから、知らぬ存ぜぬを決め込んでいるけど、そういう平和ボケしたやつが死んでから地獄に落ちるんだ。僕はそれが怖くて怖くて、いつしか自分から地獄を求めるようになった」
虎太郎は一瞬寒さに凍えるように身を震わせ、目を見開いた。
「ベートーヴェンを知っているか?堕落した父親に育てられた彼の人生は不幸そのものだった。唯一の頼みの音楽も彼にとっては癒やしではなかった。モーツァルトは一筆で楽譜を仕上げるのに対して、ベートーヴェンは何度も何度も楽譜を書き直した形跡がある。そうして出来上がったものはどれも悲哀に満ちたものだ。彼にはもはや『悲哀の中に住まう』以外の選択肢は無かったのだ。悲哀の中に歓喜を探すしか無かったのだ。これをこの世における『地獄』と呼ばずに何と呼ぶ?この世だろうがあの世だろうが、誰もが地獄の門をくぐる運命にあるのだ!」
これまで寡黙だった虎太郎は雄弁に話し始めた。
「それならモーツァルトだって地獄を経験してるんじゃねぇのか?てめぇに人の心の中の事が分かるのかよ」
野薔薇は立ち上がって、右腕を水平に横に構えた。
野薔薇が手のひらを上に向けると、そこから黒と赤の悪魔のようなシルエットが出てきた。
「これが私の中にいる悪魔だ!」
その悪魔は野薔薇と同じ姿になったかと思うと、野薔薇の腕を足で蹴って離れ、赤い悪魔に向かっていった。
赤い悪魔はなおもその場から動かずに野薔薇の分身を迎え撃とうとした。
野薔薇の分身は、赤い悪魔の攻撃をかわしたかと思うと、その黒い鉤爪で思い切り壁画の引き裂いた。
壁画の模様が書き換えられると、悪魔は引きずり込まれるように、たちまち壁の中に消えてしまった。
野薔薇の分身は、野薔薇の元に帰っていき、その右腕に乗っかって元の悪魔の姿に舞い戻った。
野薔薇は恐怖による震えも収まると、ニヤリと笑った。
「……やっぱり壁画を使って悪魔を引っ張りだしていただけだったか。
お前なんかに悪魔を召喚するなんてリスクが犯せるわけがないからな。
悪魔と共に生きるのは大変だぜ?お前はただ自由に落書きしてそれだけで満足か?悪魔を使役できねぇお前が私に敵うかよ!」
野薔薇が虎太郎に近づこうとすると、虎太郎は途端に走りだし、スプレーを巻きながら逃げ出した。
それを追いかける野薔薇。
赤いスプレーからは死者の手がニョキニョキと生えてきて、野薔薇の足を掴もうと手を振った。しかし野薔薇はそれをジャンプでかわし、虎太郎の元に体ごと飛び込んだ。
「うわぁ!」
子供のような声を出した虎太郎に、野薔薇は右腕でヘッドロックをして、黒と赤の悪魔を直に見せつけた。
「どうよ。悪魔は怖いだろう?ガキが簡単に出し入れしていいようなもんじゃねぇんだよ。さあ、どうお仕置きしてやろうかな。耳をそぐか、指をつめるか」
「ゆ、許して!」
「『許して』だぁ?『許して下さい野薔薇お姉さま』だろうがボケ!」
「許してください野薔薇おねえさまぁ!」
「よし」
野薔薇は更に虎太郎を締め付けた後、ヘッドロックを解いて、虎太郎を自由にした。
「私らは体育倉庫でたむろってるから、気が向いたら来いよ」
「え?」
虎太郎は急に優しい顔をした野薔薇にドキリとした。
「でも……」
「この期に及んで一人が好きなんて言うなよ。一人が好きなら、そういうやつらが集まるグループがあったっていいだろ?『赤い薔薇』はそういう所だ。じゃあな」
そう言って野薔薇は手を上げて去っていった。
虎太郎はただ口を開けて野薔薇が去っていくのを見ていた。




