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やわらかな王の墓  作者: たむ


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99/111

第99話 村長の封じ言葉

 名なき子の古い記録を閉じたあと、地下室の空気はしばらく重いままだった。


 白い根の脈だけが、壁の隙間でかすかに上下している。

 生きているのでも、死んでいるのでもないような鼓動。

 王都で何度も見たそのリズムが、今や村の地下でも当たり前みたいに脈を打っている。

 最初にここへ落ちたとき、私はこの村を王都の外れだと思っていた。

 だが違う。

 ここはずっと、王都の内側を薄く引き延ばした場所だったのだ。


「地上へ戻りましょう」

 ダフが言った。

「長居はよくない」

「わかってる」

 私は答えた。

「でも、今の記録、村長は知ってるのか」

「知らないはずです」

 シウが言う。

「文書庫の地下は、ほんの一部の人しか」

「じゃあ今から知ることになる」

 

 エナは帳面を布へ包み直した。

 その手つきは静かで、無駄がなかった。

 動揺していないわけではないだろう。

 だが彼女は、揺れているときほど手を正確に動かす。

 そういう人間だと、ここまで来てだいぶわかってきた。


 地上へ出ると、空は昼を過ぎていた。

 村人たちはまだ広場のほうに集まっているらしく、文書庫跡の周囲は静かだ。

 私たちはそのまま村長の家へ向かった。


 村長の家は、村の中では少しだけ大きい。

 大きいといっても王都の感覚では小屋に近いが、壁が厚く、戸の木も古い。

 長く“決める側”にいた家の匂いがする。

 中へ入ると、村長はすでに待っていた。

 年寄りだが、背はまだ曲がりきっていない。

 最初に私を値踏みしたときと同じ、あの乾いた目をしている。

 ただ今日は、その目の奥にあからさまな疲れがあった。


「地下を見たか」

 村長は前置きなく言った。

「見た」

 私が答える。

「首も」

「見た」

「なら話が早い」


 村長は私より先に、エナのほうを見た。

「おまえも読んだな」

「はい」

「名なき子の記録を」

「はい」

 

 老人はそれで目を閉じた。

 諦めたというより、“とうとうここまで来たか”と数え終えた顔だった。


「なぜ隠した」

 私は訊いた。

「全部」

 

 村長はすぐには答えなかった。

 やがて、低く言う。

「隠したのではない。置いたのだ」

「同じだろ」

「同じではない」

 

 その言い方に、私は少しだけ苛立ったが、エナは口を挟まなかった。

 彼女もこの老人の言葉の重さを知っているのだろう。


「王都は、いらぬものを捨てる」

 村長が言った。

「だが本当に捨てれば、どこかで形を変えて戻る。だから辺へ置く」

「村が物置か」

「半分は」

 

 また半分だ。

 私はうんざりしつつも、もう驚かなかった。


「残り半分は?」

 私が問うと、村長は答えた。

「辺でなければ持てぬものがある」

「首とか」

「首もだ。名をまだ置けぬ子もそうだ」

 

 エナが小さく息を吸うのがわかった。

 だが村長は、そのまま続けた。


「王都の中では、顔が先に立つ」

「知ってる」

「辺では、まだ名を置かずにいられる夜がある」

「昨日みたいに」

「そうだ」

 

 名前を置かない夜。

 王都では禁句や触れ書きになるものが、この村では習いとして残っている。

 この老人は、それを“辺でなければ持てぬもの”と呼んだ。

 たしかにそうかもしれない。

 中央はすぐ書式にする。

 辺境だけが、形になる前の曖昧さを何とか持てる。


「今はもう持てない」

 エナが静かに言った。

「石像が動き、井戸が名を上げ、祠へ五本目が来た」

「知っている」

 村長が答える。

「だから封じ言葉を使う」

 

 私は眉を寄せた。

「封じ言葉?」

「村長だけが知る古い言い回しだ」

「便利だな」

「便利だから残った」


 老人は立ち上がり、家の奥から細い木板を持ってきた。

 表面は磨り減っている。

 そこへ短い句が刻まれていた。

 私は目を落とす。読める。


 ――名を置くな。

 ――顔を向けるな。

 ――首を返すな。

 ――王が自分で呼ばれるまで。


「……」

 私は木板を見たまま言った。

「これ、かなり重要じゃないか」

「重要だから村長だけが持つ」

「王都に送らなかった?」

「送れば、送った先で形になる」

 

 それは、妙に正しかった。

 王都へ送れば、補注になり、手順になり、誰かが“運用”し始める。

 この句は、書式へ入った瞬間に別の危険を持つのだろう。


「封じ言葉って何をする」

 私が問う。

「人の口を閉じる」

 村長が答えた。

「石の向きを遅らせる」

「井戸の名は」

「完全には止まらぬ」

 

 つまり、また猶予だ。

 この国は本当に、“完全に解く”より“少し遅らせる”技術ばかり磨いてきたらしい。


「今夜、広場で言う」

 村長が言った。

「村中へ」

「そんなので効くのか」

「効かせるしかない」

 

 私たちはその木板を持って、広場へ向かうことになった。

 村長の封じ言葉。

 王都の勅令とは違う。

 印も署名もない。

 ただ長く口伝され、必要なときだけ出される句。

 だが今は、たぶんそういう言葉のほうが王都の紙より強い。

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