第十一話「白鳥あびるの憂鬱と希望」
命とは止める手段のない時限爆弾のようなもの。どんな手を尽くしてもいずれ必ず爆ぜる事が分かっている。
そうして爆ぜた命という花に、みんな喜んだり悲しんだりしているだけなのだ。
ゴールデン・レトリバーのミハエルが死んだのはにわか雨の降っていた昼の事だった。
私は赤い傘を差していたと思う。息絶えたミハエルを見ながら、悲しみの雨の中で立ち尽くしていた。
家族はみんな、手際よくミハエルを弔う為に葬儀やお墓の準備をした。
その細やかな心遣いは、人間に対するよりも慈悲深く行われていると思った。
人間嫌いで、ミハエルの事しか愛せなかった私、私の全てをミハエルに込めて一生懸命世話をした。その日々が突然、終わりを告げた。喪失感に涙が止まらなかった。自分も死んでミハエルのところに行きたいと心から願った。
その夜、私がずっとミハエルの傍で泣き通していると、上空から黄色い光が薄っすらと差しこみ、生きていた頃のミハエルの残影を連れて行ってしまった。
天使のお迎えを受けたミハエルは、私にもう泣くのをやめて自分の人生を生きて欲しい、人を好きになれるように歩き出してほしいと、深い眼差しで私の事を見つめていた。
私の能力が覚醒したのはそんな時だった。私のこの天使のような羽はミハエルがくれたのだと信じている。
ミハエルは老衰から様々な病気にもかかっていたけど、最後の瞬間まで諦めずに精一杯生きていた。
私もミハエルのように、死ぬと分かっていながらも、命が終わるその時まで一生懸命生きたい。そう思った。
――あびるは自分の部屋の引き出しから昔の日記を取り出し、庭で読んでいるうちに、いつしか眠りに入ってしまっていた。色とりどりの植物が植えられた自慢の庭、天然のベッドで気持ちよさそうに眠っているあびる。
そこにやってきたのは約束をしていたエリリカと瑠璃子だった。
エリリカはあびるを見るや、不満そうに愚痴をもらした。
「あびるったら、自分から誘っておいて寝てるわよ」
「本当、気持ちよさそうね」
瑠璃子はあびるの事より、風子の事を考えていたようだった。
「風子さんも呼べばよかったのに」
「風子はあれで結構、場を気にするタイプなのよ。こんなお屋敷に誘ったら、着ていく服が無いって言うと思うわ。それに今日の話題は風子には関係ないわよきっと」
「そう?女子が一人で生きていく為の話し合いでしょう?」
「女子と言っても私達のようなか弱い女子の話だからね。風子なんてアマゾンの奥地に置き去りにしても次の日には帰ってくるわよ」
「そ、そうね……」
瑠璃子はエリリカのたくましい腕を見て、エリリカならエベレストの頂上に置き去りにしても戻ってくるんじゃないかと思った。
――あびるを起こし、屋敷の中でその『話し合い』は行われた。
あびるは仰々しく司会を演じ始めた。
「いい?私達のような箱入り娘が今の世の中で生きていくのは難しいわ。かと言っていつまでも親の力で生きていくわけにもいかない。今3年生だから丁度いい時期じゃない。今こそ自活する時が来たのよ!」
頷く二人。瑠璃子も意見を加えた。
「周りの人間は次々にグループを作り始めたわね。同じ部の仲間でまとまっている所なんかはすごく統率が取れているわ」
「あんたの所はどうなの?エリリカ。女子レスリング部って結構な大きさでしょう」
エリリカは女子レスリング部主将なので、一応徒党を組める立場ではある。
「仲は良い方だけど、みんなで馴れ合うつもりは無さそうね。私を慕ってくれている部員が何人かいるだけで、後は自分達でそれぞれグループを作っているって感じね」
「ふーん。意外と人望ないのね」
「ほっといてよ!」
すると、瑠璃子は喧嘩ごしの二人を遮るように言った。
「やりたい事で生計を立てられると大きいんだけどね」
『やりたい事』を探すのは学生の務めであり、多くの人間の課題でもある。あびるとエリリカはこの壮大なテーマに黙りこんでしまった。
やがてエリリカがポツリと本音を漏らした。
「私は正直、大きな会社に入って普通に仕事するつもりだったから……」
それに対してあびるは、エリリカのようにお嬢様という枠から仕事を決める事を良しとはしていなかった。
