第29話 勉強と衛生、そして夢
スラムの子供たちも、この四年で病に罹る子は減ってきていた。私がしつこく衛生面での常識を叩き込んだからなのだが、表を歩く分には、スラム特有の嫌な臭いも昔ほどはしなくなっていた。
そんなに難しいことはさせていないけれど、効果はしっかりあったようだ。『手洗いうがいの徹底』や『生水は飲まずに煮沸する』こと、そして窓や扉を開け、冬でもできるだけ空気を入れ替えるように教えた。それだけではないが、子供たちが率先して行動してくれたおかげで、スラムの大人たちもやってくれるようになったのだ。
「ヒヒィ――ン!!」
スラム街を散歩していた私は、治療院の入り口に向かう。今日は、アルフォンスとリュシアンが勉強を教えに来てくれる日だった。
「兄ちゃんたちだ!」
「こんにちは!」
「こんにちは。今日も元気だね」
二人の周りを子供たちが取り囲んでいる。その中にいたジョンが、騎士服を着ていたアルフォンスに質問をし始めた。
「ねえ、兄ちゃん。どうなったら騎士になれるの?」
「ジョンは騎士になりたいのかい?」
「弱い人たちを守れる大人になりたいんだ」
「そうか、とても立派な夢だね。そうだなあ……。警邏隊などでも良いのかな?」
「うん。街を守るのも良いと思う」
リュシアンが笑顔でジョンの頭を撫でて、視線を合わせて話し出す。
「まずはしっかり食べて体を鍛えることだ。十五歳になったら警邏隊の詰め所へ行ってみなさい。そこで熱意を伝えれば、見習いとして道が開けるかもしれない」
「体を鍛えるって、どうすれば良いの? ルイージたちと走り回ってるだけで、訓練はしたことが無いんだ」
「なら、僕が基礎を教えてあげるよ。ちゃんとできるようになったら、次の訓練を教えるからね。少しずつになるけれど、頑張ってみるかい?」
アルフォンスの言葉に、ジョンたちは笑顔で何度も頷く。
「うん! 兄ちゃんたち、ありがとう!」
「楽しみだなあ!」
そんな子供たちを眺めていたリュシアンが、悔しそうにしながら子供たちへ語りかけた。
「いつの日にか、君たちが職業を選べるような世の中にしてみせるからね。信じて訓練を頑張っておくれ」
「うんっ!」
「俺たち、頑張るよ!」
そう言って嬉しそうに走って行ってしまう子供たち。リュシアンの言うように、彼らの未来が選べるようになったら良いのにと強く思った。
★★★
「さあ、勉強会を始めようか」
お茶で喉を潤し、落ち着いてから始まった勉強会。アルフォンスが持ってきてくれた本を読み、問題を解いていく。スラスラと解いていく私とアルフォンスの手元を眺めていたリュシアンは、間違っている時だけ指摘してくれる。
「レティ、そこは違うよ。もう一度、ちゃんと問題を読んでごらん?」
「えっ? ……本当だわ。ありがとう、リュシー」
「いえいえ。さあ、続けて」
そうやって勉強会は進んでいく。間違った場所を的確に指摘し、分からなければ細かく説明してくれるリュシアンのおかげで、とても勉強が捗っていたのだけれど……。
説明する回数が増えれば増えるほど……きょ、距離が近いっ!
「……殿下、ちょっと距離が近すぎるのではありませんか? 令嬢に対して不適切です」
「ああ、すまなかった。つい、説明に力が入ってしまったよ」
スッと私から離れるリュシアンにホッとする。アルフォンスにありがとうと目配せすると、ニコッと笑ってくれた。
勉強に集中していた私たちは、手元が見えなくなってきたことで、やっと手を止めて顔を上げた。
「暗くなっちゃったわね」
「そうだね。今日はここまでかな」
「リュシー、アル、今日もありがとう。助かったわ」
「気にしないで良いよ。君たちは賢いから、教えるのも楽しいしね。あっという間に学園で習う勉強のほとんどを終わらせてしまっているし。家庭教師がついているわけでもないのに、本当に凄いと思うよ」
私とアルフォンスは視線を合わせて同時に瞬きをした。リュシアンは何を言っているのだろうか。
「リュシーが家庭教師でしょう? どの家庭教師よりも分かりやすくて助かっているわ」
「僕もそう思っていました。殿下は分かりやすく教えてくださるので、今日も一度もペンを止めずに進められました。ありがとうございます」
「……そうかい? それなら良かったよ」
私たちは三人で笑いながら、暗くなった夜空を見上げたのだった。




