英雄を終える
会談の内容は、誰もが読める報告にはならなかった。
レオン本人が署名した証言書と、命令書の写しは、封をして王都へ送られた。
立ち会ったのは、ガレスと指定された担当者、諸族側の代表、双方の記録官だけだった。
外で待つ兵たちには、北方の盟主との会談と伝えられていた。
レオンの顔を見た者はいた。
だが、その男が二十七年前に帰らなかった勇者だと、分かった者ばかりではない。
ミリアは封をする前に、自分の記録を読み直した。
レオンが認めたこと。
否定したこと。
分からないと答えたこと。
どれも消さなかった。
*
アルトの扱いについては、すぐに結論が出なかった。
勇者として受けた任務を果たしていない。
諸族側の権限を受け、人間の兵を斬っている。
一方で、双方が認めた負傷者移送の担当者でもあった。
ガレスは王都へ報告した。
同時に諸族側の使者と、アルトが北へ戻ったあとも調査を続ける方法を話し合った。
その間、アルトは砦で治療と聴取を受けた。
ミリアも何度も話を聞かれた。
夜の食事だけは、二人で取ることを認められた。
「魔王城の方が自由だったな」
アルトが言うと、ミリアは皿へ落ちた豆を拾った。
「こちらでは、あなたが何をしてきたのか確かめているところですから」
「帰ってきただけで褒めてもらえると思ってた」
「褒められることだけをしてきたわけでは、ありませんね」
アルトは黙った。
ミリアも、それ以上は言わなかった。
ただ、食べにくそうにしていた肉を、小さく切って彼の皿へ戻した。
*
北へ戻るための書面が整ったのは、それからしばらく後だった。
所在を明らかにする。
必要な資料を提出する。
追加の問いに答える。
求められた時は、改めて対面の聴取に応じる。
諸族側が保証し、アルト自身も署名した。
北へ戻る許可は、責任を問わないという決定ではなかった。
王国の剣は、ルッツを斬った時の物として保管され、記録とともに王都へ送られた。
村の古い剣と荷物は返された。
黒い甲冑も、諸族側へ返却された。
アルトは荷袋を開いた。
針の包みがあった。
何も失っていないわけではなかった。
それでも、この小さな包みは、まだ自分が返せるものだった。
*
ミリアは王都へ。
アルトは北へ。
出立の朝、ミリアは荷物を確かめていた。
兄を死なせた命令書の写し。
負傷者の名簿。
ルッツの名前。
エドの手紙。
記録院へ出すものと、遺族へ届けるものを分けていた。
「針、持っていくか」
アルトが布包みを出すと、ミリアは受け取らなかった。
「自分で返してください」
「返せるかな」
「返す気があるかどうかを聞いています」
アルトは包みを見た。
「ある」
「では、持っていてください」
胸の内側へ戻した。
「王都で、何て書く」
ミリアは旅帳を開いた。
勇者アルト、魔王城へ入城。
討伐せず。
生存を確認。
「この先に、見たことも、聞いたことも書きます」
「都合の悪いことも」
「もう書いてあります」
アルトは頷いた。
それを読んだ人が、自分をどう思うかは分からない。
好きになってもらうために、彼女へ書き直してほしくはなかった。
「焼菓子、一人で食うことになるな」
「食べますよ。待っていたら、お店が潰れます」
「俺の分も?」
「あなたの分は、あなたが食べる時の分です」
アルトは笑った。
笑い終わると、また言葉がなくなった。
ミリアが帳面を閉じた。
「また会いに行きます。許可が取れたら」
「記録のため?」
「それもあります」
「ついでに俺にも?」
「あなたに会うのは、ついでではありません」
アルトは顔を上げた。
ミリアは目を逸らさなかった。
「気をつけて」
ようやく言うと、彼女は頷いた。
「あなたも。無事だったかどうか、あとで確かめますから」
ミリアは王都へ向かう馬車に乗った。
動き出す前に、窓から顔を出した。
アルトは左手を上げた。
馬車を見送ったあと、北へ戻る護衛の列に加わった。
*
ヴァルへ戻ると、レオンは書類に囲まれていた。
会談の日には、約束通り北へ退去していた。
それからずっと、追加の問いへの返答を作っているという。
アルトが部屋へ入ると、レオンは空いた椅子を指した。
