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魔王城から帰った勇者はいない  作者: 週休七日


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2/26

勇者様は、まだ生きている

 見送りはいらないと言ってあったので、村の入口には全員いた。


「聞いてた?」

「聞いてたよ」

「じゃあ、なんでいる」

「道の掃除だ」


 村長が答えた。

 その手には酒瓶があった。


 荷物はさらに増えた。誰かが袋を閉じると、別の誰かが開けた。干し肉を押し込まれたあとで蜂蜜の壺を渡され、アルトは、もう魔王を背負って帰るしかないと思った。


 人垣の外にヨハンがいた。


 二つ年上の、隣の畑の持ち主だった。アルトの父が亡くなった晩、何も聞かずに家へ来て、焦げた鍋を洗ってくれた男だ。


 ヨハンの長兄は北の戦場にいる。

 手紙は三か月、届いていない。

 先日は末の弟ニコにも徴兵状が来た。


「畑、頼む」

「うちの方が先だ」

「分かってる」

「草だらけでも文句言うなよ」

「それは言う」


 ヨハンは口元だけで笑い、荷袋の肩紐を引いて確かめた。


「また、言いに帰って来い」


 アルトは頷いた。


 皆に手を振って歩き出すと、背中からまだ名前を呼ばれた。何度も振り返ったせいで、村が見えなくなるまで随分かかった。


     *


 王都エルディアは、思っていたより臭かった。


 焼いた肉と馬糞、汗と濡れた石の匂いが、門の向こうから一度に押し寄せてくる。


 アルトが建物の高さに感心していると、後ろから怒鳴られた。


「荷車!」


 積まれた樽に肩をつつかれた。

 慌てて避けたら、誰かの足を踏んだ。


「叱られる方は、順番にお願いします」


 若い女の声だった。


 栗色の髪を肩で切り揃え、灰色の外套を着ている。胸には羽根と歯車を組み合わせた徽章。片腕に革表紙の帳面、もう片方の手に砂糖のついた焼菓子を持っていた。


 目が合うと、彼女は菓子を背中へ隠した。


 少し遅かった。


「トール村のアルトさんですね」

「そうだけど。なんで分かった?」

「召集状を持って荷馬車の列に並んでいる方は、ほかにいません」

「こっちだって言われた」

「手の向きを逆に読まれたのでしょう」


 女は小さく頭を下げた。


「王立記録院のミリアです。遠征に同行します」

「ずっと?」

「義務は前線のベルグ砦までです。その先は私の判断になります」

「剣、使える?」

「あなたほどには」

「じゃあ、何を」

「まずは今踏まれた足を治します」


 アルトは飛び退いた。


 ミリアが笑った。

 隠していた菓子も、もう一度出てきた。


「治癒術師の資格があります。傷を負った時には呼んでください」

「今の治療費は」

「旅費から引きます」

「悪かった」

「冗談です。何でも本気にすると、王都では財布が足りませんよ」


 門を抜けた広場には青い旗が並んでいた。


 旗に描かれた青年は、金髪で、鼻が高く、顎が細かった。

 その下に、アルト、と書いてある。


「誰だ、これ」

「あなたです」

「俺、黒髪だぞ」

「出発に間に合う絵を用意したのでしょう」

「間に合ってないだろ。俺が来たのに」


 旗売りの男が口を挟んだ。


「顔はずっと同じだよ。名前だけ変えてる」

「俺に許可は?」

「勇者様、おひとついかがです」

「いらん」


 ミリアは肩を震わせていた。


 その先で、石工が新しい銘板を磨いていた。


 アルトは足を止めた。

 自分の名前が彫ってあった。


「まだ死んでないんだけど」


 石工は顔を上げ、ああ本人か、と言った。


「任命の記念だ。右の欄は、帰ってきてから埋める」

「死んだら?」

「確認できたことを刻む」

「確認できなかったら?」

「空けておく」


 広場の端には、同じ形の碑が並んでいた。


 途中帰還。

 負傷により任務中止。

 消息不明。


 古いものには、レオンの名があった。


 帰還せず。


 相打ちとも、死亡とも書かれていない。

 絵本の方が、石より多くを知っていた。


「戻った人もいるんだな」

「途中からなら」とミリアが言った。「レオン以降、城へ到達したことが確かめられた勇者はいません」


「お前は、そこへ続きを書きに行くのか」


 ミリアは返事をする前に、帳面の背を撫でた。


「はい」


 石工が銘板を持ち上げようとし、腰を押さえた。

 アルトは反射的に片側を持った。


「どこへ?」

「後ろの台だ。そう。割るなよ、お前さんのだから」

「自分の碑を運ぶ勇者って、ほかにいる?」

「初めて見たよ」


 ミリアが帳面を開いた。


「こんなことは書かなくていい」

「さすが勇者様。すごい力持ちですね」

「もっと重いものを背負って帰る予定なんでな」


 台へ載せ、手についた石の粉を払った時だった。


 広場の向こうで、小さな女の子が母親の袖を引いた。


「あの人が勝ったら、お父ちゃん帰るの?」


 母親は答えなかった。

 娘の襟を直し、何かを言おうとして、やめた。


 アルトの手が止まった。


 王都へ来てから、知らないものばかりだった。

 なのに、その子の声だけは、ヨハンの家と同じ場所から聞こえた。


 ミリアは帳面を閉じた。


「食事にしましょう」

「王様に会うんじゃないのか」

「空腹で会うと、余計なことまで言いそうなので」

「俺が?」

「ほかに誰が」


 アルトは彼女について歩いた。


 一度だけ振り返ると、石工が、空白の帰還欄についた粉を払っていた。

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