第30話:帝都動乱
夜陰に包まれた帝都皇宮。その静寂を破ったのは、禁衛隊の屯所に突如として投げ込まれた大量の発煙弾と、重苦しく響き渡る金属打撃音だった。
「リュシアン殿下の命令である! 逆賊サフィールに与する監察院の手先を排除し、皇宮を即時掌握せよ!」
私兵と買収された一部の近衛を率いたリュシアン派の部隊が、剣を抜き放ち、怒号を上げながら大門を突破していく。監察院が北方からの極秘証拠を携え、皇帝へ極秘内奏を行おうとしたまさにその直前、追い詰められていた実態を悟ったリュシアンが先手を打つ形で武力蜂起を強行したのだ。
「皇帝陛下をお守りせよ! 謀反だッ!」
広大な大理石の回廊には悲鳴と怒号が飛び交い、立ち込める松明の火光と血の匂いが幾重にも重なって、宮殿全体を混迷の渦へと巻き込んでいく。
「――始まったか」
皇宮の目と鼻の先、高台の闇に潜んでいたサフィール軍の本陣。
城門から立ち上る黒煙と火の手を目にしたサフィールは、冷徹な眼差しで腰の長剣の柄に静かに手をかけた。隣に並び立つエレもまた、漆黒のマントを夜風にはためかせ、微動だにせず馬首を整えている。
「監察院の動きを察知し、焦って暴走したか。どこまでも救いようのない愚か者だ」
サフィールの声には、実の弟に対する容赦のない冷酷さが宿っていた。だが、隣に立つエレへ視線を向けた瞬間、その瞳に宿る色がわずかに揺らぐ。
「エレ……身体は本当に問題ないのだな? 傷は痛まないか? 10日も床に伏していたのだ、無理をして強がっているのではないか?」
馬上で手綱を握るエレの横顔を、サフィールは覗き込むように案じた。戦闘前だというのに、自分の配下であり優れた将兵であるはずのエレの体調や痛みが気になって仕方がない。そんな己の動揺に秘かに驚きつつも、言葉を重ねる。
「ガレノスからも念を押されている。傷の痛みがあるようなら、無理に前線へ出るな」
「問題ありません、殿下」
エレはいつもの淡々とした口調で、サフィールの視線を正面から受け止めた。
「最低限の動きができるよう慣らしてきました。傷も病み上がりの体も、奴らを鎮圧するには十分機能します。……それに、宮殿内部の抜け道は熟知しております。皇帝陛下の寝所へ続く回廊を押さえ、リュシアンの退路を立ちましょう」
エレの瞳には、己の肉体への冷徹な把握と、一切の迷いのない覚覚悟が宿っていた。
サフィールはその佇まいに胸を突かれながらも、総大将としての峻厳な表情を取り戻し、一気に剣を抜き放った。
「全軍、突入! 逆賊リュシアンを討ち取り、皇帝陛下をお護りせよ!」
漆黒の甲冑に身を包んだ精鋭部隊が、夜の帝都を疾風のごとく駆け抜けていった。
正面大門を強行突破したサフィールとエレの部隊は、凄まじい鉄の波となって敵の防衛線を次々と切り裂いていく。
「な、なぜサフィール殿下の軍がすでに帝都に……!? 毒で倒れたはずのエレ将軍まで……ッ!?」
死んだはず、あるいは到底動けないはずのエレが凛とした姿で先頭に立ち、無駄のない太刀筋を振るう姿を見て、リュシアン派の兵士たちは著しい恐怖と動揺に包まれた。
エレは病み上がりの肉体に鞭打ち、体幹の強張りやわずかな痺れを強靭な意志で押し殺していた。一振りごとに手首へ伝わる負荷を感じ取りながらも、最小限の軌道で敵の急所を的確に突き、敵陣を容易に突破していく。
「エレ、無茶な踏み込みはするな! 後方と側面は私が引き受ける!」
サフィールは疾走しながらもエレの足取りや剣の切れ味を細かく観察し、彼がかばうような素振りを少しでも見せれば即座に前に躍り出て敵を斬り伏せた。
「殿下、玉座の間へ! 」
「分かった、ついて来い!」
返り血を浴びながら、重厚な玉座の間の大門へと突き進むふたり。
ふと、並走するエレの姿がサフィールの視界を射抜く。
わずかに削げた頬のラインは、透き通るような肌の白さを際立たせていた。久しぶりに身にまとった厳めしい軍服の襟元と、幾分伸びた髪が軍帽の隙間からさらりとこぼれ落ち、月光と松明の火光を浴びて妖しいほどに輝いている。武官としての凛烈な凄みと、あまりにも絶妙で中世的な美しさ――視界に飛び込んできたその容姿の破壊力に、サフィールは思わず鼻の奥が熱くなり、激しく胸を跳ねさせた。
(病み上がりでありながら、これほどの凄みと美しさを纏う男……。私はなぜ、これほどまでに目を離せないのだ……)
男色の噂、将兵としての立場、そして溢れ出る感情。サフィールは振り払うように一刀のもとに敵を切り捨てると、玉座の間の重い扉を蹴り開けた。




