第94話 白花祠の封印
白花祠は、村はずれの低い丘の裾にあった。
前に来たとき、私はそこをちゃんと見ていなかった。
ただ白い花が多い小さな祠だと思っていた。
だが今見ると、そこは村の中でも明らかに“王から半歩ずれた場所”だった。
中央の井戸や石像とは視線が噛み合わない角度にあり、道も少しだけ曲がっている。
意図的なずらしだ。
王都の制度に巻き込まれすぎないための、村の小さな知恵かもしれなかった。
祠そのものは粗末だ。
石を三段積み、板屋根を渡し、その下に白花を供える台があるだけ。
だが、近づくと空気が変わる。
井戸や墓の圧とは違う。
もっと柔らかいが、そのぶんだけ人の手で保たれてきた場所の気配がある。
「ここなら」
エナが言う。
「“王へ返す前のもの”を一時的に置ける」
「どういう場所なんだ」
私が問うと、彼女は木枠を支えながら答えた。
「埋葬官見習いが、まだ名にならない死や、まだ口にできないことを一度だけ預ける祠です」
「便利だな」
「必要なので」
ダフが祠のまわりを見回す。
「封印式は?」
「本式は無理です」
エナが言う。
「でも、村式なら」
「足りますか」
「王都式よりは」
それはひどくこの村らしい答えだった。
私たちは祠の前の石台を清め、木枠をそっと置いた。
布をほどく。
石の首が昼の薄い光を受ける。
ここへ出しても、やはり目は少し開いているように見えた。
首だけなのに、何かを待っている顔だった。
「見ないで」
エナが急に言った。
「何を」
「目を、正面から長く」
「またか」
「はい」
私は素直に少し視線をずらした。
今は反発するより従うほうがましだ。
ここまで来ると、村の習いのほうが王都の形式より現場に近い気がする。
エナは白花を四本、祠の台に並べた。
五本目は置かない。
その慎重さを見ていると、供花の五本目がどれほど危ない境目かを改めて思い知らされる。
「四本まで」
私は言った。
「はい」
「ここでも」
「ここだからこそです」
彼女は小さな包みを開き、その中から灰を少し取り出した。
白くも黒くもない、薄い灰色。
祠の台の縁へ細く撒く。
「何だそれ」
「古い供花灰です」
「供花を燃やすのか」
「使い終わった言葉を、形だけ残すために」
その説明は、妙に腑に落ちた。
供花は言葉の代わり。
なら燃えたあとの灰は、言い終えた言葉の骨だ。
ダフと護衛たちは少し離れた位置で見張る。
シウは祠の外で落ち着かない様子で立っている。
私はエナの隣へしゃがみ、石の首を見た。
祠の中では、首の顔が少しだけ穏やかに見える。
王都の地下で見たときより、人間のものに近い。
「封じます」
エナが言った。
「村式です」
「やってくれ」
彼女は白花の茎を一本だけ折り、短くしたそれで石台の縁へ印を描いた。
円ではない。
四角でもない。
角のないゆるい形。
何かを閉じるというより、外へ出る方向をぼかすための線だった。
「言葉は?」
私は問う。
「少ないです」
「助かる」
エナは低く、ほとんど歌わない程度の声で言った。
「まだ帰すな。
まだ呼ぶな。
まだ顔にするな。
ここでは花だけを数えよ」
それだけだった。
祈祷というより、注意書きに近い。
だが、この村ではそのくらいがちょうどいいのかもしれない。
王都みたいに言葉を増やせば、そのぶん形が濃くなる。
言葉が終わると、祠の空気が少しだけ締まった。
石の首の目も、前より閉じたように見えた。
完全ではない。
だが、“今ここで誰かを見る”顔ではなくなった。
「封印できたのか」
私が訊くと、エナは頷いた。
「一時的に」
「またその言い方か」
「王都の外でも、だいたいそうです」
私は息をついた。
白花祠の封印。
それは大仰な奇跡ではない。
ただ、今すぐ顔を誰かへ返さないための、小さな保留だ。
猶予の朝と同じ。
この国では、根本的な解決より先に、まず“まだ”をひとつ稼ぐ。
そのとき、村の中央から、かすかにざわめきが聞こえた。
人の声。
そして、石が動くような鈍い音。
全員がそちらを見る。
「石像」
シウが青ざめた顔で言う。
「またです」
私は立ち上がった。
祠に置いた首は、まだ封じた。
なら次は、首を失ったままの胴体が何をしようとしているのか、見に行かなければならない。




