勇者だけの門
魔王城は、最後の峠を越えるまで見えなかった。
人間の町から見える場所にはない。
魔族の町からも、山に遮られている。
岩山の奥に黒い壁が立っていた。
雪の残る斜面を背負い、低い雲が塔の途中へ掛かっている。
アルトはしばらく立ち止まった。
絵本の城に似ていた。
だが、本物の方には、煙突から煙が上がっていた。
「……飯、作ってるのかな」
「その可能性は高いですね」
「もっとほかに言うことがあった気がする」
「私もです」
二人は坂を下りた。
城の手前には独立した石門があった。
大きな槍を持つ門番が、通行証を確かめる。
「勇者アルト。入城認める」
それから、ミリアへ目を向けた。
「同行者、ここで待て」
「こいつは記録官だ」
アルトが言うと、門番は頷いた。
「聞いてる。ただ、今出ている許可、勇者一人分。連れて入城すること認めない」
「剣を預ければいいか?」
「魔王様の許可要る。」
門の横には待機所があった。
火も、水も用意されていた。
アルトは、足元の石が少しずつ傾いているような気がした。
敵の城へ来たはずなのに、通行の手続きで止められている。
ミリアが言った。
「今なら、引き返すこともできます」
「ここまで来た」
「ここまで来たことは、ここから先へ行く義務にはなりません」
アルトは城門を見上げた。
帰り道は背後にあった。
閉じられてはいなかった。
村へ戻れる。
魔王は強そうだったと話せば、皆は怒るかもしれない。
それでも、夕飯くらいは食べさせてくれるだろう。
教師は、倒せなくても帰れと言った。
その言葉を知ったうえで、アルトは前を向いた。
「先に、話を聞いてくる。お前も呼べるように頼む」
ミリアは目を閉じた。
開くと、彼の荷袋へ手を伸ばした。
「重いものは預かります」
食料と毛布を渡した。
小さな布包みを出した時、彼女が首を振った。
「それは持っていてください」
借りた針だった。
「戦いに使うのか」
「帰るために持っていてください」
アルトは胸の内側へしまった。
*
ミリアが外套の留め具を直した。
とっくに直し終わっている。
それなのに、ミリアの指は外套を掴んだままだった。
「怪我は」
「なるべくしない」
「無茶は」
「必要な分だけ」
「その見積もりが信用できないんです」
アルトは笑った。
ミリアは笑わなかった。
だから、アルトも笑うのをやめた。
「怖いよ」
言うと、ミリアの指が止まった。
「負けるかもしれない。昨日までは、そんなこと言わない方がいいと思ってた」
「はい」
「でも、負けても戻ってくるつもりで行く」
ミリアはゆっくり手を下ろした。
「では、そうしてください」
アルトは頷いた。
門番が名を告げた。
グラウという。
アルトはその名を覚え、門をくぐった。
振り返ると、ミリアはまだ立っていた。
何か言わなければと思った。
立派な言葉は、やはり出てこなかった。
「荷物、全部食うなよ」
彼女が泣きそうな顔で笑った。
「干し梨は保証できません」
*
城の中には、人の暮らす匂いがした。
新しい蝋。
濡れた外套。
煮炊きの匂い。
遠くから金属を運ぶ音がした。
廊下の奥で誰かが扉を閉めた。
何も襲ってこないことが、少しも安心にならなかった。
高い扉の前で、アルトは王都の剣を抜いた。
奥の玉座に、黒い甲冑が座っていた。
顔を覆う兜。
長い外套。
床へ立てた大剣。
「来たか」
兜の中で、低い声が響いた。
この相手を倒せば、帰れる。
アルトはまだ、その考えを手放してはいなかった。




