第21話:御前会議
重々しい鉄の扉が開かれ、漆黒の夜に包まれた大極殿へとサフィールとエレが歩みを進める。エレは未だ抜けない毒の重みと傷口の痛みを鋭い目つきの奥に隠し、凛とした足取りを崩さない。
玉座の前に集うのは、重臣たちと第二皇子リュシアン。その傍らには、どこか落ち着かない様子で視線を泳がせる側近のアルブレヒト子爵の姿があった。
「皇帝陛下御前である。頭を垂れよ」
重厚な儀礼官の声が響き、玉座に鎮座する老獪な皇帝ガルハルトが冷酷な眼光で見下ろす。サフィールとエレが深く頭を垂れると、サフィールが静かに、しかし朗々と声を張り上げた。
「父上。先日、離宮において私とエレ将軍の命を狙った刺客が捕縛されましたが⋯。刺客の所持品から解読された暗号指令書により、黒幕が判明いたしました」
サフィールが懐から一枚の羊皮紙と記録を取り出し、高く掲げる。
「刺客が隠し持っていた暗号札は、一見するとただの行商人による取引帳簿でした。しかし、捕らえた刺客から絞り出した解読鍵を当てはめたところ……『離宮のサフィール第一皇子、およびエレ将軍を毒刃にて暗殺せよ』との真の指令文が浮かび上がったのです。さらに――」
サフィールは冷徹な眼光をアルブレヒト子爵へと向けた。
「その羊皮紙には、アルブレヒト子爵家固有の『透かし紋章』と特注の紫インクが残されておりました。それだけではありません。子爵の秘密口座から暗殺ギルドへ送金された多額の金貨の流出ルートも、我が方の追跡により完全に照合が完了しております」
突きつけられた動かぬ証拠の数々に、アルブレヒト子爵の顔色が目に見えて蒼白へと変わる。指示を出したのが自分であると完膚なきまでに証明されたのだ。
「で、でたらめだ! 私はそのような指示など……リュシアン殿下、お助けを……!」
「黙れ、アルブレヒト!」
不意に響いたのはリュシアンの怒声だった。リュシアンは即座に一歩前に出ると、自らに火の粉が及ぶ前に一切の躊躇もなくアルブレヒトの頬を激しく殴りつけた。
「見損なったぞ! 私に無断でそのような暴挙に出て、兄上とエレ将軍を死地に追いやろうとしたとは……! 我が派閥の面汚しめが!」
凄まじい手掌返しと蜥蜴の尾切り。見苦しく崩れ落ちるアルブレヒトを冷ややかに見下ろし、皇帝ガルハルトが低く重い声を吐き捨てた。
「……アルブレヒト子爵は即刻投獄し、処刑とせよ。……サフィール、そしてエレ将軍」
ガルハルトの冷酷な視線がエレへと向けられる。
「よくぞ刺客を退け、反逆の芽を詰んだ。お前のような忠義にして屈強な『男』が我が帝国の盾となり、サフィールを支えていることを誇らしく思うぞ。今後もその身を粉にし、我が帝国の栄光のために死力を尽くせ」
上から目線で与えられる、理不尽で傲慢な「労い」の言葉。
拝謁の体勢で頭を下げながら、エレの胸の奥には氷のように冷たい憎悪と蔑みが渦巻いていた。
(……栄光、だと)
エレは面を伏せたまま、心の中で激しく嘲笑う。
我が故郷・ラディオン王国を力で踏みにじり、民を虐殺した元凶が、まさに目の前に座すこの皇帝ガルハルトなのだ。男と偽り、この国で最も苛烈な北方軍で血を流し続けてきたのは、すべては権力の頂点に立つこの男を殺し、滅びた母国の無念を晴らすため。
皇帝の言葉など、エレにとっては反吐が出るほど侮蔑に満ちた戯言でしかなかった。
「……ありがたき幸せにございます、陛下。命の与えられます限り」
エレは表情一つ変えずに冷徹な礼を執った。
退堂の折、すれ違いざまにリュシアンが不快そうに捨て台詞を吐く。
「……エレ将軍、怪我の具合は大丈夫かな?」
「ええ、リュシアン殿下。幸いにも大したことはございません。『盾』が機能しましたようで。……次にお仕掛けになる際は、もう少し骨のある刺客をお選びいただくことをお勧めいたします」
エレの不敵な笑みに、リュシアンは顔を歪めて去っていった。
大極殿を出て、冷たい夜風が吹き抜ける回廊へ出たその瞬間――エレの脚が、がくりと砕けかけた。
「つっ……!?」
「エレ様……ッ!?」
