第20話 揺れる馬車と微かな涙
リュシアン以外の王族が退出した食堂で、私はさっさと帰り支度を始めていた。
「リュシアン殿下、馬車は用意してもらえるのですよね?」
「ああ、すぐに用意させることもできるが、もう帰るのか?」
「母を一人で置いておくのは心配なのです。少しでも早く帰らせてください」
少し不安げな私を見て、リュシアンは「分かった」とだけ言って、アルフォンスのいる方向へ視線を向けた。
「レティ、帰りは侯爵家の馬車で送るよ。王家の馬車は立派すぎて目立つからね」
「そうしてくれると助かるわ。ジイ、帰るわよ。――あらまあ、飲んだくれて寝ているわね……」
「僕たちで馬車に運ぶよ。アルフォンス、あとは任せるからね」
マクシ様の言葉に、アルフォンスは「かしこまりました」と頷き、馬車へ向かって歩き出した。
私は色々とアルフォンスに聞きたいことがあったが、王城では誰が聞いているか分からない。馬車も侯爵家のものだというし、乗り込んでからゆっくり話そうと、ジイを馬車へ乗せてくれたマクシミリアン様とセドリックにお礼を言って、私も馬車に乗り込む。
馬車が動き出すと、どちらからともなく「はあ……」と深い溜め息が漏れた。
「疲れたわ……。もう当分は呼び出されないことを祈っておかなきゃ」
「僕も、さすがに緊張したよ。リュシアン殿下から呼び出されたから何かと思えば、役人の断罪に立ち会えだなんて。おかしいとは思ったけれど、まさかレティが絡んでいたとはね……」
「それは私も驚いたわよ。まさかアルがいるとは思っていなかったもの。まあ、それでも、助けてくれてありがとう」
「守るための剣を習っているからね。レティを守れて当然だよ。でも、あまり無茶はしないでよ? スラムに住んでいるだけでも落ち着かないのに、罪人を煽ったり――」
「分かっているわ。今日はお説教はやめてちょうだい。お母様の治療を終えたら何もする気が起きないだろうし、早めに寝ることにするわ」
「ふふっ。それが良いだろうね。フォンテーヌ卿は彼の家に送り届けるから、安心して良いよ」
「何から何まで助かるわ。それじゃあ、よろしくね」
こうして、ようやく治療院に帰ってきた私は、母の部屋に足を踏み入れた。もっと色々話したいことがあったけれど、お互いに疲れているから深い話はできなかったわね。
そんなことを考えながら、私は母の手首に触れる。
「レティ……シア……」
「えっ?」
パッと母の顔を覗き込むと、瞳が揺らぎ、涙が溢れていた。
「お母様! 意識が戻られたのですか? お母様!」
ふっと微笑んだ母は、また深い眠りへ落ちていったようだ。ほんの僅かずつではあるが、母の治療は確実に進んでいる。
「良かった……」
私は一言ポツリとつぶやき、母の手を握りしめると、いつものように治療をしてから眠りにつくのだった。
★★★
「おはよう、レティ姉ちゃん!」
「おはよう、ルイージ。今日は随分と早いわね」
「昨日は姉ちゃん寝てたからさ。お城に連れて行かれたんだろ? 皆が心配してたんだぜ」
「まあ、そうだったの? ごめんなさいね、説明してから向かえば良かったわね」
「ううん、大丈夫だよ。レティ姉ちゃんのご先祖様は、王様たちを助けてあげたんだろ? だから大丈夫なんだって、母ちゃんたちが言ってたから」
「……ええ、そうなの。ありがとう」
「えっ、大丈夫? 姉ちゃん、痛いことされたりしたの?」
「違うわ。ルイージたちが、私のご先祖様のことを知っていてくれたのが嬉しいのよ。そうね、お母様もご自身の使命を果たされたのよね。とても誇らしいことだわ」
久しぶりに嬉しくて涙が出そうになった。母の想いを改めて受け止める。国へ貢献している母の背中をずっと見てきた。そんな母を斬りつけた父を、やはり私は許せない。
母は、赦すことも必要だと言う。でも、犯罪者を赦す必要なんて、本当にあるのだろうか。
犯した罪を後悔して、正しい道を進んでくれる人間が、どれほどいるというのか。そんな私の考えも偏見かもしれないけれど、スラムの子供たちも同じ人間だと理解できないあの貴族たちと、何ら変わりがないのかもしれない。
「私にできることから進めていくしかないのだしね。さて、ルイージ。今日は具合の悪い子はいないかしら」
「午後から一人、連れてくる予定だよ! 午前中はもう一度声をかけて回るから、いたら連れてくるね!」
「ありがとう、ルイージ。よろしくね」
いつもの会話になぜかホッとする。私の中で何かが変わった気がする。それでも……。私が願うのは、小さな命を私のできる範囲で救いたいという想いと、母が無事に完治してくれることだけだ。




