第11話:帝都からの急報
午後。
北方陣地の広大な訓練場で行われていた部隊検分を終え、執務室へ戻ったエレは、デスクの上に整然と並べられた次の防衛作戦書に視線を落としていた。
ヴァルカ軍との激戦を経て、北方の前線には束の間の静寂が訪れている。しかし、軍靴の音が絶えた執務室の静寂は、かえってエレの感覚を研ぎ澄ませていた。冷めきった茶から立ち上る僅かな湯気を眺めながらペンを走らせていると、唐突に重々しいノックの音が部屋に響いた。
「エレ将軍、帝都より緊急の使者が到着しております」
ドアを開けて入ってきた副官レオンの声には、隠しきれない緊張の色が滲んでいた。
レオンの後ろから静かに歩み出てきたのは、帝国軍務省の金糸刺繍が燦然と輝く重厚な軍服に身を包んだ使者であった。北方の泥と埃に塗れた陣地には到底不釣り合いな、洗練された帝都の仕立て。使者は恭しく深々と礼をとると、紫の高級なろうそくで厳重に封かんされた厚手の羊皮紙の書簡を差し出した。
「北方戦線最高指揮官、エレ将軍。皇帝陛下、ならびに軍務卿より直々の召喚状でございます」
「……召喚状」
エレは短く無感情な声を返し、使者から書簡を受け取ると、冷ややかな手つきで静かに封を切った。
羊皮紙に躍っていたのは、軍務省の厳格な公印とともに記された、北方での戦功に対する皇帝拝謁の儀……そして、帝都グラン・ゼノビアへの即時帰還命令であった。
使者が拝謁の手続きについての説明を終え、別室へと下がっていくと、部屋に残されたレオンが書簡の文面を上から下まで検分し、眼鏡の奥の鋭い瞳を極限まで細めた。
「ヴァルカ軍の撃退と北方戦線の安定……その功績を称え、帝都にて叙勲の儀を執り行うとのこと。……ですが、指定された期日が異様に早すぎます。まるで、我々を急いでこの北方から引き離そうとしているかのように見受けられますが」
そこへ、大股で執務室に入ってきた巨漢のバルドが、重い革鎧をガチャリと鳴らしながら、苦々しい表情で吐き捨てるように付け加えた。
「おいおい、冗談だろ……。グラン・ゼノビアの狐どもが、手柄を立てた将軍を品定めしようって寸法か? ろくな予感がしねえな。軍務省の頭の堅い連中は昔から、地方で功績を挙げた成り上がりの将軍が大嫌いなんだ」
「二人とも、口が過ぎるぞ」
エレは静かに書簡を畳み、木目の美しいデスクの上に置いた。
帝都グラン・ゼノビア――そこは、かつて我が国ラディオンを灰燼に帰した元凶であり、仇敵たる皇帝と権謀術数に長けた高官たちが蠢く権力の魔窟。そして、先に北方を発った第一皇子サフィールの本拠地でもある。
(ついに、帝都へ……)
軍務省の思惑がどうあれ、あるいはそれが仕組まれた危険な罠であろうと、帝国の心臓部へ深く潜り込むことこそが、エレが長年待ち望んでいた機会にほかならなかった。
胸の奥で静かに、しかし決して消えることなく燃え続ける二人の兄――エリアスとレヴィアスの面影が、いま彼女の背中を強く、確かに押していた。
「バルド副団長、レオン副官。これより直ちに帝都遠征の準備に入る。留守中の北方防衛陣形を速やかに整えよ。我らが不在の隙を突かれぬよう、全軍の警戒を極限まで高めるのだ」
「「はっ!」」
二人の信頼できる部下が深く息を呑み、胸の前で力強く敬礼を返す。
エレの冴え渡る眼差しは、窓の外――はるか南の地平線の彼方にそびえる帝都グラン・ゼノビアに向けて、冷たく澄み渡っていた。