「エレ……!?」
レオンとサフィールが間一髪で両脇から抱きとめる。
エレの額には油汗が大量に滲み、青ざめた唇は激しい激痛で固く結ばれていた。
ふわりと回廊に漂ったのは、鉄の匂い――サフィールとレオンが支えたエレの身ごろのあたりから、だらりと鮮血が滴り落ち、床の石畳を赤く染めていく。
「血が……!? 傷が開いたのか! ガレノスを、すぐにガレノスを呼べ!!」
サフィールの顔から血の気が引き、叫び声を上げる。
大極殿でのあの冷徹で隙のない振る舞いは、すべて毒の残存と激痛に耐え、血を吐き出すのを力任せに押さえつけていた命懸けの演技に過ぎなかったのだ。
「で……殿下……手を……緩めて……くだ、さい……」
エレは途切れ途切れの声で吐き捨てながら、激痛に顔を歪める。
甘い雰囲気など欠片もない。サフィールの抱きしめる手すらが傷口を圧迫し、エレにとっては激痛で意識が飛びそうな拷問でしかなかった。
「す、すまない……! レオン、離宮へ運ぶぞ! 急げ!」
「はいッ!!」
サフィールとレオンはエレを抱え直し、一刻を争う緊張感の中、夜の回廊をなりふり構わず駆け抜けていった。
離宮の秘匿室は、再び血と薬湯の匂いに包まれていた。
「エレ様!」
急報を受けて駆けつけた老薬師ガレノスは、エレの傷口から溢れ出る鮮血を目にして顔を蒼白にさせた。
破られた正礼服を切り裂くと、無理な歩行と緊張によって縫合糸が弾け飛び、固く巻かれていた晒が真っ赤に染まりきっていた。
「あれほど……あれほどお動きになってはならぬとお諫めしましたのに……ッ! 毒の残り火が再び暴れ出しておりますぞ!」
ガレノスは涙を拭う暇もなく、震える手で薬草の粉末を傷口へ擦り込み、焼灼と縫合の手際を猛スピードで進めていく。
「殿下!処置の手元が乱れますゆえ、少しお下がりを……! レオン、湯と布を!」
ガレノスとレオンはあえてサフィールの視界を遮るようにベッドの前に立ち塞がり、素早い手つきで血濡れの服を脱がせ、新たな包帯を重ねていく。
「くっ……ぁ……っ……!」
エレは固く歯を食いしばり、ベッドのシーツを爪が引き裂けるほど強く握りしめた。意識を失うことすら許されない激痛が、全身の神経を焼き尽くしていく。
部屋の隅でその凄惨な治療を見守るサフィールは、自分の手がエレの血で濡れていることに気づき、激しい悔恨と自責の念で拳を握りしめていた。
(…私のせいだ。私が御前会議へ連れ出したばかりに……!)
目の前で吐血し、激痛に悶えるエレの姿は、サフィールの胸をただひたすらに冷たい刃で切り刻む。
一方、レオンは血塗れのタオルを何度も取り替えながら、冷徹なまでに素早くガレノスの補佐を続けていた。
(……サフィール殿下の前で『女』でいる余裕など、エレ様には最初からないのだ。この方は、自分の命も、女であることも殺して……復讐のために血を流し続けている……)
レオンの眼鏡の奥の瞳が、静かな覚悟に燃え上がる。
己の感情を差し挟む隙などない。ただ一刻も早くこの命を救うこと――それが今のレオンにとってのすべてだった。
深夜――長い激闘の末、ガレノスの処置によってどうにか出血は止まり、エレの脈拍も落ち着きを取り戻した。
荒い息を吐きながら、うつろな瞳で天井を見つめるエレ。その横顔には、将軍としての不敵さも、先ほど見せた無防備さもなく、ただ限界を超えた肉体の悲鳴だけが残されていた。
サフィールは血に染まった手を静かに拭うと、男はベッドの傍らに腰を下ろした。
眠る彼女の細い手を両手でそっと包み込み、消え入りそうな声で漏らす。
「……すまなかった、エレ」
その腹部を痛々しく覆う包帯に視線を落とし、溢れ出る感情を押し殺すようにして、握った手にきつく額を押し当てた。
「……もう二度と、お前をこんな目には合わせない」
必死に感情を殺した声は低く震えていたが、包み込んだ手を離すまいと包帯に響かない力加減で握りしめる拳には、エレを傷つけた皇帝ガルハルトとリュシアン派に対する、狂気孕むほどの冷酷な怒りが宿っていた。




