第24話:裏切りの真相
離宮の暗がりの中、冷えた夜風が秘匿室の窓をかすかに揺らしていた。
手元に持ち込まれた北方本陣からの裏暗号通信を検分していたレオンが、眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせ、静かに言葉を漏らした。
「……なるほど。そういうカラクリでしたか」
「何が分かった、レオン」
ベッドの傍らで腕を組み、険しい表情を浮かべていたサフィールが問い詰める。レオンは一枚の羊皮紙を示しながら、横たわるエレとサフィールへ向けて冷徹な声で告げた。
「刺客が狙ったのは、当初からサフィール殿下……あなた様でした。そして、それを裏でアルブレヒト子爵へ入れ知恵していたのが、他ならぬ北方本陣の副官シュタインです」
「ああ、だが実際に刺客の毒刃を受けたのは私を庇ったエレだ」
サフィールの言葉に、レオンはどこか蔑むような冷ややかな息を吐き捨てた。
「ええ。それこそがシュタインの狙いだったのです。奴は北方で長年エレ様の傍らに仕え、エレ様がどのようなお方かを熟知しておりました……『サフィール殿下に危機が迫れば、エレ将軍は自らの命を投げ打ってでも必ず盾になる』と」
その言葉に、サフィールの息が詰まった。
シュタインはエレの忠義と責任感、そしてサフィールを守ろうとする強い意志すらも「都合の良い盾」として利用し、刺客の刃の前へ踊り出させたのだ。
「そして……第二皇子リュシアン殿下にとっては、どちらでも良かったのでしょう」
レオンが冷たく言い放つ。
「リュシアン殿下からしてみれば、サフィール殿下が首尾よく死んでくれれば万万歳。仮に死んだのがエレ様であっても、『サフィールから無敵の腕力を奪い、第三軍を弱体化させられたからまあいいか』程度の認識です。だからこそ、アルブレヒトのような捨て駒を使って雑に刺客を放った……どちらに転んでも自分たちには痛手がない……極めて陰湿な算段です」
「……奴らめ……ッ!!」
己の命が狙われていたこと以上に、エレの真っ直ぐな忠義と命が、男たちの浅ましい権力争いと計算のダシにされ、文字通り『使い捨ての盾』として処理されようとしていた事実に、サフィールの胸の中で、激しい憤怒の炎が燃え上がる。
「……『盾』⋯か」
ベッドの上で青ざめた顔を伏せていたエレが掠れた声で呟いた。
「……私の盾として、エレを死の淵に追いやったというのか…! 己の野心のためだけに!」
サフィールは血が滲むほど固く拳を握り締め、激しい悔恨と殺意で全身を震わせた。
エレは静かに目を閉じ、痛む傷口を押さえながら冷徹な声を落とす。
「……千載一遇の好機であったというのに、私の命ひとつ奪いきれなかったこと……死ぬほど後悔させて差し上げましょう。シュタインにも……リュシアン殿下にも」
エレの青い瞳に不敵で冷ややかな光が宿らせ、呼吸を整えるとサフィールへ進言した。
「サフィール殿下。指揮はこの秘匿室ではなく、本陣近くの前線基地でお執りください。北方第三軍の兵たちは、将軍である私の動静に激しい不安を抱いています。そこへ第一皇子である殿下自らが前線近くに陣を張り、堂々と指揮を執ってみせる……それこそが『エレはもう動けない』とシュタインに錯覚させ、奴の暴走を決定的に焦らせる最大の餌となります」
「だが……エレ、君をこの状況で置いていくことなど――」
サフィールは咄嗟に拒絶の言葉を口にしかけた。片刻も傍を離れたくないという衝動が胸を締め付ける。
エレは部屋の隅に控えていた厳つい巨漢の男――エレがもっとも信頼を寄せる副団長バルドを招き寄せた。
「私の代わりに、バルドを殿下の側近としてお連れください。バルドは第三軍の内部構造と兵の動向を熟知しており、武の腕も立つ。殿下の背中は彼が守ります」
「……はッ! このバルド、エレ様より命を受け、サフィール殿下を命懸けでお護りいたします!」
巨漢のバルドが重々しく膝をつき、甲冑の擦れる音を響かせる。サフィールは深く息を吐き出すと、膝をつくバルドを見下ろし、落ち着いた声で言葉をかけた。
「……バルド」
「はッ、殿下!」
「……エレがそこまで全幅の信頼を寄せる男だ。私もお前を信じよう……背中を預ける」
サフィールはわずかに唇を噛み締めると、膝をつくバルドを見下ろし、どこか割り切れない陰りを残した声で言葉をかけた。
「勿体なきお言葉……! このバルド、エレ様の仰せの通り、我が身を賭して殿下の盾となり、必ずや背中をお護りいたします!」
「頼んだぞ。……いくぞ、前線へ!」
「はッ!!」
サフィールは最後に一度だけ、ベッドの上のエレを後ろ髪を引かれるように振り返ると、扉の前で、エレの傍らに甲斐甲斐しく付き添うレオンへ、冷ややかな視線を一瞬走らせる。
(…レオン。お前はいつも、エレの傍にいるのだな……)
エレの体にそっと毛布をかけ直し、傷口の状態や体温の微細な変化を誰よりも把握しているレオン。サフィールには決して見せないエレの隠された面も共有している男への、抑えきれない密かな嫉妬。
サフィールは己の醜い感情を殺すように、翻した漆黒のマントとともに部屋を後にした。
重い鉄の扉が閉じ、サフィールの足音が遠ざかっていく。
静まり返った室内で、レオンは微動だにせず、静かに眼鏡のふちを押し上げた。
(……サフィール殿下)
レオンの胸の底にもまた、冷たく静かな影が落ちていた。
大極殿の回廊でサフィールの温もりに触れた瞬間、エレが見せた無自覚な心の揺らぎ。どれほど近くで寄り添おうとも、自分には決して向けられることのない、サフィールへ寄せる特別な感情。
(どれほど俺が傍で命を守ろうとも……エレ様のお心を真に揺さぶるのは、いつも貴方様だ)
レオンは深く深く息を吐き出すと、胸に渦巻く思いを冷徹な参謀の仮面の下へと押し隠した。
「……エレ様。サフィール殿下が出陣されました。我々も、罠の総仕上げにかかります」
「あぁ……頼むぞ、レオン」
エレは短く頷き、鋭い意志の宿る瞳で前線の方角を見つめた。
こうして、互いへの密かな嫉妬と深まる執着を胸に秘めたまま、サフィールはバルドを引き連れて前線基地へ出陣した。
そして残されたレオンは、ガレノスと共にエレの過酷な処置に付き添いながら、その命と「女である」という絶対の機密を死守し、北方の裏切り者を一網打尽にするための謀略の手綱を静かに引き絞り始めたのだった。




