第86話 まだ死んでいない王墓
その日の夕方、私はまた宮城へ呼び戻された。
今度は半身の間でも古井でもない。
十三王墓そのもの。
王墓の呼吸が再び強まったという。
昨夜の猶予が、もう朝だけのものでは済まなくなっているらしかった。
東墓廊へ向かう道すがら、セリオは珍しく何度も口を開いた。
「今夜は、墓そのものを見る」
「今までも見てただろ」
「違います。今までは、墓の言葉や脈を見る立場でした」
「今夜は?」
「墓の状態を、王の状態として見る」
それはつまり、王本人を見に行くのとほとんど同じ意味を持つのだろう。
あるいは王本人より正確に。
この国では、そういうことが起こり得る。
墓廊に入ると、空気はすでに違っていた。
夜の息をする墓。
前にも感じたが、今日はそれがもっとはっきりしている。
吸う。
吐く。
そのたびに、石壁の隙間の白い根がわずかに膨らみ、しぼむ。
十三王墓の前には、綱の外に埋葬官が六人立っていた。
供花は三輪。
昨日までは二輪だったはずだ。
それだけで、嫌な想像が先に来る。
「増えてるな」
私が言うと、エナが記録帳を見た。
「はい。三輪」
「王、影、空席」
ダフが小さく言いかけ、すぐ口を閉じた。
「今は数えるな」
私は低く言った。
「……はい」
墓標は前より白かった。
正確には、根が増えすぎて石の灰を覆い始めている。
文字の溝にも白いものが入り、もはや石の墓なのか根の塊なのか判然としない。
「見て」
エナが言う。
「下です」
墓標の根元。
そこに、細い裂け目が一本走っている。
石の亀裂ではない。
もっと柔らかいものの口が、内側から少しだけ開いたような裂け目。
そこから冷気が漏れていた。
「……やめろよ」
私は思わず言った。
「墓が開きかけてる」
「まだです」
セリオが答える。
「“まだ”か」
「ええ。まだ」
猶予の朝。
影の「まだ」。
そして今、王墓もまだ完全には開いていない。
この国は本当に、その一語だけで綱渡りをしている。
「読めますか」
リシェが問う。
「やる」
私は綱の手前まで近づき、墓標の裂け目を見た。
白い根が脈打つ。
息を吸うたび、意味が押し出される。
文字を読むというより、墓の内側の息を聞く感じだった。
「……“まだ死んでいない”」
私は言った。
「“ゆえに、まだ開かない”」
全員が黙る。
墓そのものが、自分でそう言っている。
私はさらに裂け目の奥へ意識を向けた。
冷たい。
井戸の底より乾いていて、王冠の傷より湿っている。
墓と身体の中間みたいな冷たさだった。
「“だが、耳は先に埋まった”」
セリオの顔が少しだけ変わる。
王の耳。
欠けているのではなく、墓の側から見れば“先に埋まった”のかもしれない。
受け取れないのではない。
もう墓の領分へ半分入っている。
「続きは」
エナが促す。
私は喉を湿らせるように息をついた。
「“顔はまだ上にある”」
「井戸と一致する」
ネムが低く言う。
「顔が先に落ちると出ていました」
「いや」
私は首を振った。
「この文脈だと逆だ」
「逆?」
「耳は先に埋まった。顔はまだ上にある。つまり」
私はそこで言葉を切った。
言いたくない。
だが、言葉にしなければ全員が別々の最悪を想像する。
「王はまだ、顔で保ってる」
私は言った。
「顔が落ちたら、墓がもっと開く」
エナの指先が止まる。
ダフも記録の筆を一瞬止めた。
さらに、裂け目の奥から、もうひとつ意味が上がってくる。
これは前の二つより濃い。
ひどく嫌な濃さだ。
「“呼ばれていない王に、顔を与えるな”」
その一文で、墓廊の空気が明確に変わった。
誰かが息を呑む。
私は自分でも、胸の奥が一段冷えるのを感じた。
呼ばれていない王。
昨夜、私が口にしたもの。
それを墓も認識している。
しかも、“顔を与えるな”と言う。
顔を与えれば、それはもっと王に近づく。
王妃候補の棺の鏡。
顔を残す鏡。
王都が今やっていること全部が、そこへつながりかねない。
「鏡だ」
エナが低く言った。
「王妃候補の鏡」
「婚礼衣装も」
ネムが続く。
「六輪は“まだ来ていない者”を混ぜる」
私は墓標を見つめた。
十三王墓はまだ死んでいない。
だからまだ開かない。
けれど耳は先に埋まり、顔はまだ上にある。
そして、呼ばれていない王へ顔を与えてはいけない。
王都の今の異常が、一気に一本へつながるのを感じた。
影が先に位置を取り、供花が付き、声が似てきて、次に必要なのは顔なのだ。
その顔を、王妃系の鏡や婚礼や女系遺物が流し始めている。
もしそれが影へ届けば。
そのとき、王都は“まだ”を失う。
墓廊の奥で、低い息のような音がした。
十三王墓が、また一度だけ大きく呼吸する。
裂け目はそれ以上開かなかった。
だが、閉じもしなかった。
まだ死んでいない王墓。
その存在自体が、王都に残された最後の猶予なのかもしれない。
王が完全に墓へ寄る前に。
影が完全に顔を得る前に。
都は、あとわずかな“まだ”で持ちこたえている。




