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やわらかな王の墓  作者: たむ


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81/108

第81話 位置だけの王

 宮城へ向かう道中、私は自分の足音ばかりを聞いていた。


 夜の王都は静かだ。

 だが無音ではない。

 遠くの鐘、荷車の軋み、どこかの門が閉まる音、骨鈴の乾いた余韻。

 その全部が低く抑えられていて、かえって耳に残る。

 今夜はそのどれもが、何かを待っている音に聞こえた。


 セリオは無駄口を叩かなかった。

 ネムも、珍しく紙束を持っていない。

 エナだけが私の半歩後ろを歩いている。

 その位置が、妙にありがたかった。

 真後ろではない。

 前でもない。

 私が滑ったらすぐ引ける距離だと、無言で示しているみたいだった。


 宮城へ入ると、いつもより灯りが少なかった。

 隠しているのではない。

 影を見失わないために、余計な光を落としているのだろう。

 石壁は黒く、回廊の角ごとに兵が立っている。

 だが誰も大声を出さない。

 “いる”とわかっているものに対して、王都の人間はむしろ声を小さくする。


 私たちは半身の間へ近い西回廊で止められた。

 そこは前に私が王の前で跪いた位置とも近い。

 嫌な近さだった。


「ここです」

 セリオが低く言う。

「二度とも、影はこの角から現れ、あの柱の手前で止まった」

「あの柱」

 私が見ると、廊の中央寄りに太い石柱が一本ある。

 そこから先は、半身の間へ通じる短い渡り廊だ。

 王へ近づく者が自然と速度を落とす場所でもある。


「そして」

 ネムが補足する。

「止まった位置が、ちょうどあなたが前回膝をついた地点と重なる」

「やめてくれ」

「事実です」


 風はない。

 それなのに、回廊の空気だけが少し流れている感じがした。

 井戸の前に立ったときと似ている。

 何かが“来る”前の、形だけの予兆。


 しばらく待つ。

 兵も、侍従も、埋葬官も、皆じっとしていた。

 その沈黙の中で、私は妙なことに気づく。

 この場にいる誰も、私の名前を呼んでいない。

 呼べないのか、呼ばないのか。

 たぶん、その両方だ。


 やがて、角の向こうが少しだけ暗くなった。


 暗くなった、という言い方しかできない。

 誰かが歩いてきたなら、足音や衣擦れがあるはずだ。

 だがない。

 灯りの届き方だけが、角の向こうでひと呼吸ぶん変わる。

 それから、影が現れた。


 前に見たものよりはっきりしている。

 背丈は人と同じ。

 衣の裾のような揺れ。

 肩の線。

 頭の角度。

 だが、顔だけがやはり決まらない。

 目の位置があるようでなく、口元があるようでない。

 “人のいるべき場所”だけでできた像だった。


 影はゆっくり進み、柱の手前で止まった。

 そして、本当に私が前に膝をついた場所へ、すっと重なる。


「……」

 誰も喋らない。

 喋れば、それが何かを決定してしまいそうだった。


 影は少しだけ揺れた。

 それから、膝を折る。

 音はしない。

 だが、確かに跪いた。

 片膝を石へつけ、頭を垂れる。

 王の前で取るべき姿勢。

 礼ではなく、位置の所作としての跪き。


「位置だけの王」

 私は思わず呟いていた。

 

 セリオがこちらを見たが、制さなかった。

 たぶん、その呼び方があまりに正確だったからだ。


 影は跪いたまま動かない。

 それなのに、まわりの空気だけが少しずつ濃くなる。

 王都の人間が一斉にそれへ“意味”を与え始めているのが、肌でわかった。

 影そのものではない。

 あれを見た人間の側が、先に王の位置として受け取り始めている。


「見てください」

 エナがかすかに言った。

「何を」

「影の背後」

 

 私は目を凝らした。

 影の後ろ、石床の上に、白いものがある。

 一輪。

 また白花だ。

 誰も置いていないはずなのに、跪いた影の後ろへ供花が一輪だけ落ちている。


「供花が」

 ネムが低く言う。

「来ています」

「影に?」

「ええ」

 

 影が先に王になる。

 その言葉が、いよいよ現実味を持つ。

 まだ顔も名もない。

 だが、位置へ跪き、そこへ花が来る。

 人は後からだ。

 席のほうが、もう礼と供花を受け始めている。


 そのとき、半身の間の奥から扉の開く音がした。

 全員の体がわずかに強張る。

 誰かが来る。

 この場で、最も来てはいけない人物が。

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