「ホントにあんたって箱入り娘ね、エリリカ。そんなんじゃ箱に入れられすぎて腐っちゃうわよ。人間もっと大きなテーマを持って生きないと駄目よ」
「例えば?」
「そ、それは……」
言いにくそうに押し黙るあびる。
「例えばアイドルとか……」
「アイドル!?あびるが!?」
驚くエリリカ。
「例えばよ!例えば!」
笑われると勘違いしたあびるは咄嗟に否定したが、必死になって否定するあびるの姿の方に二人は笑ってしまった。
「アイドルなんて大変よ。変なおじさんに絡まれて長文のメール送られたり、迷惑なプレゼントを渡されたり、ファンの不毛な自己アピールに苦笑いしたり、汚い手と握手したりしなきゃいけないのよ」
「それはアイドルの悪いところしか見てないわよ、エリリカ」
瑠璃子はあびるを応援しようとしたが、それがあびるには恥ずかしかった。
結局、大した話はできず、お菓子だけが減っていくただの女子会になってしまったが、女子高生が集まればこうなるのは仕方ないのかもしれない。
――一方その頃、学校では風子がトレパンからカポエラを習っている所だった。
トレパンは元カポエラの選手だった事が判明したので、ちょうど良い機会だと、風子に全てを伝授する事に決めていた。
「カポエラの基本は足の機能を取り戻す事だ」
「機能?」
「そう。かつての人類は足の指を器用に使って木を登っていたが、生活の変化や靴を履く事によってその機能を低下させてしまったのだ。カポエラの基礎からやりたいならまずは何でも足でやってみる事だな」
風子は自分の足がどの程度動くか調べる為に、裸足になって足を動かしていた。
「指くらいは動くけど……何をすればいいの?」
「足で歯磨き!……と言いたいところだが、まずは足でタオルを掴む訓練からだな」
「そんなの放課後にやってたら悲しくなるから家でするよ」
「ダメだ!自宅では自宅用の練習メニューがあるんだ」
「自宅用の練習メニュー?」
「そうだ。タンスに小指をぶつけたり色々あるぞ」
「それがカポエラの練習になるの?」
「なる!」
「なるか!」
風子はトレパンに愛想を尽かしてどこかに行ってしまった。
「あいつめ……この程度の冗談を流せないとは、いつもよりピリピリしてるな」
――風子はいつものように風の力を使ってビルに登り、屋上から屋上へジャンプして遊んでいた。この遊びだけでも十分に足の訓練にはなると風子は自ら知っていたので、無理に家の中で筋力トレーニングをする必要性は感じていなかった。
風子は屋上を飛び跳ねながら、やがて人気の無い工業地帯の方にやってきた。この辺りの方が複雑な建物が沢山あって風子には楽しいのだ。
風子が気持ちよさそうにジャンプしていると、ふとそこに立体駐車場の跡地を見つけた。
外壁には一面、スプレーの落書きがされており、周りを囲むトタン板も全てスプレー文字でうめつくされていた。
中に人がいるかは確認できず、覗いてみるのもはばかられるほどの異様な雰囲気を発していた。
「何だろうここ。すごく怖い……」
近くによるだけで胸が苦しくなるので、風子はそこから遠ざかる事にした。
風子がなおも屋上を渡っていると、ふと前方の屋上に小さな人影を見つけた。
「あれは……アヒルちゃんだ!」
風子は嬉しくなって、すごい勢いで屋上で黄昏れているあびるの元に飛びつくように駆け寄った。
「アヒルちゃん!」
あびるは女子会の後、散歩がてらに屋上に登って考え事をしていた。
「あら、年中体操服」
「風子って呼んでよ」
あびるはそっぽを向いた。
「呼び方なんて何でもいいじゃない」
いつものように、少し斜に構えたような返事をするあびるだったが、風子はそんな所も含めてあびるの事を気に入っていた。
「アヒルちゃんも屋上巡り好きなの?」
「別にそれほど好きじゃないわ。レスリングの他にこれくらいしか使い道ないもの」
「どれくらい飛べるの?」
「10mくらい……かな」
「へぇ、私より高いね。やっぱりアヒルじゃなかったんだ……」
「あなたねぇ!」
しつこいアヒル扱いに怒るあびる。
「冗談だよ。私はアヒルちゃんの羽は天使の羽だと思ってるんだよ」
「えっ」
あびるは風子の意外な発言に驚き、頬を染めた。
「本当に思ったよ。天使の羽だなって。
