第41話 ドン引きする本物と、知らぬが仏様
私は少し離れた場所から、全体を観察していた。剥離師たちが大汗をかき、肩で息をするほどの魔力を使い切ったことが窺えた。
私は一つ、試してみたいことがあったので、母にしっかり視線を向ける。「ふぅ」と小さく息を吐いた母は、困った顔をしながらも小さく頷いてくれた。
「マルク様、私が試してもよろしいでしょうか」
彼は陛下の主治医なのだから、私の話を聞いているかもしれないと思い、声をかけた。
「レティシアお嬢様、もちろんでございます。ジルベールから話は聞いております」
あら、彼はジイとお知り合いだったのね。陛下からではなかったけれど、私のことを理解してくれているなら話が早くて助かるわ。
「ありがとうございます、マルク様」
ふわっと微笑み、陛下の横たわっているベッドの前に歩を進めた。あの男は何も言ってこないのね。意外ねえと思いつつ、母の治療をしていた時のイメージを思い出す。
じっくり焦らず、基本に忠実に。ジイと一緒に訓練し、スラム街で治療を続けてきた日々を思い起こしていた。
「レティシア」
母の声にハッとする。私の手元には、黒く禍々しい『呪い』が浮かんでいたのだった。
少し離れた場所から見守っていた『剥離師』や『治癒師』たちが口をパカーンと開けたまま固まっていた。マルク様に至っては、驚き方が独特過ぎて……。私は彼を見ながら「ふふふ」と心の中で笑いつつ、『呪い』を分解しようと魔力を込めた。
あらら、これはマズいわ。私の分解魔法でもビクともしない。一応、奇跡の力なのでしょうに。ほら、頑張って分解してちょうだい。必死に魔法を展開するも、この『呪い』はどうやら分解できないようだ。どうしようかしら。そんなに多くはない量を吸い出しただけなのだけど……この呪いはかなり強いから、できればお母様に請け負わせたくない。
固まって考え込んでいる私に、ザックがイヤラシイ顔でニヤニヤしながら声をかけてきた。
「ふんっ、小娘が出しゃばりやがって。結局は何もできないんじゃないか! あの男が言ってたのは嘘だったんだな。こんな小娘が、伝説の人間であるわけがない。これで攫う手間が省けたな」
あら、リュシアンと母から発せられる気配が濃くなったわね。そんなことよりも、なんだか違和感が……。あら? この男、呪いが全く『視えてない』のでは? これだけ禍々しい呪いを目の前で吸い出したのに反応がない。彼の鼻先辺りにふわりと漂わせてみたけれど、避けようともしていない。
周りの者たちが、「うわっ」と自分のことのように身体を引く身振りを見せた。それはそうだ。こんなにも禍々しい『呪い』が自分に向かってきたならば、間違いなく逃げるか避けるなりするだろう。
この呪いは当然、公爵家出身の叔母様にも見えていた。他の下級貴族すら声をかけて手伝っていたのだから見えていたはずだ。それほど『強い呪い』なのに……。もしかして、この男は『エセ治癒師』なのでは?
そんなことを考えていると、陛下とザックを繋ぐホースが膨らんでいるのが見えた。もしかして、押し返せたりして。ホースは先ほどより少しだけ太くなり、ヘビがカエルを飲み込んだ時のような動きをした。
あらまあ、ザックに呪いを返せるっぽいわ。でも、この呪いを全部返したら……? 多分、ザックの命は風前の灯になるんじゃないかしら……。困った顔をしながら、チラリと母を見やる。
ああ、あの顔……。「やっておしまいなさい」ってはっきりと書いてあるわ。そして視線で頷いた母からの命に、私は「分かりました」と視線を返した。
勢いをつけて、『呪い』を押し返す。『呪い』はホースを通って、ぐんぐんとザックへ向かって行った。彼の『ガクン』と膝をつく姿を見る限り、はっきり分かるほどの衝撃が彼を襲ったようだ。
「は? な、なぜだ?」
現状を理解していないザックと、理解し始めた周囲の医師や剥離師たちの医療チーム。彼らはザックから距離を取り、観察を始めたのだった。
「ちょ、ちょっと待て! こ、これは陛下の呪い……?」
「え? どうかなさいました? 私はただ、『陛下が受けた呪い』を、術者に返しているだけですわ。まさか、貴方様ほどの方が陛下に呪いをかけたわけではありませんよね?」
「いやいやいや、呪いを戻すって何!? そんなこと——」
「できますわよ?」
私は微笑みながら、陛下の身体から残りの呪いを容赦なく吸い出し、ホースの奥へと送り込んでいく。
因果応報、自業自得。これまでの彼の悪行を思えば、これでも生ぬるいくらいだ。
胸をかきむしり、呼吸を詰まらせながら、必死に抵抗するザックが、血走った目で私に手を伸ばした。
「ちょっと待っ――、グッ!」
だが、その汚らわしい手が私に届くことはなかった。
斜め後ろに控えていたアルフォンスが、一歩前に踏み込み、ザックの喉元へ容赦なく剣を突きつけたのだ。鋭い切先が、男の喉皮を薄く押し込んでいる。
「それ以上、王太子妃様に近づくな。呪いと罪に塗れた汚らしい手で触れるなど、私が許さない」
冷徹で、けれど私を護るための怒りに満ちたアルフォンスの横顔に、不覚にも少しだけキュンとしてしまう。
いけない、集中しなくては。
最後の力を振り絞り、陛下の身体から残りの『呪い』を一気にホースの奥へと送り込んでいく。
ザックはガチガチと歯を鳴らしながら震え、まるで凍りついたかのように頭から床へ倒れ込んだのが見えた。もはや声も出せないようで、無様に床を這いつくばりながら激しく身悶えしている。
よし、これで完全に戻ったわね。
陛下の胸元に残っていた淀みがすべて引き抜かれ、ようやくその呼吸が穏やかなものへと変わった――それを見届けた瞬間。
急激な魔力切れの喪失感が私を襲った。
「――レティシア!?」
遠くで私を呼ぶアルフォンスとリュシアンの焦った声を聞きながら、私の意識は深い闇へと落ちていったのだった。




