第7話 特訓という名の……
アストレア公爵家に伝わる『伝説の治療師』――その途方もない力をこの身に馴染ませるため、私はジイの指導のもと、スラムの子供たちを密かに治療して回る「特訓」の日々を送ることになった。
「お嬢様、力が増すごとに、放たれる光も強くなっているようですな……」
「ええ。これでは薄暗いスラムの路地では目立ちすぎるわ。治療はここへ運んできてもらってから行うべきね。……ジョン、ルイージ。体調の悪い子がいたら、地下道を通ってここへ来るよう皆に伝えてくれる?」
「おう、任せとけって!」
「すぐに行ってくるよ。ジョン、行こうぜ!」
二人は弾かれたように、元気に駆け出していった。転んで怪我をしなければいいけれど、とその背中を見送ってから、私は再び手のひらに意識を集中させる。
「お嬢様、くれぐれも魔力切れにはご注意を」
「分かっているわ。……まだ始めたばかりだもの。私の器なんて、まだ底が見えるほど小さな受け皿のようなものよ」
「左様。恐らく今の貴女の限界は、子供の風邪なら一日に三人といったところでしょう」
「一日三人……。早く、どんな難病でも余裕で消し去れるようにならなければ」
「お嬢様、急いては仕損じますぞ。基本に忠実に、丁寧に、です」
「ふぅ――っ。……そうね、私が落ち着かなければ、救えるものも救えないわね」
私は自らの力を隠匿するため、一つの「芝居」を訓練に加えた。ジイが病を剥がした瞬間に、私がそれを『請け負う』ふりをして、実際には自らの魔法で『分解して霧散させる』。
母娘二代にわたる自己犠牲の物語に見せかけつつ、その実、私は病そのものを消滅させていた。
「レティ姉ちゃん! ミラの妹が熱を出してたから連れてきたよ」
「まあ、ミラ。……泣かなくて大丈夫よ。私が代わりに『請け負って』あげるから」
「レティお姉ちゃん、本当に……?」
「ええ、本当よ。私は、あの『聖母様』の娘だもの。お母様と同じ仕事を、立派にこなしてみせるわ」
不安に揺れるミラの瞳を見つめ、私は自分の胸をドンと力強く叩いて見せた。
患者やその家族に不安を与えては、魔力の同調が乱れる。これはお母様が何より大切にしていた教えだ。私はその背中を、誰よりも近くで見てきたのだから。
「おじいちゃん先生もついているから大丈夫。ミラはそっちの手を握って、神様にお祈りしていて? 私はこちらから、『病』を預かるわね」
熱に浮かされるミラの妹の手を握り、病の根源を『吸い出す』イメージを練り上げる。
一般の剥離師は、文字通り病を『剥がす』感覚だというが、私にとっては触れた場所から淀みを『吸い上げる』方がしっくりときた。
吸い出した黒い靄を、ミラたちの体から十分に遠ざける。そして――手のひらの中で「分解」の魔法を発動させた。黒い靄は私の魔力に包み込まれ、一瞬、宝石を砕いたようなキラキラとした輝きを放ち、霧散した。
「ふう……。綺麗に消えてくれたわね」
「……素晴らしい。これほど短期間で、これほど鮮やかに……」
「お母様が言っていたの。魔法は『創造力』だって。最初は願うだけの『想像』だと思っていたけれど、そうじゃなかった。望む結果をこの世界に作り出す『創造』の力だったのね」
「……創造、ですか。なんと……」
ジイが驚きのあまり彫像のように固まってしまったが、私は構わず治療を終えた姉妹へ向き直った。
「熱は……もう大丈夫そうね。どこか痛いところはある?」
「ううん、痛くない……! ありがとう、レティお姉ちゃん!」
抱きついてきた妹の小さな体を抱きしめ、柔らかな髪を優しく撫でる。
「良かったわ。でも、今日一日はいい子にしてベッドで休むのよ? ミラ、しっかり見ていてあげてね」
「「はいっ!」」
元気な返事とともに帰っていく姉妹を見送り、安堵の息を漏らす。すると、今度はルイージが血相を変えて飛び込んできた。
「姉ちゃん! 動かせないやつがいるんだ、どうしたらいい!?」
「動かせない? 物理的に何かに挟まっているの?」
「違うんだ、体勢を少しでも変えると、すぐに吐いちゃうんだって……!」
「なるほど、重度の眩暈か嘔吐を伴う症状ね。分かったわ、私が向かうわ。ジイ、お供をお願い」
「ええ、喜んで」
薄暗い地下道を、滑らないよう慎重に進む。ルイージの背中を追って辿り着いた先には、顔を真っ青にして蹲る男の子がいた。
「ダン、大丈夫か!? 先生とレティ姉ちゃんが来てくれたぞ!」
小さく呻きながら縮こまっているのは、ルイージの弟のダンだ。今朝まではあんなに元気だったのに、と傍らで母親が悲痛な声を上げる。
「ジイ、とても苦しそうだわ。すぐに始めましょう」
「ええ、即座に」
ジイがダンの胸に手を当て、あたかもジイが病を『剥離』しているかのように演じる。実際には、私がその裏で淀みを『吸い出し』ていた。
先ほどの風邪の靄よりも、ずっと大きく、粘り気のある黒い靄。私はそれを一気に引き抜き、手のひらで包み込む。
「――散れっ!」
意識を尖らせ、靄を分解する。パッと光が弾け、禍々しい影は虚空へと消えた。
「……この程度のサイズなら、まだ制御できるわね」
「左様ですな。まだ余裕があるように見受けられますが、今日の大物はここまでにしましょう。これ以上は、お嬢様の心身に障ります」
「分かったわ」
ジイとの小声でのやり取りを終え、私はダンの顔を覗き込む。当の本人は、急に楽になったのが照れくさいのか、布団を頭まで被ってしまった。
「こら、ダン! ちゃんと姉ちゃんにお礼を言うんだぞ!」
「ふふ、いいのよルイージ。……ダン、元気になって良かったわね。でも、今日はお布団の中で大人しくしていること」
布団をポンポンと軽く叩くと、ダンがひょっこりと目元だけを出した。
「姉ちゃん……ありがとう。苦しくて、もう死んじゃうかと思ったんだ……」
「そう。よく我慢したわね。貴方はとても偉いわ」
ダンの頭を、そしてその横で心配そうにしていたルイージの頭も、優しく撫でてあげる。
「ルイージも、すぐに知らせに来てくれてありがとう。明日も具合の悪い子がいたら、遠慮なく教えてちょうだいね」
「えへへ、うん! 分かってるよ!」
子供たちの笑顔に囲まれ、私の心にも柔らかな光が灯る。
――こうして、過酷なスラムの日常は、少しずつ、けれど確実に「平和」へと塗り替えられていくのだった。




