第13話:拝謁の儀と謀略の夜
帝都グラン・ゼノビアの重々しい鉄門をくぐり、宮廷の離宮へと案内されたエレは、あてがわれた控えの間で北方の泥と硝煙に塗れた遠征用の軍衣を脱ぎ捨てた。
鏡の前に立ち、侍従が恭しく差し出した帝国全権将軍の正礼服に袖を通す。
深みのある漆黒の生地に、緻密な銀糸の総刺繍が施された重厚な装い。胸元には北方戦線での功績を示す銀の飾緒が垂れ、硬質な立ち襟が彼女の細く白い首筋を冷たく引き締めている。
姿見に映る己の姿を静かに見つめる。
「蒼き呪薬」によって澄み渡った冷ややかな瞳と、寸分の隙もなく整えられた将軍の装い。
エレは銀のボタンを最後のひとつまで完璧に留めた。冷徹な「エレ将軍」という仮面を完全に被り直す。
部屋を出ると、待機していたレオンとバルドが一瞬息をのんだ。
「……お見事です、エレ様。隙ひとつございません」
「へっ、北方の泥の中にいた時とは大違いだな。帝都の狐どもも気圧されるぜ」
「二人とも、行くぞ」
エレは短く告げると、銀の剣帯を引き締め、第一皇子サフィールの待つ応接の間へと静かに足を進めた。
「エレ将軍、遠路ご苦労であった」
豪奢な儀礼用軍服を身に纏ったサフィールは、周囲の目を憚るように穏やかな微笑みを浮かべつつも、その琥珀色の瞳には静かな緊張を宿していた。
「お久しぶりにございます、サフィール殿下。ご息災そうで何よりに存じます」
エレは隙のない美しい礼をとって応じた。
「フフ、相変わらず隙がないな。……だが、今回ばかりはそのままでいてくれ。ここグラン・ゼノビアでは、一瞬の油断が命取りになる」
サフィールはエレに近づくと、周囲に聞こえぬよう声を落として言葉を継いだ。
「今日の拝謁には、皇帝陛下のみならず、軍務卿ヴァルハイト伯爵と第二皇子リュシアンも同席する。彼らは君が北方で挙げたあまりの軍功に、明確な警戒心を抱いている。……特にリュシアンは、君を私の『手駒』とみなし、言葉の端々に罠を仕掛けてくるはずだ」
「ご助言、深く感謝申し上げます」
エレが静かに頭を下げたその時、重厚な漆黒の双開きの扉が響き渡る重低音とともにゆっくりと開き、金糸の礼服を纏う儀典官の甲高い声が広間に響き渡った。
「北方戦線最高指揮官、エレ将軍! 皇帝陛下への拝謁を許す!」
一歩足を踏み入れた大謁見の間は、天蓋まで届く黒大理石の巨柱が幾本もそびえ立ち、天井には帝国の凄絶な征服史が描かれていた。高窓から差し込む陽光が漆黒の床石に反射する中、居並ぶ貴族や高官たちの視線は一様に、北方の泥から這い上がってきた若き将軍へと冷たく注がれている。
大謁見の間の最奥、数十段にも及ぶ白磁の階段の頂点に据えられた黄金の玉座。そこに深々と腰を下ろしているのは、絶対の支配者――皇帝ガルハルトであった。
その右手側には鋭い鷹のような眼光を持つ軍務卿ヴァルハイト伯爵。そして左手側には、冷ややかな笑みを浮かべた第二皇子リュシアンが佇んでいた。
「面を上げよ、北方の雄よ」
皇帝ガルハルトの、地鳴りのように重く響く声が大謁見の間を震わせる。
「ヴァルカの猛攻を退け、我が帝国の北方境域を完璧に平定したその手腕、実に見事であった」
エレは静かに頭を上げ、胸に手を当てて深く叩頭した。
「勿体なきお言葉、ありがたき幸せに存じます。すべては陛下のご威光と、命を賭して戦った兵たちの忠義の賜物にございます」
微動だにせず皇帝の威圧を受け止めるエレ。その瞳の奥では、かつて我が国ラディオンを灰燼に帰した元凶への凄絶な復讐心が、呪薬による「蒼き冷炎」となって激しく渦巻いていた。
(ここにいる……我が国を奪い、兄上たちを死に追いやった者たちが)
皇帝が満足げにかすかに頷いた、その直後だった。
「――ふむ。実に見事な模範解答だな」
皇帝の傍らに控えていた第二皇子リュシアンが、くすりと嘲笑を漏らしながら一歩前へ踏み出してきた。甘い毒を含んだ声が、静まり返る広間に響き渡る。
「だが、エレ将軍。噂によれば貴官は泥臭い平民の出でありながら、兄上の威光を背にずいぶんと分不相応な独断専行をされるとか。……聞けばあのヴァルカのの戦いでは、本部の指示を無視して独断で行軍ルートを変更したと聞き及んでいるが?」
大謁見の間に、刺すような緊張が走る。
黒血の谷――リュシアン派の将軍が定めた指定ルートを進めば伏兵によって全滅させられていた局面を、エレが即座に見抜き、独断で行軍ルートを『黒血の谷』に変更したことで奇跡的な大勝利を収めた因縁の戦い。リュシアン側から見れば、己の派閥の愚かさを晒された上に手柄を奪われた最大の発狂点であった。
「理由はどうあれ、上層部が定めた行軍ルートを勝手に変更するなど明確な軍規違反。兄上の手駒という後ろ盾があるからと高く括り、己の野心のために軍規すら軽んじる成り上がりが、このグラン・ゼノビアでどこまで身の程を知っておられるか……実に見ものだな」
サフィールの琥珀色の瞳がかすかに揺れ、控えの間のレオンとバルドが固唾をのんでエレの背中を見つめた。
軍規違反という痛い腹を探り、帝国の貴族たちが総出でエレを踏みにじろうとしているのだ。
エレは表情ひとつ変えず、静かに不敵な笑みを口元に浮かべた。