私は飛び跳ねる事しかできないからただのスーパーマ○オだけど、アヒルちゃんは天使の羽だから差し詰めパル○ナの鏡って感じだね」
「何の話?」
「こっちの話」
あびるは眉をひそめていった。風子の話はたまに暴走したりぶっ飛んだりするので注意が必要だ。
風子は来る途中で見つけた駐車場の事を思い出し、周囲を警戒するように辺りを見回した。
「この辺は治安悪いし、一人で居ると危ないよ」
「いいのよ。どうせ一人で生きて行けなければ死ぬだけだし」
「ふーん……何か読子ちゃんみたいな事言うね」
風子はジョギングで自分を鍛えている読子の事を思い出した。
「もしかしてそういう事について考えてたの?」
あびるは風子に諭され、またさっきまでしていたのと同じ憂いの横顔を見せた。
「私……どうやって生きていけばいいんだろう」
あびるは生き方に悩んでいるようだった。
「どうやってって、力を使えばいいんじゃないかな?」
「この力はそんなに沢山の用途は無いわよ」
「そうかな。私には沢山あると思うけどな」
あびるは驚いて風子の方を見た。
「どうして?こんな人に見えるかも分からない、ただ飛べるだけの羽に何の意味があるの?レスリングの前は球技もやっていたけど、チートだ何だと言われてどの部も相手にしてくれなかったんだから!」
「確かにチートだね……」
風子は伝え方に迷ったように頭を掻いた。
「何かの目的の為に使うんじゃなくて、ただ楽しいから使うって事でいいんじゃないかな」
「楽しいから使う?」
「そう」
すると、風子もあびると同じような少し悲しい表情をして屋上からの景色を眺めた。
「私さ、『鳥はどうして飛べるんだろう』とか『鳥は飛ぶ事を楽しんでいるんだろうか』って考えてた時期があったんだ。それで出した結論はね、やっぱり鳥も飛ぶ事を楽しんでるって事なんだ。
これはつまり、自分の持っている能力をただ使うだけでいいって事なんじゃないかな」
「自分の能力を使う……」
「そう。人間の足は歩いたり走ったりする為に付いていて、喉は話す為に付いていて、表情は笑ったり怒ったりする為にあって……じゃあ異能は異能を発揮する為にあるんじゃないかな。使い方次第で悪い事もできるのが問題だけど」
「すごくシンプルな考え方ね。でもあなたらしいと言えばあなたらしいかも」
あびるは少し答えに近づいたようだった。
「アヒルちゃん、能力使ってみてよ」
「ここで?でも使う目的が……」
「目的なんて気にしないでさ、ただ使ってみてよ」
あびるは風子の促すままに、祈るようなポーズになって光の羽を広げた。
羽はどんな形にでも変わりそうな形状をしており、その周囲には光の羽のプリズムから反射する、パステル調の柔らかな光が風子の目に優しく飛び込んできた。
そして、風子とあびるの距離が少し近くなったような穏やかな空間が生まれた。
「これでいいの?」
「うん、思った通り!その羽は飛ぶ為だけにあるんじゃなくて、周りの空気も変えてくれる力があるよ」
「そうなの?全然気が付かなかった。出す時は飛ぶ時だって決めてたから」
「美しい羽なんだから、喜びの表現として好きなだけ出していいと思うよ。生き方はそうやって表現していけば答えは出るんじゃないかな」
あびるは自分の職業を選ぶ事に対して大きなヒントを得たような気持ちになった。
「そっか。そうなんだ。私の羽も含めて私って事でいいんだ。何でこんな事に気付かなかったんだろう。全部私の中にあったんだ……」
羽の力のおかげか、あびるの顔はみるみる元気になっていった。
「ありがとう……風子。何かやれそうな気がしてきた」
「風子って呼んでくれたね。こっちこそ綺麗な羽を見せてくれてありがとう。アヒルちゃん!」
「あなたは呼び方変わってないじゃないの!」
「えへへ」
こうして二人は少しだけ仲良くなった。
――あびるはその夜、死んでしまったミハエルの事を考えていた。
ミハエルがくれた羽を十分に使って来なかった事を詫び、これからはもっと使ってもいい、もっと喜んでもいいんだという事を再確認すると、あびるにはモリモリと力が湧いてくるように感じられた。
これまでのあびるの憂鬱は、やがて来る喜びの為の憂鬱だったのだろうか。癒えない病が無いように、それはゆっくりと来る夜明けのように、あびるの憂鬱は希望に変わっていった。




