第31話 母親の目覚め
今日もスラム街の子供たちを治療し、治療院の母の元へ戻る。あれからどれくらい経ったのだろうか。
ただひたすら同じことをして過ごす毎日に、少しうんざりしてきていた。
子供たちを助けることができる。それは当然のように誇りに思っているのだが、素で話せる同年代の人間が、アルフォンスとリュシアンしかいないのだから仕方ないのだろう。
数え間違っていなければ、今年は十五歳になる年だ。年頃の貴族たちが浮き足立つ『デビュタント』が行われる。
ドレスはアルフォンスを通じて叔母様にお願いしてもらって用意してあるのだが……。何事もなければ母と一緒に選ぶはずだった純白のドレス。少し寂しさを感じながらも、父の断罪の場でもあるのだから気合が入る。ドレスは当日に調整をしてもらわなければならないので、ベルモンド侯爵家へ預けてあった。
「ガタン!」
母の部屋から大きな物音がした。椅子でもひっくり返したのだろうか。怪我をしていないだろうかと慌てて母の部屋の扉を開けると、そこには母がしっかりと自分の足で立っていた。
「えっ? お母様……。立って大丈夫なの?」
母が目の前で立っていることが信じられずに、的を射ない言葉を投げかけてしまった。
「ふふっ、大丈夫よ。筋肉がかなり落ちてしまっているわね。明日からは少し動かないと」
「本当に?」
心配で何度も確認する私に、母は優しく微笑みかけて抱きしめてくれた。
「ええ。……今までありがとうね、レティシア。わたくしは貴女の母であることを、誇りに思っているわ」
優しい手のひらで頭を撫でられる。スラムに身を潜めてから五年、目まぐるしい毎日を送ってきた。体を起こすことも、長く話をすることにも苦労していた母が、笑顔で立っている。ただそれだけのことなのに、今はまるで時間が止まっているように感じた。
「お、お母様……、お母様ぁぁ――!」
私は母を強く抱きしめた。耐えていた涙が堰を切ったように溢れ出す。止め方を分からなくなっている私の涙を拭いながら、母が優しく話しかけた。
「もう大丈夫よ。安心していいわ。わたくしの体にあった病は、すべて分解されて消えたのが分かるから。引き受けてすぐは抵抗できなかったけれど、レティシアが少しずつ吸い出してくれたから、病に負けずに闘うことができたの。本当にありがとうね」
抱きついている腕や体を通して声が響くのが心地良い。私は泣き疲れたのもあって、母に抱きついたまま眠りこけてしまったのだった。
★★★
ふと目を覚ますと、私は母のベッドで寝ていた。つい母が心配で姿を探してしまう。これでは幼い子どものようだ。
「レティ、起きたんだね。今日はお祝いに肉と果物を持ってきたよ。ベルモンド侯爵家にも早馬を送っておいたから、デビュタントのお母上のドレスも準備してくれるみたいだよ。よかったね」
母の部屋を出た瞬間に、目の前にいたのはリュシアンだった。
「あ、ありがとう」
母のドレスまで考えて用意してくれるなんてありがたい。私はまだ少し現実味がなくて、頭が正常に働いていないというか、ふわふわした感覚だった。
リュシアンが挙動不審な私の手を引き、キッチンに移動する。そこには昔と同じように調理をする母の姿があった。
「良かった……本当に良かった……っ!」
私が崩れ落ちそうになると、リュシアンが優しく抱きとめて椅子に座らせてくれた。「ほら」とハンカチを渡され、優しくゆっくりと背中を撫でてくれる。何も言わないでいてくれる優しさと母のいる安堵感に、私は心地良さを感じていたのだった。




