第29話:迫る決戦
離宮の静養室。
「……エレ様! まだ無理はいけません! 10日も毒の床に伏しておられたのです、急速に体を動かせば筋肉が悲鳴を上げます!」
「邪魔をするな、レオン」
中庭に通じる回廊で、エレは額に汗を浮かべながら木剣を振るっていた。長く伏せっていた代償として落ちた筋力と体幹の感覚を取り戻すため、エレは周りの制止を振り切り、過酷な鍛錬を自らに課した。一振りごとに手首へ走る鈍い痛み。鞍に跨るための足の踏ん張りを確かめるように、地面を強く踏みしめる。
(乗馬と最低限、剣を振るえるまでに戻さねば。……ここでサフィール殿下を一人で帝都へ行かせるわけにはいかない。あの方の威光と力を利用し、リュシアンを完全に潰すまでは――)
サフィール本隊が前線の戦後処理を終え、帝都手前の合流地点へ到達するまでに残された猶予はほんの数日。エレはその限られた時間で徹底的に体を鳴らし続けた。
数日間にわたる鬼気迫る鍛錬の結果、全身の強張りは解け、踏ん張りと手首のキレは「実戦で乗馬と剣をこなせる最低限の域」までどうにか戻すことができた。全快とはほど遠く、長時間の立ち回りは体に響くものの、戦場に立つ指揮官としての鋭い動きは十分に保たれている。
合流の作戦日時に間に合わせるべく、覚悟を決めたエレは姿鏡の前で甲冑の金具を締め、身支度を整えた。
「ガレノス、行ってくる」
「…エレ様。毒が抜けたとはいえ、病み上がりの体で過酷な鍛錬に実戦だなんて……本当ならあと半月は寝床で大人しくしていてほしいのですが……どうか無茶だけはなさいますな。必ず無事にお戻りください」
ガレノスは深く溜め息をつきながらも、どこか諦めたように、けれど愛おしそうにエレの無事を祈った。
「ああ。分かっている」
エレは短く応えると漆黒の軍用マントを羽織り、馬首を整えると、レオンと共に帝都への街道へ向けて馬を疾駆させた。
一方、帝都・第二皇子リュシアンの豪華絢爛な館。
「――なんだと!? 監察院が極密裏に動き始めた……!?」
豪華な調度品が並ぶ執務室で、リュシアンは盃を床に叩きつけた。美しい顔立ちが、怒りと焦燥で酷く歪む。
「は、はい……。前線からシュタイン様の消息が途絶え、さらには北方から監察院へ極秘の飛脚が到着したとの情報が……。禁衛隊長官にも密かに通達がいき、警戒態勢が敷かれております!」
平伏する側近の報告に、リュシアンの背中に冷たい汗が伝う。
「バカな……! エレめ、あの毒で死んでいなかったというのか!? それにアルカディアとの密約書まで手に入れたというのか……ッ!」
最新式弩弓の横流し、鉱山採掘権の譲渡契約――あれが皇帝の目に触れれば、皇位継承どころか国家叛逆罪で処刑は免れない。自分が仕掛けた完ぺきなはずの罠が、すべてひっくり返され、自らの首を絞める刃となって返ってきたのだ。
「……くそッ! サフィールめ……エレめぇ……! 私がこのまま大人しく首を差し出すと思うなよ!」
リュシアンの瞳に、追い詰められた猛獣のような狂気が宿る。
「帝都に残る我が配下の兵をすべて集めよ! 監察院が皇帝陛下へ内奏する前に、宮廷を掌握する! 皇位は……この私が手に入れるのだ!」
逃げ場を失ったリュシアンは、ついに最悪の選択――帝都での武力蜂起へと舵を切り始めていた。
その頃、北方から帝都へと続く街道。
戦後処理を終えて進軍してきたサフィール率いる本隊と、離宮から数日の鍛錬を経て駆けつけたエレの部隊が、あらかじめ取り決めていた作戦日時通りに帝都の手前でピタリと合流を果たした。
軍馬を並べ、サフィールは隣に立つエレの顔をじっと見つめる。
「……エレ。体調は本当に大丈夫なのか? 無理をして追ってきたのではないか?」
「問題ありません。乗馬にも剣を振るうにも支障ないはずです。……戦後処理の手際、さすがでございましたね、殿下」
エレはいつもの淡々とした口調で応じる。
サフィールは自らの中に渦巻く複雑な胸騒ぎ――男であるエレに対する無意識の強い惹かれと、それを隠さねばならない葛藤を胸の奥に押し込め、総大将としての峻厳な表情を作った。
「リュシアンが追い詰められ、帝都で暴走を始める可能性が高い。……これより我らは帝都へ乗り込み、逆賊リュシアンの息根を止めるぞ」
「御意に」
エレは感情を差し挟まない冷徹な眼差しで、静かに頷いた。




