第20話:重なる鼓動、隠せぬ熱
エレの胸の奥には答えの出ない問いが渦巻いていた。
(……なぜだ? なぜ私は、あの瞬間……身を挺してサフィールを庇った……?)
あの冷酷な暗殺の刃がサフィールへ迫った瞬間、頭で考えるより早く身体が動いていた。何も考えられなかった。己の命も、これまで命がけで守ってきた「秘密」も、全てが吹き飛ぶほど一瞬の躊躇もなく割り込み、攻撃を一身に受け止めた。
(……いや、違う。あれは……合理的な判断だ。サフィールという盾を失えば、わが軍も私も宮廷で一瞬にして孤立する。だから…利害の一致に過ぎない……)
そう自分に言い聞かせ、胸のざわつきを強引に押さえ込もうとするエレ。だが、思い出すのはサフィールの焦燥に満ちた顔であり、自分でも説明のつかない感情に戸惑いを覚えていた。
その時、固く塞がれていた扉が激しく叩かれた。
「エレ! 無事なのか!?」
外から響いたのは、怒りと焦燥で掠らせたサフィールの声だった。
レオンとガレノスが目配せを交わし、部屋の扉を解錠する。押し入ってきたサフィールは、全身に返り血の匂いを纏わせ、普段の優雅さなど欠片もない荒々しい姿だった。
だが、ベッドの上で無事に意識を取り戻しているエレの姿を目にすると、サフィールはその場に立ち尽くした。
「……サフィール殿下。御身が無事で何よりです」
「エレ…目がさめたのだな……!」
サフィールは大股で歩み寄るやいなや、エレの肩を包み込むように強く抱きしめた。
「私のために…命を捨てるような真似をするな⋯っ!」
「っ……!? で、殿下……!?」
不意の力強い抱擁に、エレの思考が一瞬フリーズする。
耳元で囁かれるサフィールの熱い息遣い、鼻腔をくすぐる高級な香水の香りと血の匂い。いつも完璧な第一皇子が、自分を失う恐怖で本気で震えている。
(な、なんだ…心臓が!? 傷のせいか……?)
エレの頬が一気に熱くなり、ドクンと胸の奥で鐘が鳴るように鼓動が暴れ出した。サフィールの広い胸板に触れる自分の手が、どこに置けばいいのか分からず宙で迷う。
一方のサフィールもまた、強く抱きしめた瞬間に息を呑んでいた。
(……え……?)
腕の中に収まる体があまりにも小さく、驚くほどしなやかで華奢だったのだ。いつも不敵で頼もしい「第三軍の将軍」であるはずの男が、今はこの腕の中で折れてしまいそうなほど儚く感じられた。
何より、自分の胸に押し付けられたエレの顔から漂う、微かに甘い香り。温かな体温。
(……待て、何を考えているのだ私は。エレは男だぞ……? 命を救ってくれた忠臣であり、男同士の信頼のはずだ……!)
頭では必死に自分に言い聞かせるサフィールだったが、心臓は裏腹に激しく打ち鳴り、抱きしめた腕にどれほど力を込めてよいのか分からずパニックに陥っていた。あまりの鼓動の速さに、お互いの胸の音が重なって響き合っているかのようだった。
そして、その二人を傍らで見つめるレオンの胸の奥で、苦い感情がちくりと刺さった。
(……サフィール殿下は、エレ様が女性だと知らない。…はず…なのに、どうして⋯)
自分とガレノスだけがエレの本当の姿を知っているはずなのに、皇子と将軍として固く結びつく二人の空気感に、胸が激しくざわつく。
手にしていた手ぬぐいを無意識にギュッと握りしめ、ほんの少しだけ面白くなさそうに目を細めるレオン。
「「……っ」」
二人は耐えきれなくなり、弾かれたように体を離した。
サフィールは口元に手を当てて明後日の方向へ視線を泳がせ、エレは顔を真っ赤にして気まずそうに咳払いをする。
「……コホン。……すまない、エレ。少し取り乱した」
サフィールは強引にいつもの優雅な笑みを張り直したが、その耳たぶはうっすらと赤かった。
「あ…いえ。……それより殿下、刺客の取り調べは?」
エレも必死に赤くなった顔を誤魔化しながら、冷酷な将軍の面組みを取り戻そうと声を張る。
レオンは一歩前に出ると、どこか冷ややかな手つきで素早く二人の間に割り込み、エレの背中に毛布を掛け直した。
「……ああ。奴自身は口を割らん。だが、奴が懐に抱いていた暗号札の解読に成功した。指示を出したのは、リュシアンの側近……あのアルブレヒト子爵だ」
「子爵ですか……」
エレの瞳に、不敵な光が戻る。
「リュシアン殿下本人の尻尾までは届かずとも、その片腕を断つには十分すぎる証拠。殿下……次の皇帝陛下の御前会議にて、あの男を完膚なきまでに追い詰めましょう」
「ああ……。君の流した血の代償、奴らにたっぷりと支払わせてやる」
お互いに残る胸の甘い余韻と動揺を誤魔化しながらも、二人の目的は一つへと重なる。




