第4話 朝焼けの残光
東の空がゆっくりと白み始め、夜の闇を溶かしていく。
凄惨な激闘が終わりを告げたヴァルカ平原には、赤く染まった朝靄が低く立ち込めていた。静まり返った戦場に、残された火たき木の爆ぜる音と、負傷者の短い呻き声だけが寂しく響く。
エレは深く被った軍帽の庇を指で押し上げ、朝焼けの光を浴びる荒野を見つめていた。
「……見事な手際だったな、エレ将軍」
背後から掛けられた低い声に振り返ると、そこには剣を鞘に納めたサフィールが立っていた。
黄金の甲冑には敵の血がへばりつき、凄まじい修羅場をくぐり抜けてきたことを物語っている。だが、その顔立ちには疲醒の色すら見されず、堂々たる覇気と爽やかな笑みが浮かんでいた。
エレは胸元の晒しが締め付ける圧迫感を静かに堪えながら、男としての低い声を意識して静かに礼を執った。
「……無茶が過ぎます、サフィール殿下。いくら武勇に秀でておられるとはいえ、一国の第一皇子が護衛も満足につけず前線へ躍り出るなど、正気の沙汰ではありません」
「ハハ、手厳しいな。だが、前線で孤立しかけていた我が軍の若き英雄を放っておくほど、私は冷血ではないつもりだ」
サフィールは歩み寄り、エレのすぐ隣で立ち止まった。
背の高いサフィールの影が、華奢なエレの身体をすっぽりと覆い隠す。サフィールから漂う鉄と血の匂い、そして圧倒的な熱量に、エレの肌が微かに粟立った。
敵国の皇子。我が故郷ラディオンを焦土に変え、家族を惨殺した宿敵――皇帝の血を引く男。
(……いま、ここでこの男の首を跳ねれば)
エレの右手が、無意識のうちに腰の長剣の柄へと伸びかける。指先が微かに震えた。
一瞬の殺気を察知したかのように、サフィールがふとエレの顔を覗き込む。前髪の隙間から覗く、凍てつくような深海の青を見つめながら、サフィールは眩しそうに目を細めた。
「……君の瞳は、いつ見ても冷たく美しいな。まるで氷の底に沈む静かな海のようだ」
「……お戯れを」
エレは咄嗟に殺意を押し殺し、冷ややかに視線を外した。冷や汗が背中を伝う。
「命を救っていただいたことには感謝いたします。ですが、殿下。戦場に情は不要です。私は私の務めを果たしたに過ぎません。どうぞ本陣へお戻りください」
「そう身構えるな。私はただ、君という男に興味があるだけだ」
サフィールはポンと、親しみと敬意を込めてエレの華奢な肩を叩いた。
その手の温もりが、鎧越しであるはずの肩に重く重くのしかかる。
「その細い身体のどこに、あれほどの剣技と冷徹な策謀が秘められているのか……。君のような男が味方にいてくれて心強いよ」
サフィールは不敵に微笑むと、背を向けて己の馬へと歩き出した。
「また会おう、エレ将軍。次の戦場でも、君の冴え渡る采配に期待している」
疾風のように走り去っていくサフィールの背中を、エレは一人静かに見送った。
朝日が昇りきり、エレの青い瞳を鮮やかに照らし出す。だが、その薬で染め変えられた「蒼の奥」には、誰にも見せられない真っ赤な「緋色の炎」が静かに揺らめいていた。
(味方……ですか。……おめでたいお方だ、サフィール殿下)
エレは静かに目を閉じ、胸元を固く締め付ける晒しの感触を確かめた。
「将軍! 負傷者の収容と追撃の準備が整いました!」
副官レオンの声に、エレは目を開けた。
「追撃に移る。行くぞ」
そこにはもう、一切の揺らぎのない冷酷な帝国軍将軍の顔があった。




