4-9 Stage:網状都市[下層]/???th BUG`s『子どもたち』
あまりに起伏のない曇り空は、星の霞んでしまった夜空ではないのかと、悠月は解釈した。
悠月と将司は既にBUGの空間に入ってはいたが、警戒圏ではないとされる、線路から大分離れた場所で、役目を果たさないビルの天井の電波塔の下で座り込んでいた。
「いい天気だな」将司は口を開いた。
「どこが?」悠月は真面目に答えた。「曇り空がいい天気っていうの?」
「そうかもしれねーだろ、この世界では」
「でも、そうじゃない可能性の方が高い」
「そうだろうって思っといた方がお得だろ」
「それはそうだな」
現実の列車が今、攻撃を受けている。
人の命そのものが脅かされている。
悠月はその事実から逃避するかのように、学んだモノを戦闘で、この空間で具体的にどう適用させるのか……それだけを考えていた。そういえば、姉がどんな交通機関で、いつの便で『京』まで行くのか、全然聞いていなかったな……それくらいは考えていた。しかしまさかだろう、と考えていた。
「いつもこういう時はさ、好きな音楽を1曲だけ、頭の中でかけておくのさ」将司は嬉しそうに、遠くの靄に霞むBUGの方を見ながら口を開く。
「……霧生ミチル?」
「うん!」即答。
「好きだねえ」悠月の声にも自然と可笑しさがこもる。
「お前はどうなの?なんかそういう曲とか無いん」
「えー……」
5秒。
「俺はさ、なんか『それだけ』だと好きになれんっつうか……だからさ、なんだな?サントラとかそんなんしか聞いた事ないから、わからん」
7秒。空気は流れていない。将司は唐突に吹き出した。
「ん?」
「いやお前がさ、今の言い方がさ……ツボって……」
「あ?しばくぞ」
「なんだな」悠月の言葉を繰り返しながら、笑いをこらえる将司。
「くたばれ」
悠月が吐き捨てたところで、遠くの方で響く音。蒸気機関車の汽笛のような、女声コーラスのような。遠くから悠月達を呼んでいるようだ、という事は確かだった。
「行くか」将司はよいしょと立ち上がり、学生服のシャツのボタンを一つ開けた。その意味が分からないが、悠月は片ひざをついて、背中に、円の隊列を組む四角形を浮かばせた。最初から出来る限りのスピードで『飛ばされる』つもりでいた。
「お前がモタついてたらすぐに合流する」
「言いやがるよなあ、俺の方が先輩だってこと忘れてんじゃない……よっと!!」
猛然と駆けだす将司。
悠月の前方に放出される四角形。
50m先のビルに張り出されるそれに、悠月は引き寄せられる。
全ての背景が激しく動き始め。
飛ぶ。
落ちているのではない。
目を右に走らせると、将司は線路を走っている。
車両を乗っ取るBUGへの直行経路。
将司が切ったカードは、槍の様な先端を持った不気味な『重』火器になる。
悠月も身体を回転させながら、カードを切る。
直後、停止する背景。
みし、という衝撃が足から全身に伝わってくる。
ビルの壁面にぴったりと貼りつき。
太刀を握り直す。
周囲の警戒。
少し下の方を走る線路が、向こうまで続いている。
墓標のようなビルの天井から、魂が昇る。
そうではない。1か所に集まっているのだ。
固まる先は――
悠月の貼りつく、ビルの真上。
『子どもたち』は、一つの共同体になった。
三角で構成されたような人型の、ポリゴンの集まりのようなカタチ。
人型。初めてのタイプ――
それが悠月のいるビルの奥所に立ち、下にいる悠月を覗きこんでいる。
ヒトガタは突如足を踏む。
悠月の真上で、
衝撃が。破片の雨となって。
悠月を飲み込んだ。
ヒトガタは手をエラか何かの様に変形させた。エラは刃だ。
刃をクロスさせ、始末の体勢を取るヒトガタ。
背後からの重い蹴りによって、それは崩される。
