第42話:名もなき口付け
――夜半。
毒の熱は夜が深まるにつれて勢いを増し、彼女の小さな身体を容赦なく焼き尽くそうとしていた。
彼女の吐息は荒く熱気を帯び、唇はみるみるうちに乾燥してカサカサに乾いていく。
「……っ、さらに熱が上がってきたのか……!? 唇も乾いている⋯水を飲ませないと……!」
サフィールは腰に下げていた革の水筒を取り出すと、エレの頭をそっと膝の上に抱き起こし、その乾いた唇に水筒の口を当てた。しかし、意識のないエレは上手く喉を鳴らすことができず、水筒から注がれた水はゴクリと飲み込まれることなく口角から溢れ出した。
冷たい水滴が白磁の首筋を伝い、エレは「んぐっ……ゴホッ、ゴホッ……!」と激しく咳き込んでしまう。
「エレ……っ! 無理に注いじゃダメか……」
苦しそうに顔を歪めるエレを見て、サフィールは焦った。だが、このまま水分を摂らせなければ、高熱で干からびてしまう。
(……すまないエレ…!)
サフィールは水筒の水をごくりと自分の口に含んだ。そして躊躇いを捨て、エレの薄く開いた唇へと、自身の唇をそっと重ね合わせた。
「ん……っ……」
口内にゆっくりと滑り込んでいく冷たい水。エレは本能的に喉を動かし、ゴクリと水を飲み干した。その際、上気した熱い吐息と、吸い付くような柔らかい唇の感触が、ダイレクトにサフィールの唇へ伝わってくる。何度も口移しで水を注ぎ込むたび、これまで男として肩を並べ、互いの背中を預けてきた歳月が脳裏をよぎる。
(なぜ、もっと早く気づいてやれなかった……)
どれほどの孤独と覚悟を抱えて、この胸をきつく縛り続けてきたのだろう。何も知らずに戦わせていた己の無力が情けなく、切なさが溢れて止まらない。
「……ふぅ、飲めたか……」
安堵して顔を離そうとした、その時だった。
「……んっ……お……みず、もっと……」
熱に浮かされたエレの口から漏れたのは、普段の張り詰めた態度からは想像もつかない、甘くか細いうわ言だった。無意識に渇きを求め、うっすらと開いた桜色の唇が、サフィールの唇をねだるようにわずかに蠢く。
(⋯⋯っ!……)
サフィールは再び水筒から水を含んでは、エレの唇へと重ねていった。
一回、二回、三回――。
回数を重ねるごとに熱を帯び、水を含ませるたびに、エレの唇は柔らかくぷるんと潤っていく。
「ん……ふぅ……っ……」
ようやく喉の渇きが癒えたのか、エレは満足そうに小さく熱い息を吐くと、サフィールの胸元にすり寄るようにして静かにおとなしくなった。
「……っ!……」
荒い息を吐きながら唇を離したサフィールは、自分の熱くなった顔を片手で覆った。
水分補給も無事に終わり、エレの呼吸も徐々に落ち着きを取り戻していく。外の風も少し和らぎ、岩肌に掛けておいた二人のマントを触ってみると、体温と洞窟内の空気で羽織れる程度にまで乾いていた。
サフィールはマントを手にとると、自分のシャツを軽く羽織った上で、横たわるエレを優しく抱き上げた。そして、二人の身体を大きなマントでくるむようにしっかりと抱きかかえる。
自分の体温とマントの温もりに包まれ、エレはサフィールの胸の中で穏やかな寝息を立て始めた。
サフィールはその愛おしい頭をそっと撫で下ろし、彼女の温もりを全身で感じながら、ゆっくりと明けていく洞窟の夜を二人で静かに明かしたのだった――。




