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やわらかな王の墓  作者: たむ


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93/96

第93話 首を運ぶ者

 地下室の石台の前で、私たちはしばらく動けなかった。


 村の王像が抱いているのは、ただの象徴的な首ではない。

 王都が失いかけた顔の“保管先”としての首。

 しかも木札にははっきり書いてある。

 もし王の顔が井戸へ落ちるなら、この首を地上へ戻すこと。

 だが同時に、呼ばれていない者に向けるな。


 最悪の二択だった。

 戻さなければ都は顔を取り戻せないかもしれない。

 戻せば、影が先にそれを得るかもしれない。


「持ち出すべきか」

 ダフが低く言った。

「今ここで決めるには重すぎる」

 私は答えた。

「でも置いておくのも危ない」

「はい」

 エナが言う。

「石像が文書庫跡を向いた時点で、“地下にある”ことはもう隠しきれていません」


 私は石の首を見た。

 彫りは王のものだ。

 だが、王本人の今の顔とも少し違う。

 もっと若い。

 あるいは、まだ削られきる前の顔に近い。

 王都へ預ける前の、王の顔。

 そんな感じがした。


「誰が運ぶ」

 護衛の一人が問う。

「布で包めば」

「だめです」

 エナが即座に言った。

「これは荷ではありません」

「知ってるよ」

 護衛が苦い顔をする。

「だから聞いてる」


 エナは石台の木札をもう一度見た。

「“首を運ぶ者”は、ただの搬送役ではないはずです」

「どういう意味だ」

 私が訊くと、彼女は少しだけ迷ってから言う。

「王都の古い習いでは、顔や頭部に関わるものを運ぶ者は、“どこへ向けるか”の責任も負います」

「つまり」

 私は息をついた。

「単に持つだけじゃなく、誰に見せるかまで含めて運ぶ」

「はい」


 ますます最悪だった。


 ダフが石室の入口を振り返る。

「少なくとも、ここへ長く留まるのはよくない」

「同意」

 私が言う。

「村のほうも気になる」

「石像ですね」

「そう。向きがさらに変わるかもしれない」

「あるいは」

 エナが低く言う。

「首を求めてくる」


 その一言で、背中が冷えた。

 王像がここを見ているのは、単に地下を示すためではなく、本当に“取り戻しに来る”視線かもしれない。


「運ぶなら」

 私は言った。

「俺とエナだ」

「リョウ」

 彼女がこちらを見る。

「読まされる役が俺なら、向ける先を見誤るわけにいかない」

「私は村の側を知っています」

「だから一緒」

 

 ダフは少し考え、それから頷いた。

「護衛は近すぎると逆に邪魔かもしれない」

「嫌な判断だな」

「王都ですので」


 結局、首はその場で布に包み直し、簡易の木枠へ納めた。

 重い。

 ただの石よりも、意味のぶんだけ余計に重い気がする。

 持ち上げた瞬間、私の腕へ鈍い冷たさが走った。

 井戸水の冷えとも鏡の冷えとも違う。

 これはもっと“顔の温度が抜けたあとの冷たさ”だった。


「大丈夫ですか」

 エナが問う。

「重い」

「それだけなら、ましです」


 地下を出るとき、私は一度だけ振り返った。

 石台だけが残った小部屋は、もう用済みになった殻みたいに見えた。

 長いあいだ村が預かっていたものが、今ようやく動き始める。

 そう思うと、地下の空気そのものが少し軽くなった気がした。

 だが、それは安心ではない。

 蓋を開けたあとの軽さだ。


 文書庫の崩れた床を抜けて地上へ出る。

 昼の光が眩しい。

 村の空は相変わらず低いのに、地下のあとではひどく明るかった。


 外で待っていたシウが、木枠を見て青ざめた。

「それ……何ですか」

「知らないほうが楽だ」

 ダフが答える。

「でも、村には知られる」

 シウが震える声で言う。

「石像が見てるんです」

 

 私はその言葉に顔を上げた。

 村の中央、井戸のそばの石像。

 首を抱く胴体だけの王。

 ここからは見えない。

 だが、見えている気配だけはあった。


「急ごう」

 私は言った。

「どこへ」

 エナが問う。

「まず、井戸じゃない」

「はい」

「石像でもない」

「では」

 

 私は木札の文を思い出した。

 地上へ戻すこと。

 だが、どこへ向けるかが問題だ。

 呼ばれていない者に向けるな。

 なら、まずは王都でも井戸でも石像でもない、第三の場所が要る。


「祠だ」

 私は言った。

「村の、王から少し外れた場所」

「埋葬見習いの小祠があります」

 エナがすぐ答える。

「村はずれの白花祠」

「そこへ」

「はい」

 

 首を運ぶ者。

 その役目は、ただの搬送ではない。

 私は木枠を抱え直した。

 今、この石の首は、王都でも村でもなく、私たちの腕の中間にある。

 向ける先を間違えれば、王の顔は影へ渡る。

 だからこそ、まだ誰にも返さないための場所が必要だった。

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