黒い盾
雨は、五台の荷車が動き始めてから強くなった。
土が跳ね、車輪の溝へ水が溜まった。
白い旗が濡れて垂れ、遠くからは印が見えにくくなった。
アルトは車列の後ろへ回った。
甲冑を見て止まる者もいた。
止まらない者もいた。
東の交戦から外れた人間の騎兵が、車列の横へ出てきた。
「魔王!」
誰かが叫んだ。
その声が雨音を裂いた。
アルトは剣を抜かなかった。
「負傷者を運んでる! 攻撃するな!」
アルトは騎兵に向かって叫んだ。
だが、返事の代わりに槍が突き出された。
避けた。
背後の荷車へ向かう穂先を盾で弾いた。
馬が嘶いた。
騎手はアルトの後ろの角族を見ていた。
捕虜が連れ去られているのだと思ったのかもしれない。
敵の部隊が退いていると思ったのかもしれない。
確かめる時間はなかった。
相手が剣を抜いた。
若い顔だった。
黒い甲冑の内側に、人間の顔があることを知らない目だった。
後ろで、ベルトの車が石に引っかかった。
ナジが左肩で車を押していた。
退けなかった。
アルトは王国の剣を抜いた。
相手の刃が振り下ろされる。
受けた。
馬上からの動きは大きかった。
脇が開いた。
アルトの身体が、知っている動きをした。
刃が入った。
若い騎手の口が開いた。
何か言いかけた。
馬から身体が落ちた。
アルトは剣を引いた。
ガドを斬った時と、同じ重さだった。
違うのは、相手に角がないことだけだった。
*
「動け!」
ウルの声がした。
添え木は外れていたが、まだ脚を引きずっていた。
道を知る者として、護衛を手伝いに来ていた。
ナジと並んで車を押す。
車輪が石を越えた。
アルトは倒れた騎手を見ていた。
「あとだ!」
ウルが怒鳴った。
「考えるのは、あとでやれ!」
アルトは走った。
許されたわけではなかった。
ただ、まだ守るものが動いていた。
*
移送対象者の最初の死者は、エドだった。
どこから飛んだのか分からない矢が、荷台の幌を破っていた。
彼は手紙のある胸を押さえていた。
セラが傷を見た。
顔が変わった。
布を当て、呼吸を確かめる。
アルトが近づくと、エドは何か言おうとした。
「フィ……」
先が続かなかった。
娘の名の初めのようにも聞こえた。
違うかもしれなかった。
セラの掌に光が灯った。
すぐに弱くなった。
隣の車で、諸族の老人が息を詰まらせた。
名前を呼ぶ声がした。
セラはエドの胸へ手を置いた。
何度か息を確かめ、アルトを見た。
首を、わずかに振った。
「行ってくれ」
アルトが言った。
セラは次の車へ走った。
エドの指が、手紙の上で動いた。
アルトはその手を握った。
握っている間に、動かなくなった。
*
ナジが倒れたのは、街道の窪みを越えた時だった。
ベルトの車の荷留めが外れ、担架が滑りかけた。
ナジは左肩を入れた。
ウルが綱を掴んだ。
アルトも支えようとした。
矢が飛んだ。
ナジの身体が車の脇へ崩れた。
アルトはしゃがみ、引き寄せた。
血が雨に薄まっていく。
ナジは短くなった右手を動かした。
「家」
それだけ言った。
アルトは頷いた。
帰れる、と言いかけた。
喉が詰まった。
約束できない言葉を、口へ押し込むことができなかった。
ナジは彼を見ていた。
何かを求めていたのか、ただ目を開けていただけなのか、分からなかった。
やがて、その目から焦点が消えた。
アルトは彼を持ち上げた。
軽かった。
ひどく軽かった。
*
車列は進んだ。
生きている者を止めるわけにはいかなかった。
アルトはナジを荷台へ寝かせ、顔へ布を掛けた。
ベルトが何か言おうとしたが、声にならなかった。
アルトは彼の肩へ手を置いた。
黒い籠手だった。
人間と諸族、両方の血がついていた。
遠くにベルグの城壁が見えた。
あの門は、一度閉じた。
今度は、開けてもらわなければならなかった。




