引き受けない条件
必要なものは、剣ではなかった。
荷車。
馬。
食料。
包帯。
通行証。
部隊の受領印。
人間側の責任者の同意。
そして、予定が崩れた時に、どこへ戻るかを記した紙。
アルトは増えていく項目を見ていた。
「勇者って、もっと剣でどうにかなる職業だと思ってた」
「だから記録官を連れてきたんでしょう」
ミリアの返事には、少しだけいつもの調子が戻っていた。
だが、彼女はアルトのために都合のいい数字を書かなかった。
人間十七人のうち、自力で長く歩けない者が九人。
諸族十二人のうち、寝たまま運ぶ必要のある者が五人。
車を減らせば、一度に運べない。
薬を減らせば、熱のある者が道中で悪化する。
以前なら、ただの数字に見えただろう。
だが今は、その数字の向こうに帰りを待つ人々がいた。
*
準備には三週間かかった。
レオンは軍の移動を延期し、交換路周辺へ接近しないよう命じた。
ザハルは護衛を出した。
バルサは、代表する諸部族の備蓄から食料を提供した。
ただし、足りない分を民間の備蓄から取ることは認めなかった。
「我々は、あんたの正しさを証明するために生きているわけではない」
バルサは言った。
「こちらの十二人にも、帰る家がある。それで手を貸す。理由を取り違えるな」
アルトは頷いた。
「そのつもりで、やる」
*
人間側との連絡には、ハンナの商隊も手を貸した。
リュゼの商人は前線の補給に関わっており、限定的な取引の通行証も持っていた。北へ出入りする使者の仲介に、経験があった。
使者が届けたハンナの手紙には、父親の脚は助かったとあった。
酒樽は三つ失った。
恩は返す。
だが荷車は、ただでは出さないと。
ミリアが読み上げると、アルトは声を出して笑った。
「相変わらずだな、あの人」
「お父さんも、商魂も健在ですね」
手紙には、さらに一行あった。
帰りの酒は安くするが、行きの仕事まで安くする約束はしていない。
世界を救うより先に、借金が増えるらしかった。
*
計画書には二つの退避先ができた。
北への道が使えるなら、ヴァル側の宿駅へ。
そこが塞がれた場合は、南のベルグ外庭へ。
後者には人間側の正式な承認が必要だった。
諸族の負傷者を再び捕虜に戻さないこと。
武器を預け、身元を確認したうえで医療保護に置くこと。
道が開けば北へ送ること。
文章にすれば数行だった。
その数行のために、ミリアは幾度も返書を書いた。
*
城を出る前夜、レオンが黒い甲冑を運ばせた。
アルトは立ち上がった。
「まだ引き受けるとは言ってないはずだが」
「継承ではない。今回の移送に限る代理権限だ。関係する代表の承認も取った」
協定書が置かれた。
負傷者の移送。
指定された道の護衛。
交換と緊急退避が終わるまでの現地調整。
それ以外の軍を勝手に動かす権限はなかった。
「紙だけでは、遠くの兵に見えない」
レオンは甲冑を見た。
「だが、この甲冑なら、一目で魔王の権限を持つ者だと分かる。着るかはお前が決めろ」
アルトは銀白の胸甲へ目を落とした。
これを着ていれば、人間の兵は道を空ける。
黒い甲冑を着れば、剣を向けてくる。
中身は同じでも。
「一つ、条件がつけたい」
「何だ」
「俺が間違った命令を出したら、止める奴を決めておけ」
レオンは顔を上げた。
「仮でも魔王の命令だからって、何でも従うな。おかしいと思ったら、止めてほしい」
「お前が正しいと思っている時でも?」
「その時が、一番要るんだろ」
レオンは長く黙っていた。
やがてザハルを呼び、代理権限を越えた場合の停止手順を文書へ加えた。
*
夜更け、ミリアが甲冑の紐を調整した。
装具係が直した内張りへ、さらに布を当てる。
肩を庇えるように、革紐の長さを変える。
「似合わないな」
アルトが言った。
「初めて会った日の鎧も、似合っていませんでした」
「俺は何着ても駄目なのか」
「身体に合うまで直します」
彼女は留め金へ指を入れ、擦れないか確かめた。
その指が止まった。
「好きになりたくなかったです」
アルトは動けなくなった。
ミリアは顔を上げなかった。
「遠征が終わったら、記録を出して、仕事に戻ればいいと思っていました。兄のことが分かれば、それで」
アルトは息を吸った。
「ミリア」
「今、返事をしないでください」
彼女は最後の紐を結んだ。
「出発前の言葉にしたくありません」
アルトはしばらく彼女を見た。
それから頷いた。
「帰ったら、もう一度言ってくれ」
ミリアが顔を上げた。
目が赤かった。
「あなたからでも、いいんですよ」
アルトは笑おうとして、うまくできなかった。
「分かった」
それだけは、はっきり言った。




