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ひっそりと民を救うのは、追放された真の貴族でした ―王太子の病を請け負った母娘の物語―  作者: 月城 蓮桜音


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第3話 スラムという居場所

 スラム街の入り口。その外縁に佇む古びた小さな民家は、この界隈では「裏の治療院」として知られていた。見かけはどこにでもある粗末な家屋だが、その地下通路はスラムの中心部へと密かに繋がっている。

 そこへ、一台の馬車が激しい音を立てて滑り込んできた。

 

「おっ、レティ姉ちゃんの馬車だ!」


「あいつらを呼びに行くか?」


「いや、俺らだけで先に挨拶しようぜ!」

 

 馬車の紋章を見た子供たちが、小鳥のように集まってくる。私とお母様が、公務の合間を縫って何度も足を運んだ場所。ここは、私たちにとっての「もう一つの居場所」でもあった。


「皆、少し手を貸してもらえる?」


 私が馬車の扉を開け、外へ声をかける。その瞬間、私の真っ白だったはずのドレスがどす黒く染まっているのを見て、子供たちの顔から血の気が引いた。


「ね、姉ちゃん……怪我したのか!?」


「血だ……血が出すぎだぞ! 誰か!」


「落ち着いて。ジョンは『おじいちゃん先生』を呼んできて。ルイージは家の扉を開けて、一番広い寝室の準備をしてちょうだい。急いで!」


「「わ、分かった!!」」


 私の鋭い声に弾かれたように、二人は指示通りに猛ダッシュで動いてくれた。

 御者のモーリスの手を借りて、ぐったりとしたお母様を運び込む。治療室のベッドに横たえたのとほぼ同時に、ジョンが近くの民家から一人の老人を連れて戻ってきた。


「お嬢様! なんという出血量だ……!」


 即座に治療に取り掛かったその老人は、腕利きの『治癒師』であり、熟練の『剥離師』でもあった。元はお祖父様の主治医を務めていた御方で、隠居してからはこうしてスラムで奉仕活動をしている。

 彼の住まいを知っていたからこそ、私は迷わずここを潜伏先に選んだのだ。


「レティお嬢様……よく、ここまで止血を頑張られましたな。貴女の衣服まで真っ赤ではありませんか。――もう大丈夫です。お母様は、私が必ずお救いします。……さて、一体何があったのか、詳しくお聞かせ願えますか?」


「ええ、話すわ。でも、その前に……。モーリス、このままお祖父様の領地へ向かって。お母様が目覚めるまではここに残る、と。それだけを報告してきてちょうだい」


「かしこまりました! どうか、お気をつけて……!」


 モーリスは力強く頷くと、再び馬車に飛び乗り、砂煙を上げて走り去った。


「先生……お母様は、お父様に斬られたの。私の目の前で。……私たちを逃がすために盾になってくれた、家令や執事たちの安否が心配だわ」


「……っ。左様でしたか。それは……なんと惨い。ご安心ください、私の方から信頼できる『治癒師』を屋敷へ派遣しましょう。彼らも誇り高きアストレアの臣。お嬢様たちの無事を知れば、必ずや踏ん張ってくれますぞ」


「ありがとう……ございます……」


 張り詰めていた糸が少しだけ緩み、溢れそうになった涙を必死に堪える。そんな私の頭を、先生は皺だらけの温かい手で優しく撫でてくれた。


「レティお嬢様、素晴らしいご判断でした。お母様が斬られてから意識を失うまで、おそらく二分もなかったでしょう。この出血量で命を繋ぎ止めたのは、ひとえに貴女の的確な処置があったからです。……立派に成長なされましたな。ジイは嬉しゅうございますぞ」


 鼻を啜りながら涙目になっている先生を見て、私は思わず苦笑いしてしまった。

 お母様が忙しい時、家政や領務の手伝いをしていた私にとって、緊急時に冷静でいることは当然の義務だった。――遊び呆けて、母の慈悲に甘えることしか知らなかった『あの男』とは違う。


 これまでお母様が何も言わないから目を瞑ってきたけれど、今回の凶行、お祖父様がどのような結論を出されるにせよ……いつか再会する日が来たなら、相応の制裁を受けてもらう。その時ばかりは、私も『慈悲』の心など見せるつもりはなかった。


「さて……着替えも持たずに飛び出してきたのでしょう?」


「ええ。けれど、これから平民のワンピースを買いに行くから問題ないわ。ジョン、ルイージ。隠れてないで、案内してちょうだい」


「任せとけ!」


聖母様(お母様)の分も買うのか?」


「ええ、そうね。起き上がれるようになるまで時間がかかるでしょうから、少し大きめのサイズがいいわ。ぴったりした服だと、私が一人で着替えさせるのは大変でしょうから」


「分かった! 母ちゃんに、安くて丈夫な服を売ってる店を聞いてくるよ!」


「よろしくね」


 流れるように判断を下す私を見て、先生はまた目を細めて嬉しそうに微笑んだ。


「幼い頃のエレオノーラお嬢様にそっくりでいらっしゃいますな。……レティお嬢様、よろしければ私のことも『ジイ』とお呼びください。おじいちゃん先生では、咄嗟に指示を出すには少し長すぎますでしょう? ほほほ」


「……ええ。そうさせてもらうわ、ジイ」


 微笑むジイからお母様へ視線を戻すと、その顔は抜けるように真っ白だった。


「身体が冷え切っているわ。温めてあげたいけれど……」


「厚手の布団ならありますぞ。お貸ししましょう」


「助かるわ。ありがとう、ジイ」


 私はジイにお母様の介抱を託し、スラムの子供たちと共に街へと繰り出した。

 数日分の食料と、泥にまみれても目立たない安価な衣服。


 真っ赤に染まった公爵令嬢のドレスを脱ぎ捨て、私は「スラムの少女」としての第一歩を踏み出した。

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