帰ったら、窓を直す
魔王を倒す前に、窓を直してくれと頼まれた。
「明日、村を出るんですけど」
「だから今日、頼んでいるんだよ」
教師の言い分には隙がなかった。
アルトは学び舎の壁に梯子を掛けた。昼過ぎの光が、土壁のひびに細い影をつくっている。窓枠の右下は腐り、触っただけで木屑が落ちた。
剣なら人並み以上に使える。
しかし、それで窓が直るわけではなかった。
「新しい枠が要ります」
「分かっている」
「じゃあ、俺にできることは」
「冬の風が入らないようにしておくこと」
教師はそう言い、窓の内側へ戻った。
小さな椅子に子供たちが並んでいる。机には、角の丸くなった絵本があった。銀白の鎧を着た勇者と、黒い甲冑の魔王。アルトも、その勇者に憧れて育った。
母の前掛けを外套にして叱られた。
木の枝を剣に、山羊を魔王役にしようとして、逆に追いかけられた。
剣を習い始めた頃には、いつか自分にも青い外套が与えられるのだと、本気で思っていた。
明日から、それに向かって歩くことになる。
「そして、ゆうしゃ れおんは、まおうを たおしました」
教師の声が聞こえた。
「せんそうは おわりました。へいたいたちは おうちへ かえりました。はたけには むぎが みのり、みんな しあわせに くらしました。めでたし、めでたし」
「でも、まだ戦争してるじゃん」
アルトは釘を落とした。
一番前の赤毛の子が手を挙げていた。
教師は眼鏡を外し、鼻の付け根を押さえた。
「この本ができた時には、終わったと思われていたんだよ」
「間違えたの?」
「全部は、分かっていなかったんだろうね」
「大人なのに?」
「大人にも、分からないことはある」
子供は納得のいかない顔をした。
アルトも、同じ顔をした覚えがあった。
二十七年前、勇者レオンが魔王城へ入ったあと、魔王軍は三年間、侵攻を止めた。
レオンは帰らなかった。
魔王も姿を見せなくなった。
だから人々は、勇者が魔王と相打ちになったのだと考えた。誰も見ていない最後が絵になり、文章になり、子供たちの知っている話になった。
四年目に黒い魔王が現れた時には、新しい魔王が生まれたのだと言われた。
そのあとも勇者は北へ向かった。
途中で引き返した者もいた。傷を負って戻った者もいた。帰らなかった者もいた。
けれど、城へ入ったという確かな報せと、故郷へ戻ったという報せが、同じ勇者について届いたことはない。
魔王城から帰った勇者はいない。
王国の記録は、いつもそこで途切れていた。
「兄ちゃんも、帰ってこないの?」
窓から赤毛の子が顔を出した。
アルトは草むらから釘を拾い、掌で土を払った。
「俺は帰る」
「レオンより強いの?」
「会ったことないから分からん」
「負けたら?」
「負ける話は、帰ってから聞け」
子供が笑った。
アルトも笑い、梯子へ戻った。
細い板をかませ、釘を打つ。
一本目は真っ直ぐ入った。二本目は途中で曲がった。
「勇者なのに」
「勇者候補だ。まだ王様に会ってない」
「じゃあ、王様に会えば釘が打てる?」
「王様の仕事を増やすな」
窓は閉まった。
その代わり、開かなくなった。
押したり引いたりしていると、教師が内側から手を添えた。昔、石板に字を書く時、何度も握り方を直してくれた手だった。いつの間にか、自分の手の方が大きくなっている。
「戻ったら、枠ごと替えます」
「うん」
「木だけ用意しておいてください」
「うん」
何か立派なことを言って村を出るつもりだった。
人々を守る。
戦争を終わらせる。
必ず魔王を倒す。
口にする準備はしてきたのに、いま残ったのは窓の修理の約束だけだった。
「先生」
教師が顔を上げた。
「俺は、帰ってきます。必ず」
窓の内側で、子供たちがこちらを見ている。
教師は笑わなかった。
道具箱の外れかけた留め金を直し、しばらくそれを見てから言った。
「倒せなかった時も、帰っておいで」
アルトは返事をしようとした。
けれど、どんな声を出せばいいのか分からなかった。
*
夕方、鍛冶屋の妻が縫い針を貸してくれた。
「服くらい破れるだろう」
「俺、縫うの下手だぞ」
「じゃあ破くんじゃないよ」
「無茶言うな」
布包みには、針と糸が入っていた。
片手で受け取ろうとすると叱られた。小さなものほど、なくしたら探せないのだという。
アルトは両手で受け取った。
「帰ったら返す」
「そうしな」
家へ戻ると、旅の袋は半分以上埋まっていた。
隣家の干し梨。村長の妻が編んだ靴下。山羊飼いのチーズ。鍛冶屋が研ぎ直してくれた古い剣。
針を小さな内袋へしまい、替えの靴紐も入れた。
魔王の首を入れる場所がない。
そんなことを考え、自分で笑った。
戸の外では、誰かが夕飯に呼ばれていた。煮豆の匂いがした。山羊が鳴いた。
アルトは、その夜の音を特別なものだと思わなかった。
帰ってくれば、また聞ける音だった。




