第26話 甘い社交辞令と、腹黒い企み
父であるオズワルドが治療院に突撃して来た日から、四年という月日が経っていた。
その間も、父は無駄な攻撃を仕掛けてきていたが、リュシアンが警邏隊の巡回ルートにスラムの治療院の前を組み込んでくれたおかげで、私たち母娘に被害は無かった。
「やあ、レティシア。今日も可愛いね。君の周りだけ、空気が澄んでいるようだ」
「……ごきげんよう、リュシアン殿下」
この四年で変わったことと言えば、リュシアンが『社交辞令』を、会うたびにわざわざ言ってくることぐらいだろうか。
「嫌だなあ。『リュシー』って呼んでよ、レティシア。私も『レティ』って呼んで良いかい?」
「治療院では『リュシー』と呼んでいるじゃない。王太子殿下がリュシアンという名前だと知っている人間が、スラムにはどれほどいるか分からないけれど」
「くくっ、本当に君は素敵だね。私の周りに侍ろうとする者たちとは全く違う」
「侍るって……。王太子なのだから仕方ないんじゃないの? あれから四年経っているのだから、もう十九歳でしょう。いい加減、婚約者を決めてあげないと、周りの女性たちは適齢期を過ぎてしまうわよ」
記憶によると、リュシアンは今年の冬で王都の学園を卒業すると言っていたはずだ。学園は十五歳から四年間、貴族の子息であれば通わなければならない。今年卒業なら、十九歳で間違いないはずだ。
「……そうかもしれないが、君は良いのかい?」
「私? 私は来年がデビュタントだもの。まだのんびりしていられるわ」
「そうか。君も来年には十五歳になるのか……」
「ええ、そうよ。ついでにアルもね。アルは騎士服で出席するのかしら? 私は白いドレスを……叔母様にお願いしようかしらね」
「デビュタントには出る気なのか」
「えっ? 出ないと成人した一貴族として認められないってお母様が言ってたから……。でもそうね、実際に出られるかは分からないわね」
言われて気づいたのだが、デビュタントもそうだが、王都の学園にすら通えるか分からない。スラムから通うことを許されたとしても、小物や髪飾りなどに流行を取り入れていないのは貴族として良くないわよね。
「丁度良いな。あの男、デビュタントで公開断罪してやったらどうだい?」
なるほど、それまでに元の生活に戻れたなら問題は解決するわよね。勉強は進んでいないけれど、アルフォンスが自分の勉強道具を一式貸してくれるから、そこまで遅れていないと思うし。
「それは良い考えね。もう目処がついたのかしら?」
「ああ、断罪するための罪には困らないくらい、小さな罪を山ほど犯してくれたよ」
「小さな罪じゃあ、地に叩き落とすには足りないんじゃない?」
私の言葉に対して、にやりと黒い笑みを浮かべたリュシアンが、わざとらしく足を組み直してから私を見つめ、自信満々に答える。
「くくっ。安心して良いよ。おそらくデビュタントまでの間に、決定的な罪を犯すはずさ」
アルフォンスが公爵家に潜ませている人間からのリークかしら。悪いことをすると分かっている人間をマークするのだから、やりやすくはありそうだけれど。
「そうなのね。私は何もしなくて良いの?」
「ああ。君は母上がデビュタントに出席できるように看病を。きっと白いドレス姿も美しいのだろうから、見せて差し上げたいね」
「そうね……。きっと大丈夫。ここ最近では、会話ができる時間も増えたし、カップも自分で持って飲めるようになっているわ」
「それは良かった。ベッドに横たわる美しい女性の部屋に入って挨拶するわけにはいかないからね。いつかゆっくり話がしたいと伝えてくれるかい?」
リュシアンのこういう距離感が心地良い。特に、私が困るだろうことを先回りして、否定せずに済む話し方をしてくれる。
「ええ、もちろんよ。お母様には、リュシーもアルも、私を支えてくれたから今があるんだと伝えてあるから……。私もお母様も、早く普通に暮らせることを夢見ているわ」
「きっと大丈夫さ。四年でそんなにも回復したんだからね。王宮の『剥離師』たちの見解では、『十年経ってやっと意識を取り戻すだろう』とのことだった。やはり君の治療が功を奏したのだな」
「そんなことは無いわ。きっと、お母様の生命力が……生きようという気持ちが強かっただけよ」
少し面映ゆさを感じて、私はお茶のポットを取りに、パタパタとキッチンへ向かう。
「……ああ、君は本当に美しい」
小さな声で何かをつぶやいていたリュシアンだったが、私は気にせずにお茶のお代わりを注いだのだった。




