第37話:交錯する疑惑
残酷なシーンあり
宮殿の一角、冷たい石壁に囲まれた独房。
サフィールは薄暗い光の中、血と湿気に満ちた空気の中で椅子に腰掛け、足元に這いつくばる男を見下ろしていた。
昨夜までの不遜な笑みは見る影もなく、全身を痛めつけられた彼は、息も絶絶に床を這っている。サフィールが与える「処刑を免れる道もある」という甘い言葉と、容赦ない拷問の繰り返しの末に、リュシアンの精神はとうにすり切れていた。
限界を迎えたリュシアンは、床に額を擦り付けるようにして震え声を漏らした。
「わ、わかった……! 全部喋る……! だから、もう終わりにしてくれ……っ!」
サフィールは冷ややかな目を向けたまま、微動だにせず促す。
「続けろ。お前が誰と通じ、何を企んでいたのかをな」
「……アルカディアと通じていたのは、…バルタザール公爵家だ……」
リュシアンの口から零れ落ちたのは、王国の中枢を揺るがす恐るべき謀反の事実だった。バルタザール公爵家は、第二皇子派閥の頂点にいる。その莫大な権力と引き換えにアルカディアへ軍事機密を売り渡し、さらには公爵令嬢をリュシアンの正妃として迎えることで、帝国における揺るぎない権力を手に入れようとしたという。
すべての証拠と繋がりが、リュシアンの口から次々と暴かれていく。
サフィールは静かに立ち上がると、扉の前に控えていた側近に冷徹な声で命じた。
「……聞き届けた。ただちにバルタザール公爵家の動きを洗い出し、裏を取れ。一網打尽にする」
「はっ!」
側近が素早く退室していくのを確認した後、サフィールは再び冷たい視線をリュシアンに戻した。そして、胸の内に引っかかっていた最後の疑問をぶつける。
「……最後にひとつ聞く。昨夜、エレと何を話した」
その名が出た瞬間、ボロボロになったリュシアンの唇が歪み、不敵な笑みが漏れた。
「……あの犬がそんなに気になるのか…?ククっ…大した執着だなぁ?兄上」
「……余計な口を叩かず、質問に答えろ」
サフィールが氷のように冷え切った威圧的な声で凄むと、リュシアンは嘲るように声を弾ませた。
「大した話じゃない。ちょっとした昔の思い出話さ。……10年前のラディオン王国で、あの国の王族どもがどれだけみじめに死んでいったか……。そんな美しい歴史のワンシーンを、たっぷりと教えてやっただけだ⋯」
――ラディオン王国。
その単語を聞いた瞬間、サフィールの背筋に冷たいものが走った。
10年前、帝国が滅ぼしたラディオン王国。王族が残酷に処断され、国が消滅したあの悲惨な戦いの記憶は今も残っている。
だが、なぜリュシアンは、今になってそのラディオン王国の王族の死に様などをエレに持ち出したのか。
(ラディオン王国と、エレに……何か関係があるというのか?)
サフィールの脳裏に昨夜、回廊で会った際の凍てつくような拒絶が不気味に結びついていく。あんな風に突き放されておきながら、自分のせいで彼を追い詰めてしまったのではないかという苦い後悔とモヤモヤが、サフィールの胸を重く締め付けた。
何かが引っかかる。さらに追及しようとしたその時、石畳の通路の向こうから慌ただしい足音が響き渡った。
「――殿下! 緊急のご報告があります!」
扉の外から側近の切羽詰まった声が飛ぶ。
サフィールは険しい眉をひそめ、冷ややかな視線をリュシアンにひと流しすると、「わかった」と短く告げてその場をあとにした。
それから数刻後。
夜の帳が下りた地下牢に、音もなく忍び寄る影があった。
監視の目を掻い潜り、フードを深くかぶった何者かがリュシアンの独房の前に現れる。鉄格子の鍵がかすかな金属音を立てて開けられ、衰弱したリュシアンに声をかけた。
「……さあ、こちらへ」
「……お前は……!」
リュシアンの驚愕の声が微かに響いたが、その姿はそのまま闇の中へと消えていった。
そして、翌朝。
宮殿内は、朝から尋常な騒ぎに包まれていた。
「大変だ! 地下牢からリュシアン殿下がが消えた!」
「逃亡だ、すぐに捜索隊を出せ!」
宮殿中を揺るがしたリュシアンの逃亡劇からしばらくが過ぎた頃、帝都から遠く離れた国境沿いの荒野にて、思いがけない報せがもたらされた。
「エレ様、ご報告があります。国境沿いの街道にて……身元不明の死体が発見されました」
側近のレオンから差し出された報告書を受け取り、エレは静かに目を通す。
そこに記されていたのは、あまりにも凄惨な遺体の有様だった。着衣を引き裂かれ、手足の腱はすべて無残に断ち切られ、全身の皮膚は生々しく剥ぎ取られていた。極限の苦痛を与えられた末に息絶えたその無残な肉体は、あたかも見せしめのように、荒野の地に冷たい地面に串刺しにされていたという
冷え切った執務室の空気の中、報告書から目を離したエレは、ただ冷徹な青い瞳を窓の外へと向けた。そのその美しい顔には驚きも怒りもなく、ただ凍りついたような静けさだけが湛えられているのだった――。