ヒトガタは辺りを舞う煙を巻き込みながら、看板に身を当ててブレーキを取り、近くのビルの屋上に最早三角形の平面と呼ぶべきひざをついて着地する。
黒に包まれたボディの中で、正三角錐の頭部ではなく『胴体の中で透けた』紅い目玉が、ぎょろぎょろと動き回り、ようやく悠月を視認する。
悠月はそれに、間髪入れず接近。
太刀の刃を振りながら。
ヒトガタは首と胴体を一時的に切り離し、回避。
悠月は屋上に足をつける。
固い感触。
襲うヒトガタの刃。
悠月は潜って避ける。
ヒトガタの足を構成しているのは、二ツの大まかな三角錐。
悠月はそれを視認する。
人間の身体に変換し、
大腿部にあたる部分を、
方向を整える暇のない刃で、
突く。
ミネがヒトガタの一部に当たり。
ヒトガタは一瞬後退する。
そしてどうする?考える暇なく、逆襲。
エラ型の刃を前方に突き出し、タックル。
刃で受け止め、弾く。
火花。
瞬き。
ヒトガタは身体を沈め、
悠月の腹部を突き上げる。
尖る拳の、1点集中の圧力。
飛ばされそうになる身体。
立て直さねば。
ヒトガタの背後に、四角形を飛ばし、
低い宙を舞い、
ヒトガタの背後へ。
出鱈目な雄叫びをあげ。
後ろ回し蹴り。
旋風脚。
その出来損ない。
ヒトガタの目玉が点滅し、激しく揺れる。
宙で1回転。
天井の手摺を破壊し、
落ちていく。
意識して動かした身体は、とても不自由だった。
だが、確かな手応えを次々と感じた。
悠月は色んな意味を持つ溜息をついた。
追撃を……
考え、駆けだしていこうとした時だった。
将司は鉄道を先回りし、窓を割って侵入したビルの中から『対戦車ロケット弾』を窓の外に向けて構えていた。
狙いは、車両の上を歩くBUGのど真ん中。紅い核だ。弾頭は一つしかないが、それは狙った対象を正確に貫き通す。ゲームの中での効果がそうなのだ。現実ではそうはいかないだろう。しかし現実と同じように、将司は対象が正に目の前を通るであろう線路の近くの室内、近距離からそれを構えていた。将司が一度に勝負を決めようとしていたのは、得体の知れないBUGが、未だ同じ動作と時たまの咆哮を繰り返す野郎が、生半可な攻撃を受けた時にどんな反応を示すのか……それが予測できなかったからだ。何が起ころうと大抵の場合であれば巨拳をぶち込んでやる、とも考えていたが――将司は近づきつつある列車の思いのほかな速度に圧倒されつつ、肩からずり落ちかけていた大砲を構え直した。
悠月の方は大丈夫だろうか……いや、葵との戦闘を見ている限りでは。将司は勿論彼なら大丈夫だと判断して、戦力の分散を提案したのだ。葵か……自分はどうだっただろうか?将司は自分に問う。葵との戦闘に、将司は勝ちを覚えなかった。勿論互いにC・スキルを駆使した全力のバトルではあったが……将司はあの時、このドームで囲まれた世界のみでの『第一位』を決める戦いで、将司は葵に行く先を狭まれた。『第一位』と『第二位』との間にあんな巨大な谷みたいな空洞があるなんて、将司は知らなかったのだ。今の将司を決定づける要因の一つになったのがその衝撃だった。勿論、要因の一つに過ぎない事ではあるが……
「将司!!」
頭の裏で悠月が呼んだ。しまった、と思った。やはり過信し過ぎていたか……将司は構える事を中止し、窓から身を乗り出そうとした。その時だった。
収束。
目の前。
糸?
『子どもたち』
脳内変換が追い付かない。
『子どもたち』は三角形の幾つかの集まりになり。
それらは互いに身を引き合わせ。
ヒトガタになった。
三つ目の共同体――
予想外の出来事が。
赤い目玉が、目の前の将司に喰らいかかってきた。
『マシロは、一人で「子どもたち」をやっつけた――』
二人の駆逐対象が、奴等の警戒区域にいればどうなるか。
将司は全く想定していなかった。




