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やわらかな王の墓  作者: たむ


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88/96

第88話 鏡の向こうの花嫁

 翌朝、私たちは宮城の女系遺物保管区へ入った。


 地下庭園のさらに奥、第二王妃の指輪が一度流された水脈保管区の隣にある細室だ。

 前に来たときより、明らかに警備が増えている。

 扉の前に埋葬官二名、祈祷院の女官一名、監査局からネム。

 そして室内には、布をかけられた鏡が三面。


「三つ?」

 私は言った。

「増えてるな」

「元から三面です」

 リシェが答える。

「ただ、前回は一つしか使っていませんでした」

「今日は全部?」

「必要になるかもしれません」


 室内は暗い。

 灯りを絞り、水盤の位置まで変えている。

 正面の鏡にはまだ布がかかったままだが、その布越しにでも、向こう側に“何かいる”感じがするのが嫌だった。


「最初に見たのは誰だ」

 私は問う。

 祈祷院の女官が手を挙げる。

「私です」

「何を見た」

「花嫁の顔を」

 

 その答えに、私は嫌な予感しかしなかった。

 灰色の婚礼衣装。

 六輪の花。

 婚礼前の者より、と書かれた墓預けの手紙。

 王都の“まだ結ばれていない席”は、婚礼へも深くつながっている。


「記録を」

 ネムが促す。

 女官は少し震える声で言った。

「ユレナの鏡像確認後、正面鏡を覆い直しました。そのあと、水盤の位置を整えるため横鏡を見たとき、知らない女の顔が映っていました」

「知らない?」

 リシェが問う。

「王妃候補でも妃系登録像でもない」

「何に見えた」

「花嫁です」

 

 女官は唇を湿らせるように息をつき、続ける。

「髪が結い上げられ、灰色の薄衣を着ていた。顔は若い。でも、目だけが……」

「何だ」

 私が訊くと、女官は言い淀んだ。

「決めきれていない目でした」

 

 その表現に、私は背中が冷えた。

 顔はある。

 でも、目だけが“誰であるか”へ届いていない。

 影が顔を得る途中のような顔だ。


「鏡を見せて」

 リシェが言った。

「ただし順に」

 

 布が一枚だけ外される。

 横向きの細い鏡だ。

 前の鏡より曇りが強い。

 そのぶん、像が立つときは余計に濃くなるのだろう。


「まず水を動かさないで」

 エナが小さく言う。

「鏡だけ見ます」


 私は鏡の前へ立った。

 自分の顔がぼんやり映る。

 少しやつれている。

 王都へ来てからまだ大して日も経っていないのに、顔の減り方が早い。

 そんなことを考えた瞬間、鏡の奥の像が揺れた。


 私の背後に、女が立っている。


 反射的に振り向きかけ、止まる。

 室内にそんな人影はない。

 鏡の向こうにだけいる。

 若い女。

 灰色の婚礼衣装。

 髪には白い花が六輪。

 そして目が、本当に“決めきれていない”。


「……いる」

 私は言った。

「見えます」

 エナがすぐ記録する。

「誰に似ていますか」

「誰にも完全には」

 私は答えながら、目を凝らした。

「でも……少しずつ変わる」

「変わる?」

 ダフが問う。


「王妃候補ユレナに少し似る。次に、もっと年上の女にも似る。最後に」

 私は言葉を切った。

「最後に?」

「……誰にも似てない顔へ戻る」

 

 鏡の向こうの花嫁。

 それは一人の人物の顔ではなかった。

 複数の候補を少しずつなぞり、しかしどこにも決まりきらず、花嫁の姿だけを保っている。

 婚礼衣装は席を結ぶ。

 ならこの像は、“結ばれる前の顔”の寄せ集めなのかもしれない。


「読めるか」

 リシェが低く問う。

「やる」


 私は鏡面の端、花嫁の花が映るあたりを見た。

 白い六輪が、鏡の中では七輪に見える。

 そのずれが文字のように立った。


「……“まだ嫁がぬ顔”」

 私は言った。

「“家へ入る前、王へも入る前”」

 

 エナの筆が少し速くなる。


「続きは」

「“呼ばれぬ席が女の顔を借りる”」

 

 その一文で、室内の空気が明確に重くなった。

 呼ばれていない王の影が、女の顔を借り始めている。

 王妃候補や婚礼前の花嫁の顔は、王都において“まだ定まらぬ席へ入る前の顔”として扱いやすいのかもしれない。

 だから鏡に出る。


「最後は」

 私は鏡の奥へ意識を寄せた。

「“名を問えば、誰かに定まる”」


 ネムが顔を上げる。

「だから名を問うな、と」

「ええ」

 エナが答える。

「セファの伝言どおりです」


 鏡の向こうの花嫁は、まだこちらを見ている。

 目だけが決まらない。

 顔はあるのに、誰の顔にもなりきらない。

 もしここで名前を与えれば、その瞬間に“誰か”へ定まってしまう。

 王都は今、その寸前で足踏みしているのだろう。


 私は鏡から一歩下がった。

 背中に冷たい汗があった。

 影が先に王になる。

 その次は、顔が先に花嫁になる。

 王都の異常は、王と王妃の境目を使って、仮座へ顔を流し込もうとしている。

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