第97話 影に合う顔
翌朝、白花祠の前で最初に異変へ気づいたのはエナだった。
「数が違う」
彼女が言う。
「何が」
私が眠気の残る頭で訊くと、彼女は祠の供花を指した。
「昨夜、最後は四本でした」
「うん」
「今朝は五本あります」
私はすぐに目が覚めた。
祠の台を見る。
確かに五本。
しかも、そのうち一本だけが少し灰色がかっている。
白花に見えるのに、花弁の奥へうっすら灰が混じっているような色だ。
灰色の婚礼衣装を思い出すには十分すぎた。
「誰が置いた」
ダフがすぐ問う。
だが答えられる者はいない。
夜番の村人たちは“見ていない”と言う。
それが嘘ではないこともわかった。
王都でも村でも、こういうときは本当に“置かれた瞬間だけが抜ける”ことがある。
エナは五本目の灰がかった花をじっと見ていた。
「昨日の五本目とは違います」
「何が」
「これは、向こうから来た花というより」
彼女は少し迷った。
「“合わせに来た花”です」
「合わせる?」
「はい。影に合う顔を探すための」
私は息を吐いた。
とうとうそこまで来たか、と思った。
位置だけの王。
呼ばれていない王。
顔を残す鏡。
灰色の婚礼衣装。
全部が、“まだない王の顔”をどこから持ってくるかという問題に集まっていく。
「読めるか」
ダフが言う。
「読む」
私は祠の台へしゃがみ込み、五本目の花を見た。
今までの白花より、明らかに“人に近い”気配がある。
花そのものというより、誰かの選びかけの印みたいな気配だ。
「……“影に合う顔を探せ”」
私は言った。
「“まだ嫁がぬ顔、まだ名のない顔、まだ喪に入らぬ顔”」
エナの目が少しだけ強くなる。
「婚礼前、名付け前、正式な死の前」
「全部“まだ”だな」
「はい」
私はさらに花弁の縁へ視線を寄せた。
「“王に近く、王でない顔を”」
それはもう、あまりにも露骨だった。
王妃候補。
婚礼前の花嫁。
王墓の近くで見つかった名なき子。
どれも“王に近いが王ではない”。
影が顔を得るなら、そういう場所から借りるしかないのだろう。
「最悪の条件だな」
私は言った。
「誰だって当てはまりかねない」
「でも、特に近い者がいます」
ダフが静かに言う。
私は彼を見た。
彼はすぐには続けなかった。
代わりに、エナが自分でその視線を受け取った。
「私です」
彼女は言った。
「やめろ」
私は反射的に言ったが、彼女は首を振る。
「事実として」
「事実でも言うな」
「リョウ」
彼女の声は静かだった。
「昨日の地下の帳面。名を与えるな。この子は後に数えへ触る」
「だからって」
「王墓の近くで見つかった子。村付き見習い。宮廷予備記録官。名を伏せている。王に近く、王ではない」
言葉が揃いすぎていて、私は逆に吐き気がした。
条件の列挙が、そのまま“影に合う顔”の候補者リストになっている。
「君じゃない」
私は強く言った。
「そう決めるのは早いです」
エナが返す。
「決めさせない」
「それも早い」
ダフが間に入った。
「まず村の石像を確認しましょう」
「何で」
私が問うと、彼は答えた。
「顔を求める側が、どこを向いているか見たい」
「祠か」
「あるいは井戸か」
「あるいは」
エナが小さく続ける。
「私か」
その言葉を聞いた瞬間、私は本気で嫌だった。
けれど否定のための根拠が、今のところ感情しかない。
王都の制度は、感情より条件で人を選ぶ。
それがわかっているから、余計に腹が立つ。
私たちは広場へ向かった。
村人たちはもう集まり始めている。
そして石像は――やはり向きを変えていた。
昨日は井戸を見ていた。
今朝は、祠のある丘のほうへ半ば体をひねっている。
完全には届かない。
だが、明らかにあちらを見ている。
「……祠だ」
シウが青ざめた顔で言う。
「首のほうを」
「違う」
エナが低く言った。
「首だけじゃない」
「何だ」
石像の抱く腕の角度が、ほんの少し変わっている。
首を抱きしめる形ではなく、“差し出す”形に近くなっていた。
「顔を返そうとしてる」
私は言った。
「あるいは、顔を受け取ろうとしてる」
エナが答える。
影に合う顔。
それを誰へ、どこへ当てるのか。
村の王像、祠の首、井戸の底の名前。
全部が同時に、ひとつの顔を選ぼうとしている。
そしてその候補の一人として、エナがあまりに近すぎる位置に立っていた。




