戻るための道
城からヴァル砦までは、維持された軍道を馬で二日だった。
歩いて来た時より速い。
谷を避けて迷う必要も、巡回の火を見て道を変える必要もなかった。
だが、楽には感じなかった。
黒い甲冑は荷車に積んである。
アルトは鎧を脱ぎ、青い外套を羽織っていた。
何度も後ろを振り返った。
ヴァルの治療所で、ベルトに会った。
最初、ベルトは彼を見て笑った。
「靴、まだ直してないのか」
その声で、アルトは息ができなくなった。
ベルトは寝台に座っていた。
左脚の膝から下がなかった。
毛布が、あるはずの場所で平らになっていた。
「生きてた」
「そっちもな」
ベルトはアルトの姿を見回した。
「それで、魔王は?」
アルトは答えるまでに、少し時間がかかった。
「倒せなかった」
「……そうか」
ベルトは窓の外へ目を向けた。
「じゃあ、どうしてここにいる。捕まったわけじゃなさそうだが」
「魔王と話をしてきた。まだ終わらせられてないことがある」
「何をするつもりだ?」
アルトは寝台の脇へ腰を下ろした。
「まず、お前たちを帰したい」
ベルトはしばらく黙っていた。
「魔王を倒しに行った勇者が、捕虜を帰しに来たのか」
「おかしいか?」
「いや」
ベルトは自分の左脚があった場所を見た。
「俺には、そっちの方がありがたい」
それから、右手を差し出した。
「お前まで死ななくてよかった」
アルトが握ると、強く握り返された。
アルトは計画を説明した。
荷車。
交換所。
二日間の道。
双方の署名。
退避先。
ベルトは最後まで聞いた。
「靴より手間が掛かるな」
「金も掛かる」
「じゃあ、帰れたら、靴代は少しまけてやる」
アルトは笑った。
笑いながら、目の奥が熱くなった。
*
捕虜たちは、皆が同じ気持ちで帰りたがっているわけではなかった。
故郷の住所をすぐ言う者。
家がまだあるか分からない者。
帰っても働けないと、何度も同じことを言う者。
エドという人間の男は、手紙を一通持っていた。
娘が生まれた時に届いたものだった。
そのあと帰郷できないまま捕虜になり、一度も会えていないという。
「名前はフィナ。俺の母親から取ったんだ」
彼は紙を出し、すぐにしまった。
汚したくないらしかった。
諸族側の名簿には、ナジという若い男がいた。
ベルグに捕らえられている。
右手の指を三本失い、兵役を続けられない。
ミリアは、その名にも印をつけた。
人間だけの帰り道ではない。
何度でもその意味を確かめ直す必要があった。
*
ミリアは護衛とともに先行し、ベルグへ向かった。
ガレスと退避の手順を直接確かめるためだった。
アルトは止めたかった。
けれど、自分の代わりに行かせるのではない。
彼女にしかできない仕事だった。
「気をつけろよ」
「あなたも。私がいない間に、治癒術師の仕事を増やさないでください」
ミリアは馬へ乗った。
最初の頃より、ずっと危なげがなかった。
アルトは、その背中が見えなくなるまで立っていた。
*
ガレスは文書を三度読んだ。
「アルトは魔王に会ったのか」
「会いました」
「生きているのか」
「生きています」
「なぜ敵側の交換に関わっている」
ミリアはベルトの名を指した。
司令官の手が止まった。
「ほかにも、戻れる人がいます」
長い沈黙のあと、ガレスは地図を出した。
「交換所は予定通り、旧水車場。北への道が塞がれた場合は、外庭を一時退避に使わせる。ただし、戦闘部隊を入れる約束ではない」
「負傷者は、種族を問わずですね」
「合意した名簿の者ならな。運ぶ者も人数を決める。武器のある護衛は外に残し、最後に入る者まで、門前で一人ずつ確かめる」
ミリアは書き取った。
「旗だけでは、味方の移送隊だと分からない場合もあります」
ミリアが言うと、ガレスは頷いた。
「だから、お前か、交換に立ち会う俺の部下が先に戻れ。荷車の数と、運んでいる者の身元を確かめさせる」
「確認が取れれば、門を開けてもらえるんですね」
「合意した者だと確かめられればな。敵に追われていようが、名乗っただけで開けるわけにはいかん」
その夜、印と合図、荷車の順番を決めた。
内門を閉じた状態で、外庭に受け入れ場所を作る。
担架を用意する。
負傷者の移動を優先し、聴取は後にする。
昨日まで紙の上だった約束に、少しずつ人と物が付け加わった。
*
ハンナは五台の車を手配した。
三台を北のヴァルへ。
二台を南のベルグへ。
旧水車場で双方が合流する。
「壊したら、契約通りに払ってもらうよ」
ヴァルへ来たハンナに、アルトは頭を下げた。
「親父さんは」
「口だけ先に治った。脚が追いつく気配はない」
彼女は黒い甲冑の包みを見た。
長く見た。
それから、何も聞かず荷台の縁を叩いた。
「誰を運ぶにせよ、座らせる場所は同じだ。角が天幕に引っかからないよう、そこだけ気をつけな」
アルトはようやく笑った。
帰るための道は、誰かの正しさだけではできなかった。
荷車を貸す人がいて。
布を縫う人がいて。
眠らず紙を書く人がいた。




