第44話:誓い
レオンとガレノスが洞窟の奥へ駆け寄り、荒い息を整えた瞬間――その場の空気が、再びピンと引き絞られた。
「エレ様、お怪我は……っ!?」
レオンが身を乗り出した瞬間、その目がある違和感を捉えて固まった。
サフィールの背後に庇われ、大きなマントですっぽりと覆われた小さな影。
普段の側近としての凛々しい軍服はなく、サフィールのシャツ一枚を羽織っただけの華奢な肩。そしてマントの隙間から覗く濡れた髪の合間に、隠しようもなく輝いている鮮烈な緋色の瞳。
「……エレ、様……? そのお目は……」
レオンは息を呑んだ。
エレが女性であることは、あの刺客に襲われた夜に知り得た。どのような理由や覚悟で男と偽って生きてきたのか、深い理由はわからないが、その苦悩を側で見守り、自らの胸だけに秘めて支えてきたのだ。女性であったとしても、自分の命を懸けて仕えるべき主君であることに変わりはない。
だが――その瞳に宿る、滅びし国ラディオンの象徴たる鮮やかな赤。それは知らなかった。
(……ラディオンの、緋……)
衝撃がレオンの胸を貫く。しかし、動揺が過ぎ去ったあとに残ったのは、変わることのない固い忠誠心と強い感情だった。どんな素性であろうと、どんな過去を背負っていようと、自分が守り抜きたいと願うエレ様であることに変わりはない――そう心の中で力強く再確認する。
一方で、事態の重さを即座に理解したガレノスは、血の気が引く思いでサフィールを見上げた。
(とうとう……秘密が暴かれてしまったか……!)
ガレノスだけは、エレが「青の呪薬」を使い続けてまで隠し通してきた重い過去と素性を全て知っている。帝国にとってラディオンの生き残りは、討ち果たすべき反逆の種でしかない。サフィールの冷徹な一面を知るガレノスは、エレの命が今まさに潰されようとしているのではないかと強い恐怖に襲われた。
「殿下……! どうか……どうかエレ様の命だけはお助けください……ッ!」
ガレノスは膝を折り、岩肌に力任せに額を擦り付けるようにして土下座した。
「エレ様が何者であろうと、これまで殿下のために命を懸けてきたことに偽りはございません! 万一、ラディオンの残党として罪を問うとおっしゃるなら……すべてを知りながら隠し通してきた、この私の首をおねはねください! 私の命で、エレ様をお許しいただきたいのです……っ!」
「ガレノス……ダメ……! やめて……っ!」
マントの影から、エレが掠れた声で叫ぶ。自分のために大切な臣下までもが命を投げ出そうとしている惨状に、胸が引き裂かれそうだった。
だが、地につけられたガレノスの頭を見下ろすサフィールの瞳に、冷酷な光はなかった。
「顔を上げろ、ガレノス。……俺がこの手で守ると言った女を、害するわけがないだろう」
サフィールの低く力強い声に、ガレノスはハッと顔を上げた。
「殿下……?」
「叔父上の追っ手を振り切るのが先決だ。……隠れ家を用意したと言ったな、レオン」
サフィールが鋭い眼光を向けると、レオンはすぐさま立ち上がり、深く身を低くした。
「ハッ……。ゼノヴィア卿の私兵どもが、この川沿いをしらみつぶしに捜索しています。追っ手がここを特定する前に、脱出しなければなりません」
「ガレノス、エレの傷と毒の状態はどうだ?」
サフィールの問いに、ガレノスは動揺を押し殺しながら近寄り、エレの手首にそっと触れて脈を診た。
「……毒の峠は越えていますが、体力の消耗が激しく、右肩の矢傷も酷い状態です。自力での移動は不可能です。今すぐ手当をしなければ命に関わります」
「分かった」
サフィールは迷うことなく、マントごとエレをその腕の中にすっぽりと抱き上げた。
「あっ……殿下……!?」
突然浮き上がった身体に、エレが慌ててサフィールの胸元にしがみつく。
「暴れるなと言ったろう。お前を背負って戦うつもりはない。俺の腕の中にいろ」
手つきは驚くほど優しく、冷気にさらされないようマントを深く掛け直す。
「レオン、先導しろ。ガレノスは後方の警戒を」
「御意」
レオンとガレノスが力強く頷き、洞窟の外へ滑り出していく。
サフィールは腕の中で小さく身を縮めるエレを見下ろし、耳元で低く囁いた。
「お前の過去がどうであれ、俺たちの関係が変わることはない。……エレ。俺はお前を二度と手放さん」
朝靄の広がる深い森の中、狂おしいほどの愛とそれぞれの決意を抱いた一行は、静かに駆け出したのだった。




