第14話:冷ややかな反撃
大謁見の間に漂う、凍りつくような沈黙。
第二皇子リュシアンの冷ややかな視線と、列席する貴族たちの粘つくような好奇の目が、すべてエレに注がれていた。
サフィールが制止の口を開こうとしたその時、エレは静かに一歩前へ進み出た。
黒と銀の正礼服に身を包んだその佇まいは、動揺どころか微かな揺らぎすら感じさせない。
「――リュシアン殿下。黒血の谷における行軍ルートの変更について、ご懸念をお示しいただき恐縮に存じます」
エレの声は、澄み渡った鈴の音のように広間に響いた。荒げることも、怯えることもない、完璧に制御された冷徹な響き。
「ですが、本部が当初提示した平地の迂回路には、我が軍を遥かに凌ぐ敵の主力が集結しておりました。あのルートをそのまま進んでいれば、決定的な兵力差により我が本隊は全滅を免れ得なかったでしょう」
「ほう……だからと言って、全軍の行軍を阻むあの険しい黒血の谷へ突入するのが正しい選択だったと言い張るつもりか?」
リュシアンが扇で口元を覆いながら、嘲笑を深める。だが、エレは微動だにしなかった。
「左様にございます。あの谷は絶壁が連なる極めて険しき難所。だからこそ敵軍は『帝国軍が谷を通るはずがない』と高を括り、出口近くにわずかな警護のみで本陣を構えておりました。谷には敵兵がほとんど配備されていなかったのです」
エレはすっと背筋を伸ばし、玉座に座す皇帝ガルハルトへと視線を向けた。
「敵の裏をかき、険しき谷を強行破断して敵本陣を急襲・潰走させたことこそが、絶望的な兵力差を覆す唯一の勝機でした。私は軍律第7条――『現場指揮官は兵の無駄死にを防ぎ、勝利を最大化するため即座の判断を下す』に基づき、独断で行軍ルートを変更いたしました。結果として黒血の谷を突破し、北方境界の安全を確保したことが……陛下に対する私の答えにございます」
戦術的な正当性と、見事なまでの軍律の援用。自らの独断専行を「敵の盲点を突いた圧倒的勝利」と「皇帝への忠誠」へと昇華させてみせた反論。
「……くっ」
リュシアンの口元から嘲笑が消え、不機嫌そうな苦々しさが取って代わる。完璧な戦果と軍律を引き合いに出された以上、これ以上の追及はただの言いがかりになりかねないからだ。
「……ハハハハハ!」
その時、白磁の階段の頂点から、地鳴りのような豪快な笑い声が湧き起こった。皇帝ガルハルトである。
「見事である! 形式に囚われず、敵の隙を突いて勝利を掴み取る度量と野性。それこそが我が帝国の将に求められる資質よ! リュシアン、これ以上の問答は無用だ」
「……は。陛下の仰せのままに」
リュシアンは悔しさを押し殺し、深々と頭を下げて下がった。
「エレ将軍。今宵は汝の戦功を祝し、大広間にて宮廷晩餐会を催す。帝都の貴族たちに、北方の雄の凛々しき姿を見せてやるがよい」
「謹んでお受けいたします、陛下」
エレは深く叩頭し、完璧な礼をもって大謁見の間を辞した。
「いやはや……肝が冷えましたぜ、将軍」
宮廷の回廊に出た途端、バルドが大きく息を吐き出し、胸を叩いた。隣のレオンも眼鏡の位置を直しながら、安堵の混じった笑みを浮かべている。
「迂回路の敵主力と、手薄な谷出口の本陣……即座に状況を見抜いたエレ様の眼力があってこその勝利でした。ですが、リュシアン殿下は引き下がりはしたものの、執念深いお方です。今宵の晩餐会、毒や仕掛けに注意せねばなりません」
「わかっている」
エレは静かに答えた。
立ち去り際に交わしたサフィールの視線――そこには、「見事な返しだ」という賛辞とともに、「ここからが本番だ」という暗黙の警告が込められていた。
華やかな光と音楽が満ちる夜の宴。だがそこは、剣の代わりに言葉と毒薬が飛び交う、もうひとつの戦場にほかならない。
エレは思考を冷徹に研ぎ澄まし、夜の宮廷へと足を踏み入れる準備を整えるのだった。




