第15話:華やぐ夜会と陰謀の兆候
宮廷の大広間は、幾千の蝋燭と水晶の燭台に照らされ、黄金色の光と眩い熱気に包まれていた。
絢爛豪華なドレスを纏った貴族の婦人たちと、胸元に無数の勲章を誇らしげに掲げる高官たち。宮廷楽団が奏でる優美な弦楽の調べに乗せて、談笑の陰に隠された思惑と、グラスの触れ合う繊細な音が途切れなく響き渡る。
だが、その華やかさの裏には、刺すような視線と殺気が暗雲のように渦巻いていた。
黒と銀の正礼服に身を包んだエレが大広間に足を踏み入れた瞬間、それまでざわついていた貴族たちの囁き声がぴたりと途絶えた。居並ぶ宮廷人たちの視線が一斉に注がれる。それは北方の泥から這い上がり、謁見の間で皇子を退けた若き将軍に対する、あからさまな好奇と猛烈な警戒の混ざったものだった。
「やあ、噂の英雄……エレ将軍」
給仕が運ぶ銀のトレイから満たされたグラスをひとつ取り、優雅な足取りで歩み寄ってきたのは、第二皇子派閥の中核を担う軍務省の高官、アルブレヒト子爵だった。
「謁見の間での見事なご弁明、感服いたしましたぞ。ですが……戦場での独断専行がいつでも許されると思われては困りますな。帝都の『ルール』というものは、北方の泥のように単純にはいかないのですよ」
子爵は親しげな笑みを浮かべつつも、その瞳の奥には隠しきれない蔑視と敵意を宿していた。
――『北方の泥』。
それは、凍てつく風の中、血と鉄と刃の匂いに塗れて戦う過酷な最前線と、命を削って帝国を守ってきた兵たちを蔑む笑う貴族たちの符牒だった。
エレの後ろに控えていた副官のレオンが、その言葉を聞いた瞬間、ピクリと肩を跳ねさせた。
激しい怒りで眼鏡の奥の目元が跳ね上がり、握りしめた拳の関節が白く軋む。北方で泥に塗れて命を落としていった仲間たちの顔が脳裏をよぎり、レオンはエレの背後から一歩前に踏み出そうとした。
「子爵閣下――」
感情を抑えきれず声を荒らげかけたレオンに対し、エレは振り向きもせず、背後に回した手でその手首を静かに、だが決して動かぬ強い力で掴んで制した。
手首に込めた僅かな指の圧迫だけで「控えろ」と無言の命を下す。レオンはハッと息を呑み、噛み締めた唇を絞るようにして元の位置へと踏みみとどまった。
「ご助言、心に刻んでおきます、子爵閣下」
エレは微塵も動じず、完璧な作法で淡々と一蹴した。
「ただ、戦場において自軍の勝利と生存以上に優先される『ルール』が存在するとは、不勉強ながら存じ上げませんでした」
その冷徹な返しに、アルブレヒトは顔をひきつらせ、フッと口元を歪めた。
「ふん……減らず口を叩けるのも今のうちだ。戦場しか知らぬ野蛮な犬が、この帝都でいつまで耐えられるか、高見の見物を決め込ませてもらうとしよう」
子爵は捨て台詞を残すと、エレたちに背を向けて優雅に去っていった。
「大変申し訳ございません……エレ様」
去っていく子爵の背を見送りながら、後ろのレオンが悔しそうに声を殺して頭を下げる。エレは静かに首を振った。
「気にするなレオン。気持ちは同じだ」
「相変わらず鋭い立ち回りだな」
子爵と入れ替わるように自然な動作で近づいてきたのは、第一皇子サフィールだった。
彼は手にしたワイングラスを傾けながら、エレと背中合わせになるように立ち止まり、視線を交わさずに佇む。
「……サフィール殿下。周囲の目が集中しております」
「分かっている。だからこそ手短に話そう」
サフィールは声を低く殺し、周囲の音楽に紛れさせるように静かに囁いた。
「リュシアンは謁見の間での屈辱を忘れていない。あの男の狙いは今夜の宴で君に決定的な失態を犯させ、将軍の地位はおろか命ごと奪うつもりだ。先ほど、君に割り当てられた離宮の控室に、見覚えのない怪しい給仕が出入りしているのを私の部下が確認した」
「私の控室に……ですか」
「ああ。君自身に毒を盛るつもりか、あるいは不名誉な違法品でも密かに忍ばせるつもりだろう。……どうする、エレ? 今すぐ部屋を改めさせ、警備を入れ替えることもできるが」
サフィールが微かに案じるような視線を向ける。エレは手に持ったグラスを静かに傾け、冷静に思考を巡らせた。
「ご忠告、感謝いたします、サフィール殿下。……敵の出方が分かっている以上、放置しておくわけにはいきませんね。すぐに控室へ戻り、状況を確かめてまいります」
「ああ、頼んだ。私は皇族の務めとして大広間に残り、リュシアンたちの目を引きつけておく。何かあればすぐに私の部下に知らせろ」
エレが深く一礼してサフィールの元を離れたその時、大広間の重厚な扉が大きく開かれ、第二皇子リュシアンが数多くの取り巻き貴族を引き連れて、優雅かつ傲然と現れたのだった。




