↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔王城から帰った勇者はいない  作者: 週休七日


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

15/26

仇の署名

 魔王の許可を得て、ミリアは部屋へ入ると、アルトの顔しか見なかった。


 生きているとは聞かされていた。

 それでも、自分の目で確かめるまでは安心できなかった。


 今は、その本人が目の前にいた。


 駆け寄り、頬を確かめ、肩へ触れた。

 胸甲の留め具を外そうとする。


「待て。先に話を」

「息を吸ってください」

「大丈夫だから」

「先に息」


 アルトは吸い、顔をしかめた。


「どこが大丈夫なんですか」

「歩けた」

「判断が粗すぎます」


 胸甲の下には大きな打撲の痕があった。


 ミリアは掌をかざした。

 淡い光が、赤黒くなった皮膚を照らす。


 生きている。


 その一つを自分の手で確かめてから、ようやく部屋を見始めた。


 台の上に黒い兜。

 机に広げられた書類。

 少し離れたところに、人間の男。


 光が止まった。


「……レオン?」


 記録院で何度も見た顔だった。


 式典の略画。

 古い軍務記録。

 写本の表紙。


 老いている。

 それでも、見間違いにはできなかった。


 男が銀札を出した。


「そうだ」


 ミリアは兜を見た。

 レオンを見た。

 アルトを見た。


「あなたが、魔王だったんですか」


「そうだ」


 ミリアの右手が腰へ伸びた。

 門で短剣を預けたことを、そこで思い出した。


「私、あなたの記録を何度も読みました」


 自分の声が遠く聞こえた。


「旅にも持ってきました。橋から辞書は落としましたけど。その記録は残っています」


 レオンは聞いていた。


「また、あなたのような勇者が魔王を倒して、戦争は終わると思っていました」


 憎しみには、行き先が必要だと思っていた。

 顔が分かれば、そこへ向かえると思っていた。


 実際には、その顔を知っていたせいで、息の仕方が分からなくなった。


「六年前も、あなたでしたか」


 レオンが頷いた。


 ミリアは内袋の古い紙を出した。

 指がうまく動かず、隣の薬包まで落とした。


 アルトが拾い、彼女の手が届くところへ置いた。


「セイル街道。霜月の七日です」


 通知を机へ置いた。


「この部隊を襲わせたのは、あなたですか」


     *


 記録が届くまでの間、レオンはミリアにも三年間の停戦と、その後に戦争を再開した理由を説明した。


「人間同士の大戦を防ぐために、魔王軍を動かしたんですね」


「そうだ。あのまま放置すれば、より多くの命が失われると考えた」


 ミリアは筆を止めた。


「では、戦争を続けなかった場合、本当にもっと多くの人が死んだと、どうして分かるんですか」


「分からない。同じ歴史を二度やり直して、比べることはできん」


「なら、それを確かな成果のように語らないでください」


 レオンは何も言わなかった。


 ミリアは、その沈黙も記録した。


 自分の手が、いつもの綺麗な字を書いている。

 それがひどく気持ち悪かった。


 日が傾く頃、原本が運ばれてきた。


 レオンは地図と照らし、命令番号を確かめた。


「この作戦だ。補給路を断つよう命じた。指定の日時と場所で輸送隊を襲った記録がある」


 署名があった。


 レオン。


 ミリアは持ってきた写本を横へ置いた。


 自分の責任を最後まで書く男と同じ名だった。


「お前の兄を直接斬った者が誰かは、この記録だけでは分からない。だが、その部隊を動かしたのは俺だ」


「兄の名前を、知りませんよね」


「知らない」


「ミールです」


 レオンは繰り返さなかった。


 よかった、とミリアは思った。

 聞いたばかりで、覚えたような顔をされたくなかった。


「粥に塩を入れすぎる人でした。字が綺麗で。人の頼み事に文句を言って、それでも手伝って」


 もっとあった。


 六年間、忘れないようにしてきたのに、言葉にしようとすると少ししか出てこなかった。


「まだ、あります」


 ミリアは言った。


「今、うまく出てこないだけで」


 レオンは椅子から立ち、頭を下げた。


「すまなかった」


「許しません」


「ああ」


「何人救ったか分からない話で、兄を片づけないでください」


「片づけない」


 それで何かが戻るわけではなかった。


 兄が最後に何を思ったのかも、分からないままだった。


 六年間、兄の死を誰に問えばいいのか、知りたかった。


 ようやく、その相手が目の前にいる。


 憎しみを向ける相手は見つかった。

 それでも、胸に空いた穴は埋まらなかった。


     *


 夜、アルトはミリアと二人きりにしてもらった。

 食事は冷めていた。


 アルトは、レオンから後を継がないかと持ちかけられたことを話した。


「魔王の役目を、引き受けるんですか」


 ミリアが尋ねると、アルトは首を振った。


「まだ決めてない」

「でも、考えてる」

「俺が命令を出す側になれば、止められる戦いもあると思う」


「あなたの命令で、誰かの兄も死にます」


「……分かってる」


「そんなに簡単に、分かったと言わないでください」


 アルトは口を閉じた。


「私たち、今日聞いたんです。全部分かった人の顔をしないでください」


 彼は椅子の背へ手を置いた。


「分かってない」


 声が掠れた。


「あいつを斬れば終わると思ってた。そのつもりで、ここまで来た」


 しばらくして、彼は言った。


「帰りたいよ」


 その声は、昼間よりずっと幼く聞こえた。


「今ここで引き返せば、ミリアと王都で約束した菓子を食べられる。それから村に帰ったって、みんながっかりはするだろうけど、追い出したりはしないと思う」


 ミリアは膝の上で両手を強く握った。


「でも、また徴兵状が来たら。俺は何て言えばいいんだろうな」


 答えはなかった。


 考えるのをやめて、一緒に帰ってほしかった。

 けれど、その願いで彼の考えを止めたくはなかった。


「私は、今日はあなたに帰ってほしいです」


 アルトが顔を上げた。


「でも、それだけで決めてほしくはありません」


 ミリアは目を伏せた。


「だから、困っています」


 長い沈黙のあと、アルトが椅子へ座った。


 冷えたスープを飲む。

 少し顔をしかめる。


「塩、少ないな」


 ミリアは笑おうとして、失敗した。


 涙が落ちた。


 アルトは拭こうとしなかった。

 パンを半分にし、彼女の皿へ置いた。


「食べられるか?」


 ミリアは頷いた。


 パンはひどく硬かった。


「魔王城だからって、パンまで強くしなくていいのにな」


 今度は、ミリアも少し笑った。



 笑えたことが兄への裏切りだとは、思わなかった。


 そこだけは、もう自分で決めたかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。