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魔王城から帰った勇者はいない  作者: 週休七日


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兜の下

「俺を呼んだのは、お前か」


 アルトが尋ねると、魔王は立ち上がった。


「砦を通すよう命じた。その先の道も塞がせなかった」

「王都で勇者になった時からか」

「その時には、お前の名も知らなかった」

「じゃあ、いつから」

「境界を越えた人間がいると聞いてからだ」


 アルトはベルトの顔を思い出した。

 ガドの最期の目。

 川へ落ちた辞書。


 全部を誰かの筋書きにできるなら、怒りは一か所へ向けられた。


 そうではないらしかった。


「何のために」

「会うためだ」


 魔王が大剣を持ち上げた。

 アルトは腰を落とした。


「話すために剣が要るのか」

「お前も抜いている」


 言われて初めて、自分がずっと切っ先を向けていたことに気づいた。


 魔王が踏み込んだ。


 最初の一撃を受けて、アルトは負けると思った。


 重さだけではない。

 受けるべきでない場所へ、自分から剣を置かされた。


 下がれば次が来る。

 内側へ入れば柄が来る。


 三合目で気づいた。


 王国式だった。


 村へ来た退役兵から教わった足の運びが、そこにあった。

 ただし、形だけ覚えた自分のものとは違う。


 何十年も身体に入れてきた動きだった。


 アルトは低く入り、胸甲の隙間を狙った。


 刃を乗せられた。


 肩に痛みが走る。

 右手の握りが緩んだ。


 剣が床へ落ちる音と、胸に衝撃が来るのは、ほとんど同時だった。


 倒れた時には、喉へ刃があった。


 息が入らなかった。


 ミリアの顔が浮かんだ。


 最後に言ったのが、干し梨を食うな、では嫌だった。


「起きられるか」


 刃が離れた。


 アルトは床へ手をついた。

 咳が出た。目に涙が滲んだ。


「なんで殺さない」

「話が終わっていない」

「ふざけるな」


 魔王は大剣を床へと差し直した。


「勇者よ、何を終わらせに来た」

「お前を」

「そのあと、どうなる」

「戦争も終わる」


 アルトは落ちた剣へ手を伸ばした。

 魔王は勇者を止めなかった。


「村から誰も連れていかれなくなる。麦を持っていかれなくなる。帰ってくる奴が増える。そのために来た」


 魔王は、立つまで静かに待った。


 兜の細い隙間から、目だけが見えた。


 怪物の目には見えなかった。

 それが腹立たしかった。


「見せるものがある」


 金具が外れた。


 黒い兜が持ち上がった。


 白髪の交じった短い髪。

 目尻の深い皺。

 少し曲がった鼻。


 汗に濡れた、人間の顔だった。


 アルトは動けなかった。


 男は兜を台へ置き、籠手を外した。

 節の太い指を一度、開いた。


「……人間?」


 男は頷いた。


 変装かもしれない。

 魔術かもしれない。


 そう思おうとした。


 男が胸元の留め具を外した。


 銀色が見えた。


 小さな札だった。

 アルトの胸にあるものと同じ形をしていた。


 レオン。


 文字の縁が、長い年月で丸く擦れていた。


 リュゼの食堂が浮かんだ。


 パンを持った男。

 片側だけ上がる口元。

 宿代を返していない英雄。


 少し曲がった鼻。片側だけ上がる口元。リュゼの食堂で見た、あの勇者の顔だった。


「レオン」


 名を呼んだだけなのに、男は傷に触れられたように目を閉じた。


「そう呼ばれていた」


「お前は、魔王を倒したはずだろ」


「倒していない」


「三年間、軍が止まった」


「俺が止めた」


 握っている剣が、ひどく遠いものになった。


 倒したのではなく、止めた。

 帰らなかったのは、死んだからではなかった。


「じゃあ、誰が死んだ」


 自分でも、何を聞いているのか分からなかった。


「相打ちだったって。皆、そう言ってた」


「ここでは、誰も死ななかった」


 アルトは切っ先を上げた。


 今なら喉へ届く。

 兜は台の上だ。

 大剣は床にある。


 レオンは動かなかった。


「俺、お前みたいにならないって言ってきた」


 声が掠れた。


「帰ってこなかったから。俺は倒して帰るって。村の子供に」


 レオンは慰めなかった。

 笑わなかった。


 そのことだけが、いまはかろうじてありがたかった。


 アルトは剣を下げた。


「先にミリアへ伝えてくれ」

「何を」

「俺が生きてるって」


 レオンは鈴へ手を伸ばした。


 すぐに軍務官が来た。

 門で待つ記録官へ、勇者の生存を伝えるよう命じる。


 さらに、本人が望むなら、武器を預けた客人として招くよう言い添えた。


 軍務官は頷き、出ていった。


 その当たり前の光景が、アルトには恐ろしかった。


 この男は、怪物として命令しているのではない。


 人間の顔で、人間の声で、戦争を動かしていた。


「話せ」


 アルトは言った。


「途中で納得すると思うなよ」


 玉座の奥の扉が開いた。


 そこには、茶の染みた机と、積み上がった書類があった。

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