「次が見つかれば、俺の仕事は終わると思っていた」
机には、書きかけの返答があった。
「誰かへ役目を渡し、名を隠して故郷を見に行く。普通の旅人のふりをすれば、静かに暮らせるかもしれんと思っていた」
アルトは座った。
「名を隠しても、お前が命じたことは消えないだろ」
「消えないな」
レオンの指が、命令書の署名へ触れた。
「紙に名を残すだけなら、ここから出ずにできた」
長い間、王国の人々はその紙を読めなかった。
兄や息子を失った理由を、本人へ尋ねることもできなかった。
いまは、問いが届いている。
「全部、答えるのか」
「分からないことは、分からないと答える。覚えていないことは、記録を探す」
「それでも、許されないかもしれない」
「ああ」
アルトはしばらく黙った。
レオンを斬れば終わると、城へ来るまでは思っていた。
いま斬れば、もう誰も、この男へ問い直せなくなる。
「死んで終わりにしようとは、思うなよ」
レオンが顔を上げた。
「全部あいつが悪かったで済ませるのも、立派な最期だったで済ませるのも、違うだろ」
アルトは机の紙を見た。
「生きて、答えてくれ。お前が命じたことなんだから」
レオンは頷いた。
アルトは、それを立派だとは言わなかった。
*
王都でも、ミリアは何度も同じ問いを聞かれた。
見ていないことは、見ていないと答えた。
レオンの説明は、彼の説明として話した。
アルトの証言は、自分の目撃とは分けた。
夜、見張りのいる部屋で、一人分の食事を食べた。
豆は煮すぎていた。
文句を言い合う相手が、隣にはいなかった。
*
王の前へ呼ばれた時、ローデリク三世は、レオンが会談で署名した証言書を見ていた。
「この字は、覚えている」
最初にそう言った。
「右へ傾く。本人は、紙の方が曲がっていると言った」
ミリアは黙っていた。
「今も、人を助けていたか」
「はい」
ミリアは答えた。
「人を殺す命令も、出していました」
王の指が止まった。
「両方、書きました」
長い沈黙のあと、王は目を閉じた。
「私は、レオンへもアルトへも、帰れと願った」
書類を机へ戻した。
「行けと命じたあとでな」
ミリアはその言葉も覚えた。
「願えば、命じた責任が少し軽くなると思っていたのかもしれん」
やがて王は、過去の命令書の原本を照合する担当者を定めるよう命じた。
レオンの正体。
魔王が受け継がれる役目であること。
人間同士の大戦を防ぐため、侵攻を続けてきたという説明。
それらを広場の布告へ載せることは、今はしないという。
ミリアは顔を上げた。
「記録そのものは、残していただけますか」
「残す。確認も続ける」
「なぜ、公表しないのですか」
王は窓の方を見た。
「『王国も最初から知っていた』と言う者が出るだろう。帰ってきた捕虜まで、敵と通じていたと疑われるかもしれん。まだ確かめていない話を、一つの答えとして広めるわけにはいかん」
ミリアは、その心配がすべて間違いだとは言えなかった。
だが、知らされない人々にも、聞くべきことはあるはずだった。
「公表しないと決めた方の名も、記録します」
王が彼女を見た。
「私の名でよい」
ミリアは書いた。
自分が納得したとは、書かなかった。
*
アルトは勇者の任を解かれた。
王国が命じた魔王討伐を続けず、諸族側で別の役割を選んだためだった。
負傷者を帰した功績と、人間兵を斬った件は、それぞれ調べる。
勇者の解任だけで、どちらの話も終わりにはしない。
「死んだとは書くな」
王は言った。
「生きている者へ、こちらの都合で墓を作るのはやめる」
*
広場の公示には、アルトの生存と勇者解任が記された。
負傷者の移送に協力したこと。
現在は北の諸族領に留まっていること。
公にされたのは、そこまでだった。
魔王制度の説明も、レオンの正体も載らなかった。
それでも噂は流れた。
アルトが黒い甲冑を着ていた。
魔王に取り入った。
人間の兵を斬った。
捕虜を帰してくれた。
同じ男について、違う話が聞こえていた。
ミリアは公示を読み終えた。
手元には、エドの家へ届ける封筒があった。
全部を一度に伝えることはできない。
それでも今日、会って話せる相手はいた。




