“Ghostdive”
「えっ、運転士が……!?」
マシロは、通信を切る久慈の報告を聞いて驚愕した。
「俺のところで大変な話題になっているんだけどな……アナウンスが流れないのを不審に思った先頭車両の人間が運転席を見に行ったところ、頭部から血を流して倒れていたらしい。なんでも、細いもので『貫き通された』跡があったそうだ。運転席右のガラスには同じ口径ほどの穴が開いていたが、奇妙な事にヒビは広がってはいなかった。しかし、大した報告だ。どれだけ冷静で優秀な乗客さんが乗っていたかは知らんが、そいつはイレギュラーだ。殆どの乗客はパニックに陥っているにちげえねえよ、おまけに車両は今でもどんどんスピードを増してやがるときた……車内は今頃地獄絵図だ」
淡々と語る当の久慈ですら、ひどく驚いていた。
港の方まで車にもたれかかって、波が打ち寄せる程のコンクリートの岸辺を歩く王塚の方を見遣る。冷たい風が潮の香を運んでくる。さっきよりよっぽど良い香りだ、と久慈は思う。
「あなたたちの組織……警察は、今何をやっているんですか」
「何もしてねえ……いや、正確に言えば何もできねえ。勿論『メタグロシィ』が暴走した理由が『乗っ取られた』という事自体は報道すらされていないが発覚している事だ。だがそれに対抗できる術がねえ……おそらくそのBUGさんの作り出す空間とやらがネットワーク上にありながら完全に閉ざされた物である、ってことすら連中は把握してねえよ。その前に諦めてる。ここ数十年でサイバー空間とやらはますますファンタジーの世界に入り込みつつあるのさ、当時ならサイバー犯罪に対抗できてた連中も今となっちゃ戦車に竹槍、ってな……まああのドームが出来てから、当時大きなッ脅威だった『外の国』が俺達の国を『攻撃』する必要がなくなった……てのも大きな理由ではあるが」
「さっき貫き通されたと言っていたけれど……」
「ああ、まるで『硬化した触手か何か』で串刺しにされたようにな」
そういうことなんだろう?と訊く様な目を、久慈はマシロに向ける。
不意に赤い飛沫で一杯になった透明の箱を空想し、彼は嫌な気持ちになる。
「……『子どもたち』ですら、肉を持てる。現実に進行して、現実の対象を攻撃する事ができる。しかも彼等は、親以上に限度というものを知らないらしい。それが本当なら……」
「本当なら、何が起こるっていうんだよ」
「気がおかしいのさ、今回の事件を起こしたBUG、できる事を知りながらそいつを放った奴は」
無表情でマシロは言った。
違いないな、と久慈は同意するが、マシロの目は別の事を語っていた。『これを起こしたそいつは自分が今まで思っていたそいつとは違う……』
王塚が遠くで手を振っていた。
注視するそこには大きめの船が止まっていて、彼に大きく影を落としていた。
「行きましょう」
「行ってらっしゃい」軟体生物の様に手を振り、久慈はその場に留まろうとする。
マシロは容赦なくその腕を拾い上げ、千切れるほどの力で引っ張って王塚の方へと歩き出した。無慈悲だーと悲壮な叫びが、人気の少ない港に木霊した。
接岸施設はあちらこちらが赤く錆びついていて、係船柱にくくりつけられたワイヤーなんかは今にも擦り切れそうだった。どう見ても出航を待っている、という風には見えなかった。置きっぱなしにされているというのが正確な表現だ。
見慣れない文字の連なりが大型船舶の左舷側の船体で、拗ねているように掠れていた。
久慈はそれを見て首を傾げる。
「日本の船……じゃあないよな」
「なんとか『丸』ってついてないでしょう。日本の船じゃないです」王塚がぴしゃりと言う。どこからともなく出した布きれを口に当てていた。
「これは京に物を運ぶ船じゃないのか?」
「ここは工場の墓場と、香流さんが言っていました」マシロの説明はそれで尽きる。
「工場の墓場……なるほど、これはかつて外の国に『何か』を運ぶための物だったようですね」
「数十年使ってなかった……にしては綺麗じゃねえか、オンボロ船ではあるが……言っとくが規定上国外で製造された船舶を使いまわす事はできんし、こんな航路も正確にとりそうにない船、怪し……!」『その臭い』に気付いた久慈は、王塚を横目で睨みつける。
「年ながら傾斜のきついタラップを必死で登って見てきたんですよ、あなたも確かめてくるといい、『見るのは慣れているでしょう』」
タラップを駆けあがり、久慈は船橋の窓の下に滑り込んだ。何者かが忍び込んでいる気配はしなかった。しかし――
突入。操舵室に人の影はない。久慈は梯子に駆けこむ。暗闇が支配する船内の中へ。銀色の冷たい手摺を頼りにしてゆっくり下り――生暖かい泥つきに触れて、自然な反応として手を引っ込めた。感触は、久慈の悪寒を確信を持った物に変える事に関しては十分過ぎた。
コントロール・ルームに辿り着く前に、久慈は全ての事を理解した。
自分のものでしかない足音が止まる。
暗闇。
目の慣れる時、光景がフェードイン。
赤い湖。
人影。
動くべきものは全て、頭を撃ち抜かれていた。
「仕事がどんどん増えてきやがる」
生きた人間のいない部屋の中で、久慈は何もかもを諦めたように脱力した。




