第75話 第十四の名を呼ぶな
白鈴の巡礼路から王都へ戻る道中、私はほとんど喋らなかった。
供花の五本目。
顔はあとで来る。
空きに花を置け。
それは王都で私が見てきたことの、あまりにも簡潔な要約に思えた。
墓標、井戸、王冠、署名のない命令書、顔のない第十四の影。
全部、先に“空き”を整え、そのあとで誰かをそこへ合わせようとしている。
エナは取った五本目の花を、布で包んで持っていた。
捨てないのかと訊こうとして、やめた。
この国では、危ないものほど簡単に捨てない。捨てた先で、別の形になって戻るからだ。
王都の門が見えてきたころ、ダフがふいに言った。
「今夜から一つ増えます」
「何が」
私が問うと、彼は真顔で答えた。
「禁句です」
「嫌な予告だな」
「王都ではよくあります」
外門をくぐる前、私たちは脇の門務小部屋へ一度通された。
オルはいなかった。代わりに若い門務書記が二人、緊張した顔で札の照合をしている。机の上には新しい触れ書きが置かれていた。
ネムがそれを見て、小さく眉を寄せる。
「早い」
「何だ」
「外門・内門・宮城周辺における発語制限」
「発語?」
私は嫌な予感しかしなかった。
若い門務書記の一人が読み上げる。
「“第十四に関わる名・呼称・想定名の直接発語を、当面のあいだ制限する”」
「……は?」
「“便宜上、当該対象は『次席』『影』『未定位』等で代替のこと”」
私はしばらく口を開いたまま固まった。
「そこまで行くのか」
「王都ですので」
ダフが言う。
「最悪だな」
「はい」
エナが低く言う。
「第十四の名を呼ぶな、ということです」
「名前なんかまだないだろ」
「だからです」
「何で」
「名がないものほど、呼びかたが先に形になります」
その理屈は、王都では十分にあり得た。
顔がなくても、席がある。
名前がなくても、呼ばれ方が集まれば輪郭ができる。
なら、今は“第十四”という呼び方そのものが危ないのかもしれない。
門務書記はさらに続けた。
「“特に井戸前、巡礼路、副墓前においては、当該数えを声にせぬこと。呼称は水と石に残る”」
「石壁の耳と同じだな」
私は言った。
「はい」
ネムが答える。
「水と石が記憶し始めている」
「王都、どこもかしこも媒体みたいになってるな」
「実際、その通りでしょう」
私は思わず、巡礼路の子どもを思い出した。
五本目があると、先のひとが来る。
名前のないひと。
今や王都は、その“名前のないひと”へ、うっかり呼びかけることすら制限し始めている。
「つまり」
私は机の触れ書きを見ながら言った。
「今後は“第十四”って言葉自体が、席を近づける可能性があるってことか」
「その懸念です」
門務書記が答える。
「現時点では仮措置ですが」
「仮で済むわけないだろ」
「王都では、とりあえず仮にしてから定着することがあります」
それは完全に知っていた。
北区へ戻る途中、私は一度もその数字を口にしなかった。
意識して避けるほど、かえって頭の中へ浮かぶ。
顔のない影。
水に映る王の後ろの像。
五本目の花が呼び寄せる先の席。
それらを、もう数字で呼ぶことすら慎まなければならない。
夜、北区記録倉でサラが触れ書きを一読し、鼻で笑った。
「遅いね」
「遅い?」
「こういうのは、もっと前にやるべきだった」
「呼び方で変わるのか」
「変わるよ。王都は言葉で補強される街だから」
私は椅子に腰を下ろした。
「第十四の名を呼ぶな、か」
「数字だけどね」
「でも、もう名みたいなもんだろ」
「そう」
サラは頷く。
「名を与えるな。仮称すら置くな。呼びかたが席の輪郭を太くする」
エナは黙って、布に包んだ五本目の花を棚の上へ置いた。
その横顔を見ながら、私は思った。
呼ばれないことは保護にもなる。
だが同時に、呼ばれないまま形だけが先に歩き出せば、もっと危ない。
王都は今、その綱渡りを国中でやっているのかもしれなかった